心に響く歌声の根底にあるもの
──絢香さんの代表曲「三日月」は女性目線の曲ですが、カバーでは改めてToshlさんの表現力の幅広さを感じました。また「手を伸ばして」の部分では本当にToshlさんが手を伸ばして歌っている絵が浮かびました。
乙女心を歌うこの曲のときは、乙女な気持ちになってますからね(笑)。ここ数年、僕は絵を描くようになったんですけど、絵を描く中では年齢や性別とか、まさに時空を超えて、心から人を思う気持ちが生まれるような感覚に触れ、「心が叫ぶ」ことがあります。絵を描く時は「自分の歌を色や造形で表現する」というテーマでこれまでずっと描き続けてきたので、特に今作のレコーディングでは、そこからの身についた「何か」によって表現がより深くなった感じがします。絵のときは筆で思いを届けようとしていますが、それはそれで心身を削るような作業なんですよね。絵に没頭しているとき、自分の感覚がさらに研ぎ澄まされていきます。今おっしゃっていただいたように歌声から絵が浮かぶとか、聴いてくださる方の心に響くような何かが生まれたのは、きっとそういう経験から来ているように思います。コロナ禍があったからこそ絵に没頭できる時間もあったし、そういう意味ではコツコツとやってきたことが歌に生きてきたことがうれしいですね。
──まさにその話はブログにも書かれていた「誠心誠意、研究し、探求し、練習し」ということですね(参照:一粒一粒の結晶 | 龍玄としオフィシャル・ブログ Powered by Ameba)。
曲に自分を重ね合わせているところもあるんでしょうね。でも、自分の思い同様に、応援くださるファンの方の思いに寄り添いたいな、とも思います。例えばコロナ禍で始めた「プロジェクト運命」(2020年に始動した龍玄とし名義の活動プロジェクト)での活動では、こんな状況の今だからできること、自分がファンだったらToshlに何をしてもらいたいかなど、熱心に応援くださる方の身になって考えることが楽しかったし、それを実践したときに、喜んでくださったりすると、本当にうれしかったですね。コンサートにしても、絵画展にしても、グッズの制作1つにしても、今、例に挙げて下さったブログなどのSNSにしてもそうです。どうしたら喜んでくださるのか、ドキドキワクワクしてくださるのか、「またがんばろう」と思ってくださるのか?が、誰もが異常なストレスを感じる日々の中で、匍匐前進でも前へ歩む、僕の運命を切り拓くための道標でした。このような、「相手の立場に立って物事を考える」という感覚も、もしかしたら「女性詩」を歌うための表現力の要素につながるものだったかもしれません。
──このカバーアルバムは自身の気持ちはもちろんのこと、周りの方の気持ち、ファンの気持ち、さらには映画のヒロインの気持ち、Toshlさんがいろんな思いに触れたり、寄り添ったりしてできた作品なんですね。
ディズニープリンセスの気持ちになりきって歌う喜びもありましたし、どの曲のレコーディングもその曲の世界に入り込めました。
3歳から“アイ・アムアシンガー”
──先ほど触れたToshlさんのルーツの話に戻るんですけど、幼少期に歌っていた記憶はありますか?
オープンリールの家庭用テープレコーダーが、僕が3歳だった頃に発売されてたようで。我が家もそれを購入した記念に録った、母親と幼少期の僕が一緒に童謡を歌っているテープがあったんです。それを子供の頃によく聴き直してましたね。それが僕の最初の歌の記録であり、記憶ですね。「ひなまつり」とか「赤ちゃんのお耳」とか、童謡の歌の絵本を見ながら、母が「サンハイ!」と合図して僕も一緒に歌い出すんです。「あ~かちゃんのおみみは~」って歌うんですが、僕は知らなくて、歌えてないんですね。僕に教えてあげようとまた歌い出すんですが、僕は「歌わなくってもいいよ!」と言って母の歌を止めるんです。で、1人で歌い出すとすぐに、歌がわからなくて詰まっちゃう。すると、母がその続きを僕に教えようと歌い出して、僕はまた「歌わなくってもいいよ!」と言う、そのやりとりが続くみたいな(笑)。つまりその3歳の頃から“アイアムアシンガー”だったわけです(笑)。ちなみにピッチはけっこうよかったです!(笑)
──ロックに目覚める前に人前で歌う機会はあったんですか?
大人数の前で歌ったのは小学校5年生のときだから10歳くらいですかね。全校集会で歌った「岸壁の母」という曲ですね。二葉百合子さんという浪曲歌手の大ヒット曲で。僕はロックシンガーでありながら、人生で最初に1500人の前で歌った曲が浪曲だったんです(笑)。当時ものすごく大ヒットしていて、ラジオやテレビの歌謡番組が大好きでしょっちゅう聴いてました。きっとそこで覚えたんでしょうね。学校のバス旅行で、バスの中でマイクが回ってきて1曲ずつ歌う機会があって、そこで「岸壁の母」を歌ったんですよ。そしたら先生が「これは全校生徒に聴かせるしかない」と思ったらしく(笑)。そんな形で急に抜てきされて、何度か全校集会で「岸壁の母」を歌いました。ステージの上で歌を歌って、1500人から拍手や歓声を浴びる。子供心にとても感激したことを覚えています。
──当時の憧れの歌手は?
西城秀樹さんですね。髪の毛も伸ばして、秀樹さんのモノマネをよくやっていました(笑)。
──高校までスポーツ少年だったそうですが、髪を伸ばしていた時期もあるんですね。
いや、当時は野球クラブに入っていましたけど、髪の毛が長いからクラブの監督だった先生に怒られていました(笑)。
Toshlが大切にしていることや挑戦したいこと
──そういった時期を経てシンガーになったToshlさんですが、歌を歌うにあたって日課にしていることはありますか?
