リュックと添い寝ごはん|3人の素直な思いを、より大きな世界へ

3人で理想の景色を共有している

──「時間」という点で、僕はリュックの音楽を聴くとすごく感じるものがあって。僕は「neo neo」を聴いている間、時間の流れが変わるような印象があったんです。先日のKALMAとの対談のときに「冬に出す作品なのに、夏の曲が多くなった」とおっしゃっていましたけど(参照:KALMA×リュックと添い寝ごはんインタビュー)、いわば現実の時間軸とは違う時間の流れを生み出すような作品だと思うんです、この「neo neo」は。

松本 確かにそういう部分はあるかもしれないです。このアルバムの曲……例えば「海を超えて」とか「渚とサンダルと」、あと「ホリデイ」なんかは、自分のイメージした景色に近付くために、歌録りのときに海の音を流してもらったりしたんです。真冬に出るアルバムなのに(笑)。そのくらい、このアルバムの曲を作っているときは、ずっと自分の中で憧れも含めて、夏のフェスみたいな開放的なイメージが流れていたんですよね。

──なるほど。

松本 それに、この3人で理想の景色を共有することもあるんです。例えば、YouTubeで好きなアーティストのライブ映像をシェアし合ったり。昨日はgo!go!vanillasさんのライブに3人で行ったんですけど、そうやって一緒にライブの景色を見て「あんな場所でこんなことがやりたい」みたいなことを常に考えて共有しようとしていて。

──理想とする情景を共有するのは、3人で齟齬なく、すんなりといきますか?

松本 どうだろう?

堂免 僕らが曲を作るときって、まずはユウが「こういうイメージで」っていうテーマをくれるんですけど、それがかなりアバウトなんです。歌詞もあとで乗せるから、曲を作っているときに見えているものって、ユウから曲と一緒に出てくる「海」とか「少女」とか「自転車」みたいな単純な単語から思い浮かぶものでしかなくて。固まったイメージを全員がピンポイントで想像するというよりは、メンバーそれぞれが曲に対しての景色を思い浮かべながらフレーズを乗せているんですよね。なので、もしかしたら「少女」とか「海」とかそういう言葉に対して、僕らはユウが思い描いているものとはかけ離れたイメージを抱いているかもしれない。でも、それゆえの共有のしやすさがあるというか。

──なるほど。全員が同じイメージを抱いているというよりは、松本さんが最初に生み出すものに想像の余地があるからこそ、共有できるものがある。そうした曲の作り方は、ずっと変わっていないですか?

松本 そうですね。まずは僕が弾き語りの状態のものを2人に送るんですけど、それはほとんど歌詞も乗っていない、ラララで仮歌を乗せている状態で。その弾き語りと、自分がYouTubeや実際に観たライブ、あとは映画とか音楽とか、そういうものから思い浮かべたテーマや情景を伝えて、そこから先はそれぞれに任せるっていう感じです。例えばテーマが「高円寺の少女」だったら、それ以上の説明をせず、そのテーマをもとにみんながフレーズを付けてくれるんです。

──最初にある漠然とした情景から、歌詞はどのように描いていくんですか?

松本 先に情景があって、「その情景にいる少女」とか、「その情景にいるカップル」みたいな感じで、より深い設定を作っていく感じですね。

ユウくんはすごく寂しがり屋

──「neo neo」の歌詞を全体的に見ていると、根底には悲しさや不安みたいなものが確実にあるんだけど、それでも、小さくてもいいから、確かな幸せを感じながら生きていこうとする人々が描かれているような気がしました。歌詞を書くときに、自分の描きたいものは明確にありますか?

松本 そこまで意識しているわけではないんですけど、今回、歌詞を書いたのが自粛期間だったので、無意識的に歌詞に表れているものはあるのかなと思います。主人公は別の人にしているけど、自分の心の中をその主人公で例えている感じ、というか。

──だとすると、この「neo neo」というアルバムは、コロナの自粛期間があったからこそ生まれたアルバムとも言えますか?

松本 そうですね。自分を見つめ直すきっかけになったので。コロナがあって、自粛期間があったからこそできたアルバムだと思います。

──自粛期間を通して、松本さんは自分をどんな人間なんだと思いましたか?

