OddRe:「THE GOLDEN PROTOTYPE.」特集|バラバラの個性持った3人が提示する“新たな時代のバンド像”

東京を拠点に活動する気鋭の3ピースバンド・OddRe:が11月26日に1st EP「THE GOLDEN PROTOTYPE.」をリリースした。

OddRe:は2024年、ミュージックスクールの⾳楽塾ヴォイスに通うAirA(Vo)、ユウキ サダ(B, Vo)、SOI ANFIVER(G, Composer, Trackmaker)の3人によって結成されたバンド。ブルースロック、ディスコファンク、ヒップホップ、ハウスなど国外のサウンドをベースに、J-ROCKやボーカロイドなど国内のメロディアスかつ変幻⾃在なサウンドを融合させた楽曲で、シーンにおける存在感をじわじわと強めている。

1st EP「THE GOLDEN PROTOTYPE.」は、SOI ANFIVERがバンドのマスターピースになると語る今年6月発表の1st配信シングル「FEVER TIME」や、先日ミュージックビデオが公開されたばかりの「東京ゴッドストリートボーイズ」など計5曲を収録した充実作。2026年2月には東京・WWW Xで初のショーケースライブ「OddRe: showcase LIVE "TAPE:C-46"」の開催を控えており、バンドの注目度がさらに高まっていくことが期待される。

音楽ナタリー初登場となるこのインタビューでは、OddRe:結成の経緯やメンバーの関係性、クリエイティブにおけるこだわり、「THE GOLDEN PROTOTYPE.」の制作秘話についてたっぷりと語ってもらった。

取材・文 / 天野史彬ヘッダ写真撮影 / Suguru Taoka文中カット撮影 / Goku Noguchi

OddRe:が作る新しい時代のバンド像

──まず、バンド結成のいきさつから教えてください。

SOI ANFIVER(G, Composer, Trackmaker) もともと僕とサダが音楽塾ヴォイスの授業曜日が同じで、ロビーで会うことも多かったんです。同い年ということもあって仲よくなって、当時から音楽の話をよくしていたんですよ。サダが「バンドを組みたい」と言ってくれたのがOddRe:を組んだきっかけで。

──言い出しっぺはサダさんなんですね。

ユウキ サダ(B, Vo) 私はバンドをやりたくてヴォイスに入ったんですけど、曲を作ったことがなかったんです。で、ヴォイスに入塾してすぐの頃、ロビーを歩いていたら、SOIが先生みたいな顔でソファーのお誕生日席にパソコンを広げてドンッ!と座ってて。あからさまに大御所感というか、ボスみたいな雰囲気を出していたんですよ(笑)。「こんなヤツが生徒なわけない。絶対に先生だ」と思って、敬語で「音楽理論教えてください」と話しかけたのが最初でした(笑)。

ユウキ サダ(B, Vo)

ユウキ サダ(B, Vo)

──(笑)。

AirA(Vo) 明らかに1人だけ雰囲気が違ったよね?

サダ 違った違った。私はバンドを組みたくてヴォイスに入ったから、そんなボスみたいな、先生みたいな生徒と一緒にやれたら強いじゃないですか。だから、めっちゃ話しかけて、仲よくなりました(笑)。

SOI サダは策士なんですよ。俺はサダの手のひらの上で踊らされていた(笑)。ヴォイスの人にも「人間的な相性もいいし、バンドやってみれば?」と助言をいただいて、本格的にサダとバンドをやってみることになりました。僕はその前から曲を作っていたので、もうその時点で「FEVER TIME」(2025年6月発表の1stシングル)のデモはあったんです。最初はサダに歌ってもらったんですけど、ベースボーカルだけだと限界があるなと思って。せっかくバンドをやるなら上を目指したいし、「ボーカルも入れたい」とヴォイスの人に相談したら、AirAを紹介していただいて、この3人のOddRe:という形になりました。

──サダさんに誘われた時点で、SOIさんもバンドを組みたいと考えていたんですか?

