がんばりは未来につながります
──2曲目の「Get Over」はグルーヴィなR&Bチューンです。
韓国で制作した作品を含めて、ソロの曲の中ではかなりレアな曲調だと思います。
──正直びっくりしました。
ほとんどバラードでしたもんね。このミニアルバムも「Get Over」以外は落ち着いた曲調ですし。ただ今回はちょっと明るい感じも入れたかったんです。僕の中にある「がんばっていこう」という側面もファンの皆さんは待っていてくれたと思ったので、この曲をセレクトしました。
──個人的にはこういう曲をもっと聴いてみたいです。
実はもう1曲、もっとアップテンポなダンストラックがあったんです。でも今作に入れるにはちょっと唐突すぎる気がしたので、ミディアムなR&Bの「Get Over」を収録曲に選びました。ダンストラックのほうはまた別の機会に皆さんにお聞かせできたらいいなと考えてます。
──「Get Over」には「Let's get over どんなつらい毎日が来ても Never give up」という歌詞があります。ユチョンさんはこれまでさまざまな困難に直面してきました。そしてファンの皆さんの中にも、何かの問題や壁を乗り越えるべく戦っている人がいると思います。ユチョンさんはこれまで大変な場面をどのように乗り切ってきたんですか?
若い頃はいっぱいお酒を飲んで、無理やり忘れてました。でも最近は自分の仕事にとことん集中することにしています。そうするとほかのことを考えずに済むので。それに、ひたすらがんばることはよりよい未来につながります。そこに幸せを感じるようにしていますね。
──ご自身では、自分のことをどんな性格だと思いますか?
難しいですね……。多少のアップダウンはありますが、どちらかと言えば前向きなほうだと思います。あと今は日本での活動に向けて努力しているので、ネガティブな感情はありません。
演歌の時代から日本の歌が好き
──本作にはHYさんの「366日」のカバーが収録されていますが、これはユチョンさんが選曲されたんですか?
この曲はスタッフの皆さんが10曲以上セレクトしてくれた中の1曲です。すごくいい曲だし、僕の声に合うと思ってカバーさせていただきました。歌っていて楽しい曲ですね。
──玉置浩二さんの「メロディー」もカバーされています。この曲を歌うのは難しくなかったですか?
僕はもともと玉置浩二さんの大ファンなんです。だから難しさよりも大好きな歌をカバーできる楽しさのほうが勝っていましたね。何度もオリジナルを聴いて練習しました。玉置さんの歌に込められた感情が素晴らしいので、それを僕なりに解釈して。この曲はサビ前までは感情が抑制されていて、サビで一気に放出されます。そこをうまく表現できるように一生懸命歌いました。ちゃんと歌えていないと失礼になるので……。皆さんにも僕なりの「メロディー」の感情が伝わったらうれしいですね。
──韓国のシンガーの方に取材すると、よく玉置浩二さんの名前が挙がります。韓国でも人気なんですか?
もちろんですよ! 安全地帯としてもソロアーティストとしても韓国ではものすごく人気があります。
──1990年代後半まで、韓国では日本の芸能コンテンツを放送することが禁止されてましたよね? 皆さんどうやってJ-POPにアクセスしていたんですか?
例えば友達のお父さんが仕事で日本に行ったときにCDを買ってきてくれて、それをみんながカセットテープにダビングしたりしてましたね。というか、韓国人は演歌も含めて昔から日本の歌が大好きなんですよ。
──当時はほかにどんなアーティストが人気だったんですか?
X JAPANが本当に人気でした。みんな大好き。僕はその頃アメリカにいたんですけど、X JAPANは自然と耳に入ってきたし、大好きなアーティストです。当時は歌詞が読めないから、詞を韓国語に起こしてカタコトで歌ってました(笑)。友達もみんなX JAPANに夢中でしたね。
──ちなみにユチョンさんはアメリカのどちらにお住まいだったんですか?
バージニア州です。
──東海岸のヒップホップが盛んな土地ですよね。
はい。ヒップホップを好きな人も多かったけど、僕はなぜかX JAPANに惹かれましたね。特にhideさんの大ファンでした。
──僕の友人は2000年代後半に、深夜にたまたまテレビ番組で観た東方神起のユチョンさんに衝撃を受けて、それまでまったく興味がなかった韓国にハマり、今は日韓のアンダーグラウンドミュージックの橋渡しになるような仕事をしているんです。
え、当時の僕を観て?
──はい。ユチョンさんは日韓の文化交流を語るうえで、ものすごく重要な存在です。
そんなふうに言っていただけるのはすごくうれしい。そういう歴史の中に自分が入っているというのも光栄です。
──昔の話を伺いたいんですが、ユチョンさんが東方神起として日本で活躍していた時期はK-POPという言葉はなかったですよね?
はい。むしろ東方神起はJ-POPとして日本デビューしてます。だから今のK-POPとは全然違う。僕らが東方神起としてデビューして、何年かしてファンの皆さんに聴きたい曲を募集したんですよ。そしたらほとんどが日本オリジナル曲でしたね。
──“J-POPを歌う韓国人グループ”だったんですね。
しかも最初は本当に売れなかったんですよ(笑)。
──意外です。
すごく昔のことなので正確には覚えてないんですが、2枚ほどシングルを出したのにほとんど反応がなくて、日本のレコード会社から契約打切の噂が聞こえてきたんです。そこで「じゃあもう1曲だけ」と言って出した曲がオリコンチャートに入ったんです。そこから少しずつ知名度が上がってきて、僕らも日本全国でイベントをしたり、いろんなラジオに出演したりして。
──そんなユチョンさんが「K-POP」を意識したのはいつ頃ですか?
僕はその点はあまり考えたことがないんです。「韓流」って言葉はあったけど、それはむしろドラマ作品に使われてるイメージでしたし。当時の僕はただただ必死だったんです。韓国よりも日本で活動してる時間が長かったと思います。それでも日本の歌番組に出るのにはかなり時間がかかりました。
──当時はまだ韓国のコンテンツに対する風当たりが強い時期でしたもんね。
実はそれもあまり意識してなくて、とにかくひたすらがんばってました。それだけ。いろんな誘惑があったけど、そんなことを考える暇がないくらい、必死で活動してました。
──2024年から顧みると、その活動のおかげで現在さまざまなK-POPグループが日本で活動できていると思います。
僕らはラッキーだったんです。でもそう言っていただけるのは本当に光栄です。
──では最後の質問です。ユチョンさんの日本での活動に対する目標を教えてください。
日本武道館に立ちたいです。5人でコンサートをしたことはあるけど、1人だとどんな景色が見えるのか、どんな気分になるのか。まるで想像できません。武道館はとても意味のある会場ですから。あとアルバムも出したい。そのためにも「Where I Walk」をいろんな方に聴いていただきたいです。このインタビューを読んでる人の中には僕のことをよく知らない人も多いと思うけど、本当にがんばって活動していくので、これからも応援してもらえるとうれしいです。よろしくお願いします。
プロフィール
PARK YUCHUN(パク・ユチョン)
1986年6月4日生まれ。幼少期をアメリカ・バージニア州で過ごす。2004年から2009年にかけて東方神起のメンバーとして活動した。現在はソロアーティストとして活動しており、2023年には3年ぶりの来日イベント「Happy New Year, Best Wishes From Yu Chun」を開催し、2024年9月には日本デビューを発表。同年12月にデビューミニアルバム「Where I Walk」をリリースし、東京、大阪、福岡、横浜をめぐるZeppツアーも開催した。
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