日課はないですね。やっぱり一番は心身の健康を保つこと。もうこれしかないですね。特ににゃんたろうとのお散歩の時間が自分にとっての癒しの時間であり、逆に言うとパワーをもらえている。朝早く起きて、夜も早めに寝て、食事も体によさげなおいしいものを食べ、仕事の合間には、たまにスイーツなんかもいただいて。また時間があれば少しのトレーニングもして……そして、何事もあまりくよくよ考えすぎない! そういう規則正しい生活リズムは大切だと思います。
──健康が保てなくなって無理が重なると声が出にくくなることがあるので、今のお話を聞いて「確かに」と思いました。
僕も一度声を失ったことがあるんですけれども、「ストレスを溜めない」というのはどうしても難しいかもしれません。でもそれを少しでも軽減していくために「愛しく思えるような時間」を持つのは大切ですね。
──Toshlさんが今後やってみたいことはありますか?
これからも歌える限り歌い続けたいですね。ステージの上に今でも立てていること、テレビに出て歌わせていただけること、ファンの皆さんに応援いただいていること。それらすべてが奇跡的なことだと自分では思っています。今のありがたい状況が少しでも続けばいいなと思います。そのために準備や勉強や練習も怠らずに、感謝の気持ちと共に何事にも一生懸命にチャレンジすることを心がけたいです。逆に言えば、それが自分のやりたいことかもしれません。
──ありがとうございます。ちなみに小さい頃の夢はシンガーになることだったんですか?
いろいろな夢を持っていたと思うんですが、幼稚園、小学校低学年の頃かな、僕はバンドの絵をよく描いていて、絵の中だと僕はいつも「ベース担当」なんですよ。その当時、まだロックバンドが何かよくわかってないのにベーシストの位置に憧れていたんです(笑)。テレビで観たThe Beatlesか、グループサウンズから影響を受けていたのかはわかりませんけど、髪の長いバンドマンの絵を描いてました(笑)。当時から音楽にもロックバンドにも興味があったんでしょうね。実際、今でもベースという楽器がすごく好きだし、どんな音楽でもベースの音色、フレーズに耳がいきますし、ベースによって生み出されるグルーヴが好きなんです。でも小学校の卒業文集では、「将来の夢:プロ野球選手」って書いていました(笑)これも当時、父が裁判所の野球チームの監督をしていたので、その影響もあったんだと思います。
──「巨人、大鵬、卵焼き」という流行語もあるくらい、野球人気があった時代ですよね。つまり多くの同世代の人たちと同じような大衆文化に触れて育つ中で、自然と音楽に興味を持ったということですね。
そうですね。あとラジオが好きだったので、小学生の時は、歌謡曲や洋楽のトップ10のような番組をよく聴いてましたし、中学生くらいからはよく深夜ラジオを聴いていました。当時だとビートたけしさんとかタモリさん、そして中島みゆきさんもパーソナリティだった「オールナイトニッポン」を特によく聴いていて。ラジオのパーソナリティに憧れたこともありました。
──最後に「歌」について改めて聞かせてください。ブログで、音楽を聴いて心動かされる人の思いがあるから、歌い続けられるといったことをつづっていました(参照:僕が歌い続ける最大の理由 | 龍玄としオフィシャル・ブログ Powered by Ameba)。
聴いてくださる方が僕の歌に何かを感じてくださって、必要としてくださる。何かの、誰かの役に立っていると自分自身が感じられることは、大きな喜びだなと思います。それが僕の「歌う意味」。それが「今を生きる」ということなのかもしれないなあと思います。
──Toshlさんにとって自分の気持ちを一番に表現できるのはやはり歌ですか?
そうですね。絵も表現手段の1つではあると思いますが、長年にわたり付き合い続けてきた「歌」が自分自身を一番表現できるものだと思います。「歌」に救われ、「歌」に苦しめられ、「歌」に笑い、「歌」に泣いた。歌い続けて半世紀。僕にとって「歌」は人生そのものです。
──創作活動の幅が歌以外にも広がってきていることもあって、これからどんな表現をしてくれるのか、楽しみにしています。
クリエイティブという面で話しますと、実は僕の祖父が畳作りの職人だったせいか、職人気質の方と一緒にお仕事をするのが好きなんです。自分を虚飾でよく見せることよりも、作品で勝負する。嘘偽り、ごまかしが通用しない真の価値観を持つ人々。ここ数年、僕が出会ってきた方々は、羽生結弦さんをはじめとして、総じて、自分に厳しく、他者に優しい。努力を怠らず、常に自身も作品もひたむきに磨き上げ続けるような、謙虚で、人間味も才能もある匠たち。今回のレコーディングで献身的に制作に尽力くださったレコーディングのスタッフも、己の仕事に責任とプライドを持って真摯に取り組む“THE仕事人”ばかりでした。だから、厳しくも明るく、クリエイティブなエネルギーに満ちた充実のスタジオワークでした。本当に楽しかったです。心から感謝しています。そんな人として尊敬できる方々に学ばせていただきながら、これからも面白そうだと思ったことにはどんどん挑戦していきたいと思います。
プロフィール
Toshl(トシ)
1992年にシングル「made in HEAVEN」と同名のアルバムをリリースし、ソロ活動をスタートさせる。2010年に名前を「Toshl」と改めて以降、精力的に活動を行っている。近年では「ミュージックステーション」でのカバー曲企画などで注目され、ファン層を拡大。2018年11月にカバーアルバム「IM A SINGER」シリーズの第1弾、2019年12月に第2弾を発表し、2022年9月に約3年ぶりとなる新作「IM A SINGER VOL.3」をリリースした。「龍玄とし」という名義でも活躍している。
Toshl Official WEBSITE 武士JAPAN
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