NEEが3rdアルバム「再生可能」をリリースした。
昨年5月、くぅ(Vo, G)が25歳の若さで亡くなったという衝撃的なニュースが届けられた。ボーカル兼メインコンポーザーとしてバンドを牽引してきたくぅの早すぎる死に多くのファンが悲しみに暮れる中、それでも残されたかほ(B, Vo)、大樹(Dr, Vo)、夕日(G, Vo)の3人は歩みを止めなかった。3人は当初中止を発表していた東京・日比谷野外大音楽堂(日比谷野音)でのワンマン公演を敢行。その後も全国ツアーや各地の音楽フェスティバルへの出演を重ね、ついに新体制初となるオリジナルアルバムを完成させた。本作には、3人で初めて制作した楽曲「マニック」や、かほが作詞を手がけた「この街」など計9曲を収録。NEEの新境地を感じさせる1枚となっている。
音楽ナタリーではメンバー3人にインタビューを実施。バンドを続ける決断をした背景や、アルバム完成に至るまでの歩みなどの話題を中心に、現在のバンドのモードや今後の展望について語ってもらった。
取材・文 / 天野史彬撮影 / 入江達也
新体制で過ごした1年半
──3人体制での活動が始まってからNEEはノンストップで活動を続けてきたと思います。新体制になってからの約1年半を振り返ってどんなことを感じるか、お一人ずつ教えてください。
夕日(G, Vo) とにかく人に助けられた1年半でした。動いたのは自分たちだけど、動ける環境を用意してくれたのは周りの人たちだったし、復帰してからも応援してくれるお客さんがいたし、近しい人たちも支えてくれた。それがなければ、ここまで来ることはできなかったなと強く感じます。
かほ(B, Vo) 1年半前はボーカルがいなくなるなんて思いもしない世界で生きていたけど、そこから世界が全部壊れるくらいの感覚があって。そうなると、見えるものも変わるんですよね。私が見えていなかっただけで、人ってこんなに優しくしてくれるんだと思いました。1年半前まで、私は自分のことしか見えていなかったと思う。そんな世界がぶっ壊れて、開けた世界になったことで、周りの人間たちが輪郭を持ち始めたというか。みんな、1人ひとりの人生を生きているということがわかって……自分もすごくリアルな人生を生きていた感じがします、この1年半。
大樹(Dr, Vo) 僕はシンプルに、バンドが止まらなくてよかったです。選択肢はいろいろあったと思います。休止とか解散をしてもおかしくない状況だった。そんな中でも“終わったと思われたくない”という部分で3人の気持ちが共通していた感じがします。先のことなんてやってみないとわからないし、がむしゃらに先に進もうと思えた。だから今、笑っていられるのだと思います。あと、くぅが亡くなったときに夕日が作ってくれた「マニック」という曲は、3人でも前に進んでいけることを感じさせてくれる大事な曲で。活動を続けられたのはいろんなことのおかげではあるけど、僕にとっては「マニック」ができたことがすごく大きかった。よかったなと感じます、ここまで突っ走ることができて。
──バンドを止めずに活動を続けることについて、3人で話し合ったんですか?
夕日 そうですね。“暇が一番しんどいよね”という意見が一致して。一応、数カ月休みの期間があったけど、僕はその期間が一番つらかったです。自分のことを考えて、「本当にこのまま生きていけるのか?」とか考えてしまって。やっぱり、かなりショックな出来事だったので、心にでかい穴が開いたし、傷も付いたし、「これって、一生このままなのかな?」と、時間の流れを重く感じていた期間があったんです。それもあって、万全に体制を整えてから活動を再開するより、とにかく経験を積まないと安心できないと思いました。
かほ 止まっちゃうと本当にしんどいだけだったと思う。何もやることがなくて、現実と真正面から向き合うしかなくなると、「もうやってられない!」というモードになってもおかしくなかったから。無理やりにでもスタジオに入って、“体だけはそこにいる”という状況を作り出さないといけなかった。体だけって言い方はあんまりよくないかな?
夕日 いや、体を無理やり動かしてでも、動き続けていないといけないという自覚はあったよね。
かほ そう。心が追いつかなくても、体だけは動かす。事務所にも行くし、スタジオにも行く。心の整理がつかなくても、とにかく足を動かす。それは本当に大事だったなと思います。
ライブでの変化
──3人全員で歌う編成に変わるなど、バンドの構造自体に抜本的な変化が生まれましたが、3人体制でのライブは、この1年半でどんなふうに変わっていきました?
