ナタリー PowerPush - 由紀さおり
ジャンルを超えた名曲たち 「21世紀の歌謡曲」ここに誕生
「自分のラストソング」を作り出せた喜び
——この作品で由紀さんの新しい面を知るリスナーは多そうですね。もう歌謡曲とかポップスとかの枠組みに関係なく、単純に音楽として成立しているというか。
そうなの。今の日本語の歌はJ-POPと演歌っていうふうに二極分化されているけれども、本当はあれはおかしいと私は思っているの。日本語で歌う歌謡曲にも、やっぱり演歌じゃない、ポップスっていうのはやっぱりあるんですよ。なんだろう、ロックとかラップとかっていうのとはまた違った、日本の音楽っていうのが。
——そうですね。
若い子たちは特に、それは音楽に限らないんだけど、自分の好きなことは深いけど、それ以外のことに興味を示さないでしょう? ディズニーランドが好きな人はこれは何年のときの白雪姫の衣装、っていうのがわかるんだけどさ。それ以外にはまったく興味を示さない。そういうのは同じこの人生を生きている上でつまらないな、って思うのよ。
——どんどん細分化されてきて。
そうなの。
——昭和の時代には歌謡曲があったし、テレビの歌番組があったし、みんなが知っている曲っていうのがありましたけど、今はないですもんね。
ないのよ。だから各世代の人がみんな知ってる曲で、それがレコード大賞になったっていうのは「北の宿から」あたりが最後じゃないかな。そのあとはみんな知らないと思うよ。
——確かにそうですね。
だから、そういう風に日本の歌謡史にもいろんな歌があるのよ。その中で本当にメロディアスできれいなものもいっぱいあるの。で、それは演歌っていう枠ではくくれない、もうどちらかと言えば叙情歌に近いものね。だから「いい日旅立ち」もそうだし、「卒業写真」も「神田川」もそうだと思う。でも今の若い人たちはそういう歌をあまり聴こうとしないのね。ラジオ局なんかでも歌謡曲はうちではかけません、とか、J-POPはかけるけど演歌はかけません、って言ってたりして。じゃあそれで? 私は演歌なんでしょうか?って聞きたくなるよね。その、区分けがすごく妙な感じがする。
——由紀さんは、このアルバムでそういう区分けを超えたものをやりたかった、ということですよね。
そう。だから“由紀さおりの歌”でいいの(笑)。もう、ただ「私が歌った歌です」っていうので貫きたいかな。
——このアルバムをきっかけにして、由紀さんはこれから普遍的な音楽を突き詰めていくだろうし、そうあってほしいと思うんです。その中で、やっぱり今回その姿勢を一番象徴しているのがオリジナルの「真綿のように」という曲なんじゃないかな、と思うんですが。
うん。そうね、自分のマイウェイソング。やっとこういう歌詞を率直な思いで歌えるときが来たな、と思って。以前、エディット・ピアフの映画のコメントを書いてほしいっていう依頼を受けたときに、あの映画を見て自分の中から出てきたのが「生きることは愛すること 愛することは歌うこと」っていう言葉だったの。これからの歌い手人生において、自分のマイウェイソングとして、こういう言葉をなんとか歌にしたい、ってずっと考えていて。だからこうやって自分のラストソングっていうか、アンコールで歌える歌がやっと作り出せたっていう喜びは大きいですね。
——シンプルに、まっすぐ伝わってくる歌ですよね。この曲はやっぱり今の由紀さんだからこそ歌える歌だと思うんですが、いかがですか?
そうね、それはなんだか、聴いてくださった方はみんなそんな風におっしゃって。この前歌ったときも、ちょうどアラサーとかアラフォー世代の働く女性が「勇気をもらいました」って言ってくれたのがすごく嬉しくて。まあ女の人生はいろんなタイミングがあるからね。結婚もそうだし、子供を持つか持たないかってことも大きいし、仕事もあるし。そこで迷っている人も多いと思うの。だから私が歌で伝えたいのは、怖がらずにいらっしゃい、大丈夫よ、って。そういう感じかな。応援歌じゃないけれど、うん。本当に私も、ぐじゃぐじゃと迷って悩んできたし、すんなりここにいるわけでもないからね。ああいう風にやっていきたいな、って思われるような、そういう歳のとりかたをしていきたいですね。
由紀さおり(ゆきさおり)
子供時代から児童合唱団に所属し、童謡歌手やアニメ声優、NHKうたのお姉さんとして活躍。1969年に由紀さおりとしてデビューし、「夜明けのスキャット」で一躍人気歌手となる。女優としても幅広い作品に出演し、1983年には映画「家族ゲーム」で毎日映画コンクール助演女優賞を受賞。姉・安田祥子とともに行っている童謡コンサートは、2009年4月から23年目がスタート。年間平均100公演を数えるライフワークとして、幅広い世代のファンから支持されている。