斉藤由貴|水のようにしなやかに美しく 武部聡志と奏でる「水響曲」に刻まれた今の声

自分でもちょっと照れくさい

──レコーディング中、武部さんからボーカルについてのディレクションはありましたか?

1曲ごとにありました。ある程度は任せていただきつつ、要所要所で俯瞰的な視点で手綱を引いてくださるというディレクションでしたね。例えば、私がついぽつぽつと歌いがちな箇所があると「そこはもっときちんと発声して。特にAメロ、Bメロは言葉を途切れさせないで」とか「そこは感情や表情を表現するよりも、きちんと歌として聞こえた方がいいよ」とか。

斉藤由貴

──例えば「卒業」の「冷たい人と言われそう」のあたりが少しフェイクする感じや、「白い炎」の「雪になります」の語尾の消え入りそうに儚いニュアンスや、「MAY」の「この鳥カゴをこわして」の語尾の情念的な歌い方は、オリジナルバージョンと異なります。これらは現在の斉藤さんの解釈なのでしょうか?

狙ったわけでもなくて、一生懸命歌ってみたら自然とこうなったという感じですね。そう指摘されると、普通に走ればいいカーブをドリフト走行しちゃったような気恥ずかしさがあって、自分でもちょっと照れくさいですね(笑)。そういう箇所もあえて武部さんは金魚すくいみたいにシュッと拾ってくださいました。自己満足や自己陶酔みたいなボーカルは排除して、歌のフラットさを維持させつつも、デリケートな表情の機微は逃さないという。あの怜悧な客観性が武部さんの名プロデューサーたる所以なのでしょうね。

──なるほど。ただ、1人ぽつんと佇むような孤独から歌われるような曲が多い斉藤さんですが、過去の楽曲からも“自己満足”や“自己陶酔”というのはそれほど感じられなかったというか。アルバムごとに独自の世界は構築されてきましたが、シンガーの斉藤さんと、それを俯瞰で見る素の斉藤さんとの距離がどこか保たれていたような気がするのですが。

自分ではあまりよくわかりませんが……そこはもしかしたら、私が昔から周りの人の意向を尊重したいという気持ちが強かったせいなのかも。自分の周囲にいてくれたスタッフや作家の方々が本当に大好きだったから、皆さんの声を聞くことで、自然と自分本位な作り方にならず、作品と自分との距離もなんとなく保たれていたのかもしれません。

信頼の置ける大御所たちとの思い出

──それにしても改めて本作収録曲の作家陣を振り返ると、松本隆さん、筒美京平さん、森雪之丞さん、銀色夏生さん、玉置浩二さん、谷山浩子さん、原由子さんなど、やはりそうそうたる顔ぶれですね。

本当にありがたいです。でもデビューのときは18歳でしたし、当時はその偉大さやありがたみがまだよくわかっていませんでしたね。

──中でも直接的な親交があったのは松本さんと谷山さんでしょうか?

はい。そこは当時のディレクターの長岡和弘さんのおかげだったと思うんですけど、お二人ともいろいろな場面に付き合ってくださいました。河口湖のスタジオで泊まり込みのレコーディングをしたときも、松本さんはカッコいい黒のポルシェで駆け付けてくれて。昼ぐらいに起きてきてずっと小説を書いていたり、ただ寝ているだけみたいなときもありましたけど(笑)、いつも一緒にいてくださいましたね。谷山さんもたくさんいらしてくれて、やっぱり夕方6時くらいに起きてきたりするんですけど(笑)、私の感覚としては大切な身内というか、本当に信頼の置ける方々との大好きな時間でした。

──本作収録の「さよなら」をはじめ、のちに斉藤さんご自身も作詞を始められました。そこは松本さんや谷山さんからの影響も大きかったのでしょうか?

そう思います。お二人の詞作には本当に毎回強く感銘を受けていましたから。

──「さよなら」を作詞された当時のことは何か覚えていらっしゃいますか?

この曲は、映画「『さよなら』の女たち」(1987年公開)の主題歌という企画ありきの作詞依頼でした。若かったせいか、「うわ、プレッシャーだな」といった不安もあまり感じず、決定事項としてフラットに引き受けたような覚えがあります。あとは作詞を始めたばかりの若輩者ながらも、「さよなら」というタイトルだからこそ、その向こうにつながっているはずの始まりや出会いが感じられるような、幸せな気持ちになる歌詞にしようと思った記憶があります。

斉藤由貴

今を生きることを大切にしたい

──近年、斉藤さんは、「女優業は天職と言いたいくらい好き」と発言されていますが、音楽については?

