AKB48時代のことを誇りに思っている
──そもそもの話、なぜ矢作さんは再び人前に立つことを決意したんですか? 音楽制作が面白くなったのはわかりますが、例えば覆面作家として裏方で活動するなどの選択肢だってあったと思うんです。やはりスポットライトシンドロームみたいな面もあったんでしょうか。
AKB48を卒業した頃は、芸能に関することはもう何もかも完全にやめるつもりだったんですよ。その頃に書いた曲で、自分がステージから飛び降りるという内容のものがあるんです。その曲は自分の中でものすごく大事。まだ発表するタイミングじゃないなと思っていて、世に出していないんですけどね。その「飛び降りる」という行為は「歌をあきらめる」という意味のほかにも、いろんな解釈があるんですけど……。
──相当に思い詰めていたんですね。
だけど今ここにいるってことは、結局のところ「音楽が好き」という気持ちから逃げられなかったんだと思う。それに尽きますよ。人見知りな性格なので「チヤホヤされたい」みたいな感情はアイドル時代からなかったし、スポットライトシンドロームだったら休んでいた間もSNSくらいは続けていたと思うんです。中途半端な姿で人前に立ちたくなかった。復帰するなら、成長した姿をちゃんと見せられるようになったときだと決めていました。
──シンガーソングライターとしてステージに立つのは、アイドル時代とだいぶ勝手が違うのでは?
そうですね。でも、ライブはお客さんの好きなように楽しんでいただきたいんです。私もスタイルをかっちり決めすぎないようにしているので、それぞれの方法で勝手に楽しめるライブにしたくて。5月にやった1stライブではダンスも披露したし、アイドル時代のようにタオルも振り回しました。ギターを構えてマイクスタンドの前で歌うだけじゃない、柔軟性のあるアーティストになりたいので。
──“脱アイドル”という意味で、アーティスト宣言するわけではないんですね。
いえいえ、とんでもない! 私はAKB48時代のことを誇りに思っていますし、今の自分を作ってくれた貴重な時間だったと考えています。世の中にシンガーソングライターが大勢いる中で、自分にとっての強みはアイドルだった過去。だから、そこは生かしていきたいんですよ。
──アイドルとして輝いていた姿を見て、矢作さんを好きになった方も多いはずですしね。
アイドルという存在をアーティストと比べて一段下に見ている人もけっこう多いんですよね。でも私としては、それは違うと思っていて。アイドルはアイドルの素晴らしさが確実にあるんですよ。アイドルって一般的には、決められた衣装を着て、決められた曲を歌って、みんなで同じダンスをするイメージがあって。私もそういう世界にいたから、自分で書いたメロディと自分で書いた歌詞で表現することを覚えて世界がバーッと広がったのは確かです。でも、別にそれはアイドルを否定するということではないんですよ。「違う喜びを見つけた」と言うのが正確かもしれない。
──なるほど。それを知ってファンの皆さんも喜ぶはずです。
ファンの方の存在は、私にとって本当に大きいです。ファンの方がいなかったら、「自分の曲をもっと届けたい」なんていう考えにならなかったですよ。3年間の活動休止中、ファンの方の誰よりも私のほうが「早く会いたい」と思っていました。
人一倍ウジウジするタイプだった
──1st EP「spilt milk」では作詞作曲をすべて矢作さんが自ら手がけ、編曲も矢作さんが宗本康兵さんと共同で行ったと聞いています。宗本さんと組むことになったのにはどういう経緯があったんですか?
曲を仕上げていく過程で、天然な生っぽいサウンドにしたいという私の希望があったんですよ。宗本さんは生っぽさを生かしたアレンジが得意な方だったから、「ぜひお願いします」とコンタクトを取りました。宗本さんは私の考えをすごく受け入れてくださって、「もえちゃんがそういう考えで作ったんだったら、もっとこういう音にしたらどうかな?」と意見を出してくれるんです。
──ときには意見がぶつかることも?
いや、それはなかったけど、例えば「夏のソーダ」という曲は、最初すごくハッピーな雰囲気に宗本さんが仕上げてくれたんです。でも私としては、どこかグロいテイストを残したかった。アコースティックの心地いい感じの普通の曲にはしたくなかったんですよ。それでマイナーコードを増やしたりしつつ、あえて同じフレーズを繰り返すような歌詞に変えました。
──「spilt milk」というタイトルに込められた意味は?
