斉藤和義×小泉今日子|1966年組はこの時代に何を思うのか?第一線を走り続ける2人の自負

斉藤和義が21枚目のオリジナルアルバム「55 STONES」をリリースした。

アルバムタイトルは、斉藤が35歳で発表した「35 STONES」、45歳で発表した「45 STONES」を経て、今年55歳になることから名付けられた。コロナ禍の中で制作が進められた本作には、斉藤が2020年に感じたリアルな思いが歌詞やサウンドに込められている。

そんなアルバムの発売を記念して、ナタリーでは斉藤と同じ1966年生まれの小泉今日子との対談を企画。斉藤が小泉に曲を提供するなどかねてから縁のある2人は、50代半ばを迎えこの時代に何を思うのか。率直な言葉で語り合ってもらった。

取材・文 / 大谷隆之 撮影 / 岩澤高雄

子供心にYMOで感じた新しい時代

小泉今日子 こんにちは。ずいぶんおひさしぶり……ですよね?

斉藤和義 うん。最後にお仕事したのは、「ホノカアボーイ」って映画の主題歌をレコーディングしたときだから。

左から斉藤和義、小泉今日子。

小泉 「虹が消えるまで」。じゃあもう10年以上前だね。去年は同じ配信ライブに出演する機会はあったけど、リアルでは長く会ってなかったんですね。時間が経つのは早いなあ。

斉藤 この年齢になるとね(笑)。どんどん早く感じられる。

小泉 でも斉藤さん、変わらないですね。見た感じ、歳も全然取ってない。

斉藤 いやいやいや! そりゃ小泉さんこそ、ですよ。

──小泉さんと斉藤さんは、同じ1966年生まれ。本日は“今年55歳コンビ”のお2人にいろいろお話を伺えればと思います。まず斉藤さんのニューアルバム、その名も「55 STONES」についてですが……。

小泉 聴かせていただきました。すっごいよかった!

斉藤 あ、ありがとうございます。そっかそっか。うれしいな。

小泉 今回、1曲目がYMOのカバーじゃないですか。もうその時点でびっくりして、うれしくなっちゃったんですよね。「へえ、アルバムのオープニングでこれやるんだな」と思って。いい感じで肩の力が抜けてるっていうのかな。今の斉藤さんの自由な感じが伝わってきました。

斉藤 去年は自粛要請で、家にいなきゃいけない時間が長かったでしょ?

小泉 うん、うん。

斉藤 ヒマにしてるとやっぱり、気分が落ち込むので。機材についてちゃんと覚えようと思ったんだよね。これまでもアナログシンセとかリズムボックスを使った1人多重録音はやってたんですけど。俺、けっこう機械オンチで。レコーディングについては見よう見まねの部分も大きかったから。

小泉 そうなんだ。

斉藤 なので、自宅に置いてある機材でとりあえず何か録ってみようかなと。真っ先に思い浮かんだのがこの曲だったんだけど、練習のつもりで始めたらどんどん楽しくなってきちゃった。

小泉 それで1曲目に入れたんですね。でもYMOの曲はいろいろあるけど、どうして「BEHIND THE MASK」を選んだんですか?

斉藤 なんでだろう。坂本龍一さん作曲なんですけど、たぶんコード進行とかがロックっぽいからかな。メインのメロディもギターで弾きやすいし。これをシンセサイザーじゃなくバンド編成の楽器で演奏したら面白いかなと。それで全パート1人で録音しました。もちろん、「BEHIND THE MASK」が収録されているYMOの2枚目のアルバムはどの曲も全部好きですけど。

小泉今日子

小泉 「SOLID STATE SURVIVOR」は衝撃だったもんね、私たち世代にとっては。子供心に「わあ、こんなサウンド聴いたことない。新しい時代が始まったんだ!」ってワクワクしたのを覚えてます。

斉藤 我々が中1、中2の時期ですよね。あのアルバムはホント、友達みんな聴いてた。1曲目の「テクノポリス」が、いきなり「TOKIO、TOKIO」っていう変な声から始まるじゃない。ボコーダーでテクノっぽく加工された。

小泉 そうそう! 私の中では、あれで一気に80年代が始まったの(笑)。

斉藤 実際、“東京=最先端の都市”というイメージが生まれたのは、あの曲の影響が大きいと思うんですよ。80年代の日本人にとって、それくらい大きな存在だった気がする。心の持ちようという意味では。

小泉 ホントに。私もそう思います。

斉藤 そんなことを考えたのもあって、ここ数年、改めてYMOの作品を聴き直していたんですね。そうすると当たり前だけど、どれもクオリティがすごいのね。今回カバーした「BEHIND THE MASK」も、YMOの楽曲では比較的シンプルな部類ですけど、それこそボコーダー部分のフレーズとか、最初はコードが全然わからなかった。ネットでいろいろ調べたら「ああ、そういう構成だったのか」って腑に落ちて。新たな発見もありました。

小泉 去年はコロナでみんな本当に大変な思いをして。今もまだ厳しい状況が続いているでしょう。でもステイホームという時間がなかったら、こういった試み自体、生まれなかったかもしれない。

斉藤 ああ、そこは絶対そうですね。

斉藤少年の部屋がイメージできちゃう「55 STONES」

小泉 個人的には「55 STONES」というアルバム全体に、原点回帰じゃないですけど、何か無垢なものを感じました。斉藤さんの素が出てるっていうと、ちょっと短絡的かもしれないけれど。でも、それこそ中学時代に新しい音楽と出会って、初めてギターを手にしたときの高揚感とかね。その頃の斉藤少年の部屋とかが、自然とイメージできちゃう感覚があった。

斉藤 はははは(笑)。恥ずかしいけどうれしいっす。

小泉 ライブができなくなったり、ミュージシャンの方々も本当に大変な状況だったけど、このアルバムはそうやって楽しみつつ作ったのかなって。勝手に想像しながら聴いてたんです。

斉藤和義

斉藤 バンドメンバーと録音した曲も2つくらい入ってますが、それ以外は全部1人の宅録でしたからね。スタジオと違って、時間制限もなかったし。音質もデモテープに毛が生えた程度でいいやって割り切ってたので。その意味では今回、自粛期間があったおかげで自由に作れたのはあったと思う。あとはガレージでギターを手作りしてみたりね。

小泉 歌詞にも出てきますよね。「2020 DIARY」の最初のところ。

斉藤 そうそう。これまで忙しくてできなかったことに、いろいろチャレンジできた。まあ、そうは言っても2020年の特に前半は、予定していたアルバムツアーがどんどん延期、中止に追い込まれていって。スケジュールにバツ印を付けつつ、どこか凹んでる自分もいたりして。曲を作ると、自分でもそれがよくわかりました。なんというか、いろんな感情が入り混じった感じが。

小泉 うん。それも聴いていてすごく感じたなあ。ちなみに手作りのギターは仕上がったんですか?

斉藤 ええ。全部で4、5本作ったかな(笑)。自分でボディやネックを切り出して、ヤスリをかけて色を塗って。

小泉 へえええ、すごい! そんなところから自分でやったんだ。

斉藤 もう実際弾いてるギターもありますよ。ものによってはガレージの壁に立てかけたまま、「ここの塗装はもう少しこうすべきだったな」って眺めてるだけだったりするけど。そういうのもまた楽しいんだよね。