SOI 僕は正直、誘ってくれたのがサダだったから、というのがデカいです。ヴォイスにはその頃、Chilli Beans.を輩出した前例があったので、バンドをやりたがる生徒が多かったんですよ。でも僕はどちらかと言うと、1人で完結できる音楽に可能性を抱いているタイプだった。僕には「制作とは、道徳が通用しない世界なんだ」という認識があって。誰かが内向的に物事を決めることで生まれる力があるんじゃないかと思っていた。それに対して、バンドはメンバー全員で制作するものというイメージだったので、自分には向いていないだろうと。でも、サダは制作に関しては僕に委ねるという方向性を示してくれたし、人間的な相性もよかったのでやってみようかなって。

──なるほど。

SOI それに、この3人の顔ぶれを見てシンプルに「デカい勝負を仕掛けられるな」ってワクワクしたんです。僕らは得意分野がきれいに違うんですよ。だからこそバンド云々以前に、すごくいいクロスオーバーが生まれるはずだし、この3人なら新しい時代のバンド像を作ることができるんじゃないかと思ったんです。

サダちゃんとバンドをやれるなら

──AirAさんはどんなきっかけでOddRe:に加入することに?

AirA ヴォイス主催の「VOICE LIVE」というイベントがあって、そのリハーサルで初めてサダちゃんと会って仲よくなったんです。そのあとヴォイスの人にバンドの話を聞かされて、「サダちゃんがいるなら面白そうだな」と。サダちゃんは初めて会ったときからいい意味で「すごい派手な人だな」と思っていて。ベースボーカルを生で見たのも初めてだったから衝撃だったし、そのサダちゃんとバンドをやれるなら絶対に面白いだろうなと確信しました。

AirA(Vo)

AirA(Vo)

──誘われる前からAirAさんの中にもバンドという選択肢はあった?

AirA 最初はソロでやりたいと思っていたんです。でも、高校で軽音部に入って、「バンドってこんなに楽しいんだ!」と気付いたんですよね。みんなで音を鳴らすことの楽しさを覚えてしまった以上、「バンドもやってみたい」という思いがあふれてきて。そのあとに2人と出会うんですけど、人が作ってくれたオリジナル曲を歌うのも初めてだったし、SOIから送られてくるデモを聴いて「これを自分が歌うんだ」って、ドキドキしました。

──SOIさんはそもそもバンド活動を想定していなかったとのことですが、OddRe:結成から1年半ほど経った今、バンドにどんな手応えを感じていますか?

SOI 楽しい、しかないです。うちはすごくいいバランスでやれているなと思うんですよ。それに、この3人はライブハウスで出会ったわけでもない、言ってみれば“現代っ子バンド”なので、まだまだ成長の余白があるのかなって。例えば、うちらの今のスタイルとしてトラックメイキング的な要素が多いけど、演奏はもっと無骨になっていってもいい。成長していくためのモチベーションもあるし、これからがすごく楽しみですね。

バラバラの個性を掛け合わせる

──この3人の間にある“いいバランス”というのは、具体的にどんなものでしょう?

SOI 先ほどお話ししたように、それぞれの得意分野がハッキリと分かれているので、各々の生かしどころと引きどころが今の時点でかなり見えているんです。お互いの得意分野を掛け合わせれば必ず強いものが生まれることは、3人の共通認識としてある。これって、音楽に限らず組織としても重要なことだと思うんです。人間って根本的に1人じゃ生きていけなくて、そのうえで得意分野を生かし合い、それぞれをプロフェッショナルの領域へと高め合うのが、ある種の経済だと思う。OddRe:はそれをバンドで実現できている感じがします。バンドって本来そこがもっとあやふやなことが多いけど、ここまでハッキリした土壌がすでに組めているのは、そりゃあ強いよなって、客観的に見ても思うんですよね。

SOI ANFIVER(G, Composer, Trackmaker)

SOI ANFIVER(G, Composer, Trackmaker)

──SOIさんから見ると、この3人それぞれの特質はどんな部分にあると感じますか?

SOI 僕はクリエイター気質だし、そこを突き詰めることができる。サダはとにかくアイコニックですよね。

サダ ふふ。

SOI 彼女の空間を掌握する力は出会ったときから感じています。「こういう子がいるなら勝てねえな」と思ったのが、僕のサダへの正直な第一印象なんですよ。ひと言発しただけで場の空気を持っていくような子って実在するんだなと。それは代えがたい才能だと思います。AirAはシンプルに圧倒的な歌唱力を持っている。それに加えてプレイヤー気質だから、フロントマンとしての絶対的な存在感がある。ここまでの歌唱力を持っている子って、いい意味でも悪い意味でも我が強い印象があるんですけど、AirAはすごく素直で人の作品をどう解釈し、どう表現するか、ということに一生懸命になれる。そういう性格の子がこの歌唱力を持っているのは奇跡的だなと思いますね。クリエイターと組むのに最も向いている気質を持ったボーカリストだと僕は考えています。

AirA ……ニヤニヤしちゃう(笑)。

サダ 恥ずかしいよね(笑)。

離島にこもった2年間

──いただいた資料のプロフィールを読んで気になったんですけど、SOIさんは20歳から22歳までの間、音楽修行のために離島にこもっていた経験があるそうですね。この時期のことをお聞きしてもいいですか?