「覆水盆に返らず」ということわざがありますが、これは英語圏だと「It is no use crying over spilt milk」と言うらしいんです。「こぼれたミルクを嘆いても仕方ない」という意味ですね。誰しもそうだと思うんですけど、生きていたら後悔することって必ずあるじゃないですか。「それでも前向きに捉えて進んでいこうよ」という私なりのメッセージになっています。
──矢作さん自身も、かつてはウジウジ悩むことが多かったということでしょうか?
人一倍ウジウジするタイプだったと思います。大事なことを先延ばしにして、後悔したこともいっぱいありますし。そんな自分が嫌でした。振り返ってみると、楽曲を作る中で自分自身がすごく成長できたんですよ。やっぱり曲を書くときは、嫌でも自分と向き合うことになるので。よく「悩みがあるときは、それをノートに書き出せ」とか言いますよね。まさにその通りで、私の場合は歌詞にまとめることで暗いところから抜け出せた感触があるんです。
──EPに収録されている7曲は、歌詞の面でも矢作さんしか書けないような表現が並んでいる印象を受けました。
私、空想で詞を書くのが苦手なんですよ。作詞の勉強を始めたときに「マンガを読み、そのテーマに沿って書いてみよう」みたいなことも言われたんですけど、それが全然できなくて。自分が本当に思っていることじゃないとダメなタイプなんです。
──歌詞には等身大の矢作さんが投影されているということですか。
もともと私は根暗な人間なんです。自分ではそれがわかっているから、歌詞にもそういうダークな面が出るのは当たり前の話で。でも、1stライブで初めて曲を聴いた人たちにはすごくびっくりされたんですよ。例えばEPに入っている「ピーターパン」という曲は17歳のときに書いたんですけど、社会とか大人に対する文句があふれている内容なんです。大人に対する不満をブチまけているのに、周りの大人から「ありきたりな歌詞じゃないところがいい」と評価されたから、なんか不思議な感じでしたけど(笑)。
新潟の旅館で社会勉強
──17歳というと、ちょうどAKB48在籍の後半くらいですかね。年齢的に多感な時期でもあると思います。
必要以上にいろんなことを考えちゃう人間なので……。ネガティブな考えが溜まっていくと息苦しくなるんです。それを歌詞にすることで、発散していた面はあると思います。特に17歳から18歳にかけては本当にめちゃくちゃ悩んでいました。自分のことを前向きに捉えられるようになったのは、わりと最近のことかもしれない。変な話かもしれないですけど、自分が書いた曲を聴くのがつらかったんですよ。表現することは好きだけど、剥き出しの自分を正面から見ることができなくて。曲を人に聴いてもらうときも、自分を殴りながら差し出す感じでしたし。
──それは「恥ずかしい」という感覚とも違う?
うーん、どうなんだろな。「本当の自分を知られることが怖い」みたいな感覚はあったかもしれない。「もっと私の曲を聴いてほしい」って素直になれたのは、年齢的なことも大きかったかもしれません。要は大人になったというか。それと休んでいる3年の間に、旅館で社会勉強したことも大きかったですね。
──旅館で社会勉強? どういうことですか?
住み込みで働いていたんですよ。新潟の旅館で。この出来事は今の私を説明するうえで外せない話かもしれないですね。そもそも私は中学生の頃から芸能活動をしていたから、社会の一般常識みたいな部分が足りていないという自覚があったんです。かといって実家にいながらぬくぬくバイトするのも違うなと思いまして、どうせだったら住み込みで働くことにしたんです。冬の間、旅館でずっと。この新潟での生活が本当に充実していた!
──「元AKB48が働いている!」って騒がれませんでした?