松本 うーん、どうだろう……歌詞を書いていて思うのは、自分は寂しがり屋なのかなって。自粛期間中にそれがすごく露骨に出たのが、電話ですね。

堂免宮澤 ふふふ……(笑)。

──意味深な笑みを浮かべていますけど、堂免さんと宮澤さん、思い当たることがありますか?

堂免 ユウからの電話は、そりゃあもうすごいんですよ。

宮澤 みんなで電話しているときも、ユウくん、自分の声はずっとミュートにしてそこにいるだけ、みたいなときもあるんですよね。

──ええ!?

宮澤 言葉ではなく“人”を感じたいのかなって思うんですけど。ホント、みんなで電話をすると誰もしゃべれない時間もあって。気持ち悪いよね?(笑)。

堂免 うん(笑)。結果、1週間で通話時間が100時間近くになったこともありました。

──100時間! 松本さんは、そういう時間が必要だったんですか?

松本 そうですね。あの自粛期間は特に「心のどこかで誰かとつながっていたい」と思っていたんですよね。

宮澤 普段はあんまり表に出さないけど、ユウくんは、すごく寂しがり屋なところがあるんだなって思います。

リュックと添い寝ごはん

日常に寄り添ってくれる温かさがある音楽が好き

──「neo neo」はどんな作品にしたいと考えながら、制作に入りましたか?

松本 タイトルに表れているんですけど、自分たちの新しい側面とか、自分たちがこの先やっていきたい音楽が形になればいいなと思っていましたね。

──これまでのインタビュー記事でも、「ネオ昭和」というキーワードや、「野外のライブが似合う曲を作りたい」という意志は語られていましたけど、結果として、今作は非常にリズムが多彩な作品になりましたよね。具体的にどのようにして、新しい音楽性を自分たちの血肉にしていったのですか?

松本 自粛期間中にいろんなものを共有したのが大きかったのかなと思います。YouTubeのリンクを共有したり。あと、面白い映画を薦め合ったりもしました。例えば「23」は、みんなで「ジャージー・ボーイズ」っていう映画を観たんですけど、その映画の中に、バーで演奏しているシーンがあるんですよね。それがすごくカッコいいなと思って、そういう空気感のある曲を作りたいと思って作った曲なんです。なので、この曲はスタジオの部屋を真っ暗にして、バンドで円になって音を録ったんです。ベースもSGベースっていうのを使って、クリックも聴かずに録って。テイクも3テイクくらいで終わったんです。空気感を閉じ込めたかったんですよね。

──なるほど。

松本 あと、自粛中は「最近こういうのを聴いている」とそれぞれが作ったプレイリストを送り合ったりもしたんですけど、それも大きいと思います。そのプレイリストには、ジャズとかカントリーとか、もうぐちゃぐちゃにいろんな音楽が入っていて。

──そこには、最初に少し話に出た歌謡曲なんかも入っていた?

松本 そうですね。松田聖子さんやユーミンさんのような歌謡曲とか、あとははっぴいえんどから派生して、細野晴臣さんや大瀧詠一さんとか。皆さん、日常に寄り添ってくれるような温かさがある音楽だなって思います。

宮澤 人間的な温かさがあるよね。

松本 洋楽だと、ストロークスさんとか、フラテリスさんとか、ビートルズさんとか……「さん」づけしちゃったけど(笑)。

──(笑)。今回の「neo neo」は、サウンド的にもはっぴいえんどからネバヤンへと続く日本語のロックミュージックの流れを感じますけど、歌詞にもその影響は見られますよね。例えば「ホリデイ」の「雨の日でも窓を開けていたい」「息を止めて 雨を感じるの」「屋根に落ちる音が気持ちいいな」「自転車が少し錆びたんです」という部分。小さな幸せと、その裏側にある侘しさを感じさせる素敵な歌詞だなと思うんですけど、「~なの」と「~です」という語尾がまたいいなと思ったんです。

松本 確かに、そこはずっと考えて書いた部分でした。「ホリデイ」は少女の主観でつづった歌詞で、だから「~なの」っていう語尾で書いているんです。あと、僕は「ですます調」が好きなんですよね。憧れもあるし、なんだかわからないですけど、温かい感じ、より「近い」感じがするんです。気取っていない感じがするというか。