“恥ずかしいもの”がある種の輝きを放っている
──このアルバムを出しても、現時点ではなかなかライブで曲を披露することが難しい状況にあります。それについてはどうお考えですか?
今までのやり方ではできないですけど、配信と若干のお客さんを入れる形でのライブをやるつもりではいて。そこに向けて準備をしていこうという状態ですね。
──ライブはお好きですか?
好きですね。ちゃんと準備をして、自信があるときは好きです。
──例えば昔の曲がたくさんある中で、今でもライブで歌う曲もあれば全然やらなくなる曲もありますよね。その差はどこにあるんでしょう?
自分が今でもその曲を好きかどうかということですね。自分がちゃんと歌えるかどうか。もちろん、これは恥ずかしいなと思う曲は歌えないですし。今でも自分が心を込めて歌えるかどうかというところです。
──例えば、ミック・ジャガーが「俺は満足できないぜ」と10代20代の若い頃に歌うのと、70歳を過ぎた今歌うのとでは全然違うと思うんです。でもミック・ジャガーは今でも必ず歌いますよね。そこにお前の思いはあるのか、というのは常に論議されるところではあるんですが。
でもやっぱりそれが“名曲”ということじゃないですかね、きっと。多分、70歳のおじいちゃんになったミック・ジャガーが“満足できない”ものをその歌が表現していて。そういうものだったからこそ、名曲というか。芯を貫くような強さがその曲にはあったということじゃないでしょうか。
──今となっては恥ずかしくて歌えなくなった曲は、表現の方法が稚拙だから恥ずかしいということではなく、自分の今の考え方とはかけ離れているからということですか?
いや、表現が稚拙だからじゃないかなと思いますね。早とちりしているというか。ノリで書いていたり、雑だったりする。でも思い自体が全然わからないというわけではないんです。
──常に自分自身に正直に書いてきたという実感はありますか?
嘘はついてないけど、調子に乗っているというか。演技でもないし嘘でもないんだけど、虚勢を張っているということはあります。
──今の小山田さんからは想像もできないですけど、やっぱり若い頃は虚勢を張っていることもありましたか?
めちゃくちゃありました。オラついてるとか。それが形になってるから、自分のいいところも残るんだけど恥ずかしいところも残る。そういう部分だけ見るとそういう恥ずかしい表現をしてない人に対してうらやましく思う部分もあります。でも、今から自分を知る人たちも、そういう恥ずかしいと思っているところから入ってきたりもすると思うんですよ。
──下手したら、その恥ずかしいところが一番いいとか言われたりも……。
そうなんです。それを否定したくはないし。逆にいい思いをすることもあるんですよね。
──その気持ちはよくわかります。
そういう恥ずかしいものがある種の輝きを放っているところはあるだろうし。自分では自身の表現に関して悪いところや恥ずかしいところに目がいきますが、人は多少の悪いところには目をつぶってくれるというか、一番グッとくるピンポイントな部分だけ見ていたりするから。だから人から見たらまぶしく見えるっていうことはあるんじゃないかなと。
ライブで味わった絶頂
──のちのちまで残るのがいい曲、というお話が先ほどありました。このアルバムの曲が10年後、20年後にどういう聴き方をされるか今知ることはできないわけですが、残るためには何が一番大事だとお考えですか?
それは自分が知っていることだと思うんですよね。自分の中で、例えば1年間ずっと大好きだったと思える曲は残っていくと思います。というか、そういう基準でしか考えられないものではあると思うんです。だからほかを意識して作る曲はどこかでエネルギーが低下してしまうんじゃないかな。そういうふうにほかからの影響を受けて作ることもありますけど、それじゃダメだなあと。
──やっぱり自分の内面から自然に出てくる表現が一番だと。
一番じゃないかなと思います。でももしかしたらアンセムというのは、内面と外面の一体化したようなところから書いた曲だったりするのかもしれません。そういうふうに書いた経験もあるんですよ。アンセムになっているかどうかはわからないんですけど、「革命」という曲は自動的に書かれたというか、自分でも他者でもないものに書かされた感じがあって。降りてきたみたいな感覚があったんです。すごく強いものが降りてきたときは、最初から最後までその集中力で書ききる、みたいなこともあるんですよね。そういう部分がどの曲にもちょっとはあるものだとは思うんですけど、「最初から最後までよくわからないものに取り憑かれながら書ききりました!」という曲はなかなかない。
──例えば歌詞も論理的に積み重ねていくんじゃなく、歌詞全部が降りてこなくても、キメの1行が浮かんだら勝ったも同然というような瞬間もあるんじゃないでしょうか?
なんとなくそういう瞬間もあるんですけど、これだけではまだ言い足りない感じがするというか、ぼんやりとした自分の中での到達点ですよね。自分の思いを余すことなく表現できるように、努力しなければいけないとは思っているんですけど。
──曲を書くたびに、「このテーマでは全部言い切った!」という手応えはあるんですか?
曲が完成するときには、そういう手応えがあって終われる曲がほとんどかなあと思います。特に作品にして発表するような曲はそうですね。
──そういう意味で言ったら、今回はかなり満足度が高いんじゃないですか?
そうですね。でもやっぱりレコーディングをすると、プレイの問題で「やっぱりここ、ちょっとやっちゃってるな」というところが気にかかることもあるんですけどね。だから、「ゴール!」という達成感を得たことはないです。
──そういう意味で完璧なものを作るなら、自分で打ち込みの曲を作るしかないですよね。
うん。でも自分が気になる部分って歌が多いんですよね。
──正直、歌も今はいくらでも修正しようと思えばできますよね。
いや、ピッチだけじゃなくてニュアンスとか、そういうところで。どうしてもライブで味わった絶頂のときのことを覚えているとなると、気になるんですよね。レコーディングで同じ状態になるのは無理ですし、ライブと同じようにやってもそれが本当にいいのかどうかもわからないんですけど、「本当はこの曲もっとすごいのになあ」とかそういうことを思ってしまいます。でも、その中で自分が今できるベストを尽くしました。
──それは小山田さんがあまりにも作品のそばにいすぎるから気になっちゃうだけで、時間が経ってある程度距離ができれば変わって聞こえることもありそうですよね。
そうかもしれないです。でも、この間かなり酔っ払って事務所に戻る最中に総武線の車内でアルバムを聴いたら、「最高だ!」と思いました(笑)。
ライブ情報
- LIVEWIRE presents OYAMADA SOHEI LIVE2020
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2020年10月2日(金)福岡県 DRUM LOGOS