「横浜音祭り2022」インタビュー最終回で山中竹春横浜市長×反田恭平が考える“音楽の街”横浜の未来

9月17日から横浜市内で開催されていた「横浜音祭り2022」が、11月6日に大盛況のうちに幕を下ろした。

「横浜音祭り」は2013年より3年ごとに横浜市全域を舞台に実施されてきた、日本最大級の規模を誇る音楽フェスティバル。4回目を迎えた今年は、国内外で活躍するアーティストの公演や、子供たちがプロのミュージシャンから演奏を学ぶワークショップなど約300のプログラムが51日間にわたって行われ、横浜市にさらなるにぎわいをもたらした。

音楽ナタリーでは「横浜音祭り2022」の特集を展開し、初回はモノンクル、第2回はKan Sanoという出演者のインタビューを掲載した。ラストの第3回には同イベントの名誉委員長である山中竹春横浜市長、クロージングコンサートを行った世界的ピアニストの反田恭平が登場。コンサートの会場となった横浜みなとみらいホールは、反田にとってたびたび舞台に立ってきた、思い入れのある場所だ。今回は改修工事を経て10月末にリニューアルしたみなとみらいホールで山中市長と反田に話を聞き、“音楽の街”という観点から見た横浜の魅力や、次世代の音楽教育についてそれぞれの立場から語ってもらった。

取材・文 / ナカニシキュウ撮影 / 須田卓馬

ターニングポイントの街

反田恭平 最近、個人的に予想外の出来事が続いている感覚なんですよ。僕はただのピアノ弾きなんで、まさか横浜市の市長さんと対談させていただく日が来るなんて、昔の自分にしてみれば想像もできなかったことです。

山中竹春 「ショパンコンクール」(「ショパン国際ピアノコンクール」)で2位を獲っていらっしゃるわけですから、そうした機会も増えますよね。

左から山中竹春、反田恭平。

左から山中竹春、反田恭平。

反田 山中市長とははじめましてですが、とてもイケメンでびっくりしました。

──今まで会われた市長さんの中で一番イケメンなんじゃないですか?

山中 それ、ぜひ記事に書いといてください(笑)。

反田 そこで「はい」と言ったら、これまでお会いした市長さんたちに怒られちゃう(笑)。

──確かに(笑)。そんな市長がトップとなった横浜という街に、反田さんはどんなイメージを持っていますか?

反田 そうですね、観光などで遊びに来たことは正直そんなにないんですが……中学3年生のときに「全日本学生音楽コンクール」というコンクールで初めて全国大会に出まして、そのときに弾いた会場が横浜みなとみらいホールでした。その後も、今はなくなってしまった「横浜国際ピアノコンクール」というとてもレベルの高いコンクールがあったんですが、「国際」と名の付くコンクールに出たのはそれが初めてでした。今思い返せばそのときにロシア人の審査員がいたんですけど、のちに僕は、留学先でその方に師事しているんですよ。

山中 すごい! 出会いの場が横浜だったんですね。

反田 お仕事としても、ショパンのコンチェルトを初めて弾いたのがみなとみらいホールでした。それがのちの「ショパンコンクール」につながっていったことを考えると、ターニングポイントになるタイミングにみなとみらいホールで演奏していたと言えますね。

山中 横浜はいわゆる開国の地で、かつては西洋文化の受け入れ口だったんですよね。その街で反田さんが世界的ピアニストとしての第一歩となる、初めての国際コンクールを経験されていたというのは率直にうれしいお話です。

横浜市全体を音楽でテーマパーク化したい

山中 反田さん、ご存じですか? 横浜市には、近年だけでもKT Zepp Yokohamaができて、Billboard Live YOKOHAMAができて、ぴあアリーナMMができて……来年の秋にはKアリーナ横浜という2万人規模の大施設もできるんですよ。そうすると、全部合わせて収容人数が約5万人になります。少なくとも音楽を楽しめるホールの収容人数においては世界でも類を見ない規模の都市になるんです。

山中竹春

山中竹春

反田 なるほど。確かにここまでの数のホールがある都市というのは、世界的にも珍しいと思います。希有な街ですし、特殊な存在ですよね。

山中 そうなんです。いろいろな施設があることは知られていても、それぞれの施設が独立した感じで見られていて、その特殊性がまだ皆様に伝わっていないと感じています。要は面で捉えられていないんだなと。ですからよく市役所内でも「もっと“音楽の街”としてプロデュースしないといけない」という話は出ているんです。それに加えて、横浜には馬車道や山下公園、港の見える丘公園といった名所が数々ありますので、それらをいかに有機的に結びつけていくか。街全体をテーマパーク化するというのが目標なんです。

反田 それは素敵ですね。

──「横浜音祭り」は、まさにその一端であると言えますよね。

山中 そうですね。音楽の催しとしてのクオリティもさることながら、そこから広がっていく街のにぎわいですよね。それをもっと高めていきたいと思っています。

──反田さんは、横浜に“音楽の街”というイメージはありますか?

反田 今の時点では正直そんなにはないですね。でも、演奏家としての目線ではやはり横浜みなとみらいホールの存在感が大きいです。東京ならサントリーホール、神奈川だったらみなとみらいホール。みんなが来たがる、弾きたがる会場というイメージは強いです。そのブランドというのはとても大事だと思います。

山中 アーティストの皆様に「ここで弾きたい」と思ってもらえる街を目指したいですね。

反田 少なくとも我々クラシックの世界では、すでにそういう街になっています。

──その感覚がより多くの方にも浸透するように、わかりやすく打ち出していく必要があるのかもしれない。

山中 ええ。やっぱり“音楽の街”といえばその代表格はオーストリアのウィーンになると思いますが、ウィーンは何百年もかけて音楽家や聴衆が音楽を大切にしてきて、行政もそこにお金をかけてきて、いろいろな人たちの努力が費やされ続けてきた結果としてできた街です。一朝一夕にできることではない。実際にウィーンへ行ってみると、街全体が応援しているのを感じるんですよ。音楽ホールというファシリティがあって、そこで弾きたいと思う演奏家の方々がいて、それを応援する街全体のムードがあって。必ずしもみんながみんな「上質な音楽を楽しみたい」という思いを持っていなかったとしても、当たり前のように音楽が演奏され、「何か楽しいことが行われている」という雰囲気を街全体で共有している。それが私の思う街のにぎわいなんですよ。

──つまり、音楽が文化として根付いている状態。

山中 その通りです。

反田 演奏活動をしていてすごく思うのは、横浜……とりわけみなとみらいホールにいらっしゃるお客さんには“聴く力”があると思うんです。ただ、現状では客層的にご年配の方々が多い。音楽家として行政への願望を言わせていただくならば、若い方々の耳を育てていただきたい気持ちがあります。やはりアーティストも日々成長するものですし、1回1回のステージで場数を踏むその瞬間ごとにスキルアップしています。その過程も含めて楽しんでいただくためには聴衆の聴く力も必要になってきます。聴く人の耳が育てば、アーティストもその分、成長速度が上がると思うのです。

反田恭平

反田恭平

山中 次世代を担う子供たちの感性や創造力を伸ばすことは、行政の役目だと思っています。私が子供の頃と比べると街のエレクトーン教室やピアノ教室などの数が明らかに減っていますし、このまま放っておくとどんどん先細りしていってしまう。子供たちが自然と音楽や楽器に触れられる機会をいかに増やしていけるかでしょうね。

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回転寿司のような街