10人組ボーイズグループUNiFYが1stアルバム「平成37年」リリース!一丸となって目指すは武道館

10人組ボーイズグループ・UNiFYが1stアルバム「平成37年」をリリースした。

前身グループが解散後、福井巴也を中心に結成されたUNiFY。結成と同時に自分たちで会社を設立し、メンバーそれぞれが会社員としての役割も担いながら音楽活動を続けてきた彼らが、これまでの集大成として世に放ったのが「平成37年」だ。

音楽ナタリーでは活動休止中の伊月大和を除く9人のメンバーにインタビュー。2023年に活動を開始してからアルバムリリースに至るまでの経緯や、今作に収められた渾身の8曲についてじっくりと語ってもらった。

取材・文 / 小松香里撮影 / はぎひさこ

自分たちが何を伝えていくか

──UNiFYは前身グループ解散後に福井巴也さんが立ち上げたグループです。福井さんはどんな思いでUNiFYを結成したんでしょう?

福井巴也 前身グループはもともとメンバーが50人くらいいて。最後は13人になって解散したんですが、自分としてはまたボーイズグループがやりたかったんです。それで一緒にやりたいメンバーに1人ずつ声をかけて、「やりたい」と言ってくれた10人で会社を立ち上げてUNiFYをスタートさせました。

福井巴也

福井巴也

──UNiFYというグループ名の由来は?

福井 UNiFYは「Unique(唯一)」「New(新しい)」「ideal(理想)」「Fracture(破壊)」「Youthful(若々しい)」の頭文字を取った造語で、「常識を破壊し自分たちらしく理想を追い求める」という意味を込めています。前身グループのときは、プロデューサーさんや事務所の社長さんの強い意向が活動に反映されていて。もちろん大人の意見も大事ですが、結局自分たちがどういう熱量でファンの方と向き合って、何を伝えていくかということのほうが大事だと思ったんです。あと、事務所を自分たちで運営するグループも珍しいですし、新しいことにどんどん挑戦していこうという思いのもと付けた名前です。

RAY 最初に巴也くんに呼ばれて1対1で話をしたときに、会社を立ち上げて新グループを作るという話を聞きました。新グループには参加したいと思いつつ、自分で会社を立ち上げるという発想に驚いて。でも苦しいことがあったとしても、巴也くんにだったらついていきたいなと思って「ぜひ参加させてください」と答えました。

 巴也くんが社長とリーダーのポジションを両方兼ねているのは大変だろうなと思います。でも僕たちには苦労を見せず、常に気を使って、メンバー1人ひとりに向き合ってくれるので尊敬しています。

宝

石橋弘毅 しかも晴れ男だしね。

福井 そうだね(笑)。ライブやイベントの日に晴れないとファンに怒られるという現象が起きていて、「そこまで責任持てないよ」と思ったりします。

石沢瑠架 僕はもともと巴也くんとシェアハウスで一緒に生活をしていたので、その時期は毎晩のように新グループの構想について話していたんですよ。前身グループの活動も楽しかったんですが、UNiFYでは自分たちでいろんなことを決められることにワクワクしていました。去年の夏ツアーはアポチームがプールの施設に直接電話をして会場を決めたりして。自分たち主導で多くのことを決めているからこそ、1つひとつのライブやイベントを大事にする気持ちが強くなっています。そういう環境で芸能活動ができるのがありがたいですね。

石沢瑠架

石沢瑠架

中川将平 前身グループではプロデューサーの意向に沿って活動することが多く、当時は歌うこと自体は大好きだったのですが、「なぜこの曲を歌うのか」という部分を自分自身が深く考える機会は少なかったように思います。でも今は自分たちが本当にファンの方に伝えたいことを届ける環境ができていますし、1stアルバム「平成37年」を作るにあたっても、自分たちで作品の意味を考えました。そういう気持ちがあるのとないのとでは伝わり方が違うと思いますし、活動に対してずっとワクワクしていますね。

中川将平

中川将平

新美直己 みんなでよく長時間の会議をするんですが、このメンバーで新グループを組むという道を選ばなかったら、自分たちでとことん話し合いをする経験もできなかっただろうなと思うんです。一度やると決めたからには自分の力をこのグループにちゃんと生かしたいと思って毎日楽しく活動しています。

UNiFYの強み

──始動から2年強が経ちましたが、UNiFYの強みをどう捉えていますか?

石橋 自分たちで会社を作ったことで、お客さんに届ける表現に嘘偽りがなくなったことですね。僕たちはファンのことをuu(ユーユー)と呼んでるんですが、uuのみんなと曲を育てている実感があって。ここで掛け声を上げるとか、ここでタオルを回すとか、曲の楽しみ方のガイドを発信することで、どんどん盛り上がりが増しているんですよね。そうやってファンと一緒に曲を成長させていけることも強みだと思っています。

富園力也 僕はUNiFYの強みは顔だと思ってます。全員イケメンで、ほかのグループに負けてないですね。

石橋 いろんな苦労をみんなで乗り越えた結果、こういうことが言えるようになりました(笑)。

富園 自信を持たないと伝えたいことも伝わらないんで(笑)。

UNiFY

UNiFY

雨宮大晟 僕はメンバーの仲のよさがUNiFYの強みだと思ってます。外部の方から「こんなに仲がいいグループは珍しいよ」と言っていただけるくらい和気あいあいと活動しています。1日8時間から9時間くらいミーティングすることもあって。みんなで切磋琢磨しながら活動していますね。

石橋 大体週1回、午後1時からミーティングすることが多いんですが、話すことが山積みで。夜9時か10時に終わったらまだいいほうですね。でも終電では絶対帰ろうと決めてますし、ごはんを食べながらとか、休憩を挟んだりとか、そんなに張り詰めずにやってます。

自分たちの思いが隅から隅まで

──アルバム「平成37年」の内容もミーティングで決まっていったんですか?

石橋 そうですね。そもそもは昨年のツアーファイナルのチケットが完売したことで、公約だった初のアルバム制作ができることになって。そこから「uuが喜んでくれるアルバムってどういうものだろう?」という話し合いが始まりました。僕たちは全員平成後期のカルチャーに育てられて、平成の音楽がずっと身近にあって情熱をもらってきました。曲を通じて友情を育んだり、失恋したときに寄り添ってもらったり。令和を生きる人たちにもそういう感覚を味わってほしいよねという話から、僕が「今は平成何年だろう?」と調べてみたら37年だったので、それをタイトルにしました。

石橋弘毅

石橋弘毅

福井 「平成に流行ったミクスチャーロック系の音楽ってカッコいいよね」っていう話をみんなでしていたんですよ。それで自分たちもそういう音楽が作りたいということになって、まずリード曲の「mellow mellow」のイメージが湧いて。そこからどんどん「こういう曲もあっていいよね」とか「こういう曲があったら盛り上がるよね」とみんなで話し合った積み重ねがアルバムになりました。自分たちの思いが隅から隅まで詰まっているので、高い熱量で曲をパフォーマンスすることができています。

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「僕が鬼だよ」