女優のお仕事には演じる役名がありますが、当然、歌は自分のままですから、自己陶酔も自己満足もカッコ悪いところも無様なところも稚拙なところもすべてが出ます。自分の人生を、その時々で形にしてきたというか。アイドル時代も、音楽と触れ合う時間だけは、無限列車の車窓から「ハァーッ」と大きく深呼吸をするようなひと時だと感じていました。歌番組は最初から「自分の居場所じゃないな」と感じていたので大の苦手でしたが、歌の制作やレコーディングを仕事と捉えたことはほとんどなかった。そこは今でも変わっていませんね。

──そういえば斉藤さんは1994年の11thアルバム「moi」を最後に、2010年の「何もかも変わるとしても」までしばらくリリースがありませんでしたが、この16年間の空白の理由はなんだったのでしょうか?

自分で遠ざけていたわけでもなくて、なんとなくご縁がなかったんですよね。ただ、今になって振り返れば、レーベルの方々も会社員だから配置換えだってあったし、アイドル的な人気も落ち着いた頃には売上も下がりましたから、そうした中で自分に少し迷いも生じていたのかもしれません。私はデビューからずっと同じ事務所で、昔なじみのスタッフもいてくれているというありがたい環境で活動しているんですが、16年の間、暗黙の了解のように見守ってくれていたスタッフには頭が上がりません(笑)。

──本当に音楽については気持ちが第一というか、仕事という感覚ではないんですね。

そうですね。毎回ライブの構成もミュージシャンの皆さんと相談しながら自分で決めていますが、どちらかと言えば、「こうすればお客さんが喜んでくれるかな」ではなく、心から「私は今これがしたい」と思うことを形にしている気がします。ある意味、お客さん寄りの制作ではないのかもしれないけれど、言い換えれば歌への気持ちや動機は昔も今もかなりピュアなので、「よかったら聴いていただけたら」という思いです。

──新たなオリジナル楽曲も期待してしまいますが、最近、作詞については?

いつもノートは持ち歩いて、思い付いたときにちょっとした文章を書いています。ただ作詞に結び付くほどのものではなくて。私、未来の活動のビジョンというものがまったくないんですよ。だから自分がこのあとどうなるかも想像がつかない(笑)。これからも心がワクワクするような作品や心が震えるような役と出会えて、本当にそのときの自分の心が震えるような音楽世界の中で歌を歌えたら、もうそれで十分というか。

──なるほど。

ただ、最近よく思うんです。「人生って、意外と長いなあ」って。昔の平均寿命で考えたら、50代ってけっこういい歳じゃないですか。病気を患うとか、体が動かなくなるとか、これからいろいろな苦労も待ち受けているのかもしれないけど、あまり考えすぎて不安を抱えるのもよくないし。それよりも今を生きることを大切にしたいというか。

斉藤由貴

──それはコロナ禍を受けて殊更にそう感じられたのでしょうか?

いえ、もちろんコロナ禍は深刻ですが、「コロナのせいで自分の考えが大きく変わった」とかそういうことではなくて、あくまで自分の年齢と残り時間への意識ですね。人生ってコロナ以外にも何が起こるかわからない。コロナばかりにあまり心を振り回されすぎないようにして、日々の一瞬一瞬を一生懸命に生きて、できるだけ自分のものにしていきたくて。自分には何が似合っているのか? 自分には何が大切なのか? どんな姿が一番自分らしいのか? そうした1つひとつに対して、真剣に向き合って生きていけたらと思います。

──これからも斉藤さんの歌が聴けるのを楽しみにしています。

ありがとうございます。でも、そういえば去年の35周年コンサートのとき、MCで「40周年はないと思います」って言っちゃったんです。

──またどうしてそういう余計なひと言を(笑)。

「もしかしたらこれでおしまいかも」と思って全力で歌ったので、つい。でもまたいいご縁や流れがあれば。

──じゃあここから5年、「まだですか?」と催促し続けますので。またのご登場もお待ちしています。

ありがとうございます。

ライブ情報

斉藤由貴 ~Billboard Live Tour "水響曲" featuring 武部聡志~
  • 2021年3月6日(土) 大阪府 Billboard Live OSAKA [第1部]OPEN 14:00 / START 15:00
    [第2部]OPEN 17:00 / START 18:00
  • 2021年3月28日(日) 神奈川県 Billboard Live YOKOHAMA [第1部]OPEN 14:00 / START 15:00
    [第2部]OPEN 17:00 / START 18:00
  • 2021年4月2日(金) 東京都 Billboard Live TOKYO [第1部]OPEN 14:00 / START 15:00
    [第2部]OPEN 17:00 / START 18:00