SOI ヴォイスには有名な先輩やクラスメイトがたくさんいるんですけど、簡単に言っちゃうと敗北感が強かったんです。街を歩いていてもクラスメイトの曲が流れているし、周囲のことばかり気になって、自分が見えなくなるタイミングがあったといいますか。でも、音楽は自分の体の中にあるから、それをどうにかして引っ張り出さなければいけない。「そのためにどうしたらいいんだろう?」と考えて、シンプルに「修行だろう」と思ったんです。実はその少し前にも、心を病んで岩手県に逃げたことがあって。そのとき僕が行ったのは3.11の被災地の中でも特に津波の被害が大きかった場所だったんですね。そこに偶然行き着いて、その土地の人たちの家に居候させてもらって、救われた経験があった。そのときに海で音楽をやる習慣が自分に身に付いていたんです。海で音楽をやると、物件関係で悩まなくていいんですよ。

──なるほど。海なら周りを気にせず音を出せますもんね。

SOI 僕が行ったのは小笠原諸島だったんですけど、小笠原諸島は東京都の最低賃金が出るし、島はだいたいの職場が寮完備でまかない付きなんです。敷金礼金を払わずに新居が手に入って、食費がかからず、海で楽器を鳴らせる。それで「行こう!」と決断して、翌週には出発しました(笑)。島に着いたらギターとパソコンを持って、「働かせてください」と頭を下げて回りました。

AirA (ひそひそ声で)「千と千尋の神隠し」の千尋じゃん……。

サダ (ひそひそ声で)千尋だよね。

SOI 「屋根裏部屋に住んでいい」と言ってくれる民宿が見つかって、それからは屋根裏部屋で暮らしながらDTMをやって、配膳と掃除の仕事以外の時間は堤防でずっとギターを弾いて作曲して、また屋根裏部屋で曲作って……という生活を繰り返していました。あと小笠原諸島はAmazon Prime対象地域で送料が無料なんです(笑)。そのおかげで機材もめちゃめちゃ試せましたし、機材の知見が広がったのも島での経験がデカいですね。

OddRe:

OddRe:

──離島での経験を通して、音楽に向き合う心持ちにも変化はありましたか?

SOI いい意味で生活がすごくシンプルになったので、楽曲制作の細かなところにまで集中できたんですよ。バンドのアンサンブルもそうだし、「音は1つひとつがこんなに違うんだ」というところに目が行くようになった。それに「誰も自分のことを知らない場所に行きたい」と思って島に行ったはずなのに、どこに行ってもそこに人はいて、僕は結局、1人になれなかったんです。どれだけ人を嫌っても、他人を避けても結局は人に背中を押されてしまう。その運命みたいなものを感じたことで、改めて自分の存在価値を見出すことができた気がします。島で出会ったいろんな大人たちが「もう1回がんばってこい」と、僕の背中を押して大人にしてくれた。すごく貴重な経験だったし、そのときに芽生えた「誰かに生かされている」という感覚で、自分のアウトプットは本当に変わったなと思います。

──先ほどおっしゃった「人は1人じゃ生きていけない」という意識も、その頃に身に付いたのかもしれないですね。

SOI 僕は楽曲を作るうえで、リファレンスやアイデアの出し方がほかの人とはちょっと違うんです。それはルーツにアニメがあるからで、自分が精神的に苦しかったときに助けてくれたのが二次元でした。僕は島に行って、なおかつ画面の中に逃げていたんですよ。そんな中、有名なアニメ監督のドキュメンタリー映像をたくさん観て「こんなアイデアの出し方をするんだ」「絵コンテを描くとき、こんなふうにするんだ」「このたった1つの心理描写にこだわるんだ」「1つひとつの小ネタには元ネタが存在して、それはパクリではなく崇高なオマージュなんだ」と……物作りの姿勢を学びました。そこで自分はパフォーマーではなくクリエイターとしての目覚めを経験したと思うんですよね。そういう経験から、音楽家なのに曲を作るときに1本の映画を作るようなアイデアの出し方をするようになった。それは明確な変化だったと思います。結局、アニメにも生かされたなという感じがします。