夕日 最初は責任感でやっている部分もありました。お客さんも悲しんでいる状況の中で、“僕らは終らない”ということを見せるためのライブ、というか。個人的な話をすると、ギターボーカルも初めてだったし、最初はとにかく「しっかりやらなきゃ」と思っていて。特に、追悼でやった2024年6月23日の「東京、夏のサイレン」は、“できるわけない”という状況の中で無理やり歌った感覚で。そんな状況の中でも「思いは絶対に伝える」ということに重点を置いたライブだった。でも、次のツアー(NEE 8th TOUR「EXOTIC METTYA HENSHIN」)はそういうわけにもいかず、まず、みんなに心配をかけてはいけないと。そして、“いい”と思わせないとお客さんがどんどん減ってしまうと思っていました。そうならないためにはキツい練習をしないといけないことは、わかってはいたけど……最初は気が進まなかったです。
──それはなぜでしょう?
夕日 ギターボーカルではなく、あくまでもギタリストとしてやっていきたいという気持ちを捨て切れていなかったのか、歌を楽しめない時期があって。やる気はあるけど、どっか引っかかるな……みたいな。そんな状況の中で去年のツアーは始まったんですけど、やっていくうちに、もしかしたら歌も楽しいかもしれないと感じるようになりました。ギターを感情表現のための1つの道具だと思っていたけど、歌はもっとダイレクトじゃないですか。歌詞があり、メロディがあり、歌い方がある。煽ってレスポンスがもらえるとうれしいし。そう考えると、今までやってこなかったけど、歌も楽しいかもしれないなって。そこからもっと自分が歌を楽しむために、ライブでの歌い方を学んでいきました。今回のアルバムのレコーディングでは、録った歌をすぐに自分で聴き返すという地獄のトレーニングをやって(笑)。徐々に「歌うなら、いい歌を歌わないとな」という気持ちに変わっていった感じですね。
──かほさんは3人体制のライブについてはどう感じていますか?
かほ 責任感が増えたなと思います。4人のときは自信満々でやっていたんですよ。イケイケドンドンというか、「私たちって、カッコいいじゃん」と思ってたけど、初めてボーカルをやることになって、そういう意味では初心だったし、ずっと持っていた自信は消え去って。その分、お客さんと目線が近くなった気がします。「本当にあなたたちのおかげでライブができています」と常に思いながらライブをするようになったし、よくある言葉で言えば、等身大になったと思う。自分をまったく作らなくなりました。今まではNEEのベースとして、こういうふうに見せたいと思うものがあったけど、今は「ここまで来ちゃったら生き様を見せるしかない」という気持ちでいます。私たちはもう2024年5月を起点にするしかないんですよね。ここをルーツにして、どういうライブをしていくか。それを等身大で全部見せていこうと考えるようになりました。
夕日 確かに。今は全員120%でやってるもんね。そのくらいの力を出さないと失敗しちゃうという感覚でやってる。今思ったんですけど、最近のライブではお客さんがすごくジャンプしてくれるんです。でも、NEEのお客さんって普段はまったくジャンプしてなさそうな人たちなので(笑)、みんなも120%なんだなと。フロアとの精神的な距離感が、前より近くなった気がしますね。
──大樹さんはどうですか?
大樹 去年の「東京、夏のサイレン」が終わってから初めてのライブが「EXOTIC METTYA HENSHIN」の仙台PIT公演(2024年10月13日)でしたが、あのときのライブのことは、たぶん一生忘れないと思います。あの日は、みんなでとんでもなく煽ったりしたんです。悲しんでいるお客さんもいたし、僕ら自身も完全に復活したわけではない。それに3人全員がほとんど歌も歌ったことないという状況の中で、無理やりでも気持ちを鼓舞してライブをやったんですよね。それからツアーを重ねたことで、強がりでそうするわけではなく、自然と3人で盛り上げるライブができるようになった。だんだんとNEEが3人のバンドとして確立してきたというか。その変化は大きかったですね。あと覚えているのが、新体制になってからしばらくの間、ひらこ(たかひさ)さんというサポートギターの方に入ってもらっていたけど、ひらこさんが僕たち以上にライブを楽しんでいたんですよ。自分が出る番じゃないときも、袖で踊ったり歌ったりしていて。3人になって最初の仙台公演のあと、マネージャーに「ひらこさんが一番楽しんでいるのはよくないよね。3人が一番楽しまないと」と言われたのが響きました。確かにな、って。
夕日 確かにすぎるよな(笑)。
大樹 そういう経験も、ライブを重ねるごとに力になっていったのかなって。ひらこさんにも感謝だし、お客さんにも感謝ですね。
「マニック」はNEEを救ってくれた曲
──3人体制初の楽曲「マニック」が今年の5月にリリースされました。僕は2024年の暮れ頃にライブで聴いていたし、リリースよりももっと前の段階で曲自体はできていたと思うんです。「マニック」は、いつ頃生まれたんですか?
夕日 去年の追悼ライブのちょっと前、6月の頭くらいに作り始めました。今回のアルバムにも入っている「酸素」をアレンジだけ完成させていたんですけど、「もっとNEEらしい曲を作りたいな」と思って。サウンド面やテンポ感の大