素性を隠していましたし、旅館で一緒に働いていたのはおじいちゃんとおばあちゃんばかりだから、ネットニュースやSNSで私の記事を見ないどころか、ネットに触れることすらなかったと思う(笑)。そんな中、一番偉い料理長とすごく仲よくなったし、ほかのみんなも含めて地元の古びたスナックとかに行くこともあったんですよ。aikoさんとか宇多田ヒカルさんとかの曲を歌うと、「何者なの、あんた!? 尋常じゃなく歌がうまいんだけど!」って目を丸くされちゃって。最初は「東京から来たの? かわいいわねー」くらいの温度感だったのに、だんだんザワザワし始めたんです。料理長からは「なんでお前、歌手を目指さなかったんだよ?」とか言われましたし(笑)。
──ちょっとした雪国のマドンナ扱いじゃないですか(笑)。
自分で言うのもアレですけど、まさにそんな感じでした(笑)。「あんた、そんなにかわいいんだから、裏で皿洗いとか布団敷きなんてしていないで、配膳をやってほしい」とも言われました。そっちのほうが旅館的にもプラスになるってことで。「いやいや、私、人間恐怖症だから無理なんです」とか必死でごまかしましたけど。
──配膳なんて担当したら、お客さんにバレちゃいますからね。
「矢作」と書かれた名札もつけていたし、知ってる人が見たら一発でわかったと思う。料理長とか旅館のみんなは「元AKB48」とか「元アイドル」ということをまったく知らない状態で、私のことを認めてくれたんですね。それがすごくうれしかった。自分で自分に自信が持てるようになりました。私の性格がひねくれているのかもしれないけど、「きれいですね」とか「歌が上手ですね」とか褒められても、「アイドルという肩書きがあるから、そう言ってくれるんだろうな」と素直に受け取れなくなってた時期もあって。
──ずっと人前に出る立場だったから、そう考えるのも無理はありません。
それに新潟では曲も書きました。旅館の周りは、寒くなるにつれて雪がどんどん積もってくるんですね。お休みの日はそんな景色を眺めながら散歩して、部屋に戻るとパソコンに向き合うんですよ。自分ときちんと向き合えたという意味で、本当に貴重な時間だったと思います。……いやー、料理長にはまた会いたいなあ。
──料理長、この記事を読んだら矢作さんの素性を知って仰天するんじゃないですか?
実は最終日にスナックでそのことは伝えたんですよ。「そうだったんだ!」ってめちゃくちゃ喜んでいましたね。でも、7月5日のデビューライブには呼ばなかったんです。それは私なりのプライド。もっと私が売れっ子になって、大きい会場でライブをやれるようになってから観てほしいんです。「申し訳ないけど、それまで待っててね」ってLINEで伝えたら、「おう、待ってるぞ!」なんて返事が来ました。
──こんな演歌チックな美談が令和の時代にもあるんですね。最後に、応援してくれているファンの皆さんに向けてひと言お願いします。
本当に私の心は常にファンの方とともにありますし、今までずっと支えてくれたことに対して感謝の気持ちしかなくて……。私としては、これからもずっと皆さんと一緒に歩んでいけたらいいなと思っています。そして、その第一歩が1st EP「spilt milk」。これからの活動も温かく見守ってください。どうぞ、ついてきてね。ハート。まる。
──「“すち”になってね」とか言っていた頃と芸風的には変わらないじゃないですか(笑)。
そりゃそうですよー(笑)。同じ人間がやっているわけですから。
──シンガーソングライターを名乗っていても、持ち前のアイドル性は隠しきれない?
そうかも(笑)。これからは歌手活動に軸足を置きつつも、モデルやドラマ出演などできることはなんでもやっていきたいと考えているんです。今はめちゃくちゃやる気に満ちあふれているので、できればマルチに活動したいというのが理想でして。自分ならではの新たな道を模索していきたいですね。
プロフィール
矢作萌夏(ヤハギモエカ)
2002年7月5日生まれのシンガーソングライター。2018年1月にAKB48にドラフト3期生として加入し、シングル表題曲のセンターを務めるなどして活躍したあと2020年2月にグループを卒業した。卒業前には「第2回AKB48グループ歌唱力No.1決定戦」で優勝を果たしている。2023年7月5日に「1st Live "Rebirth"」を行うとともにデビュー曲「Don't stop the music」を配信リリース。ソロアーティストの活動をスタートさせ、10月に1st EP「spilt milk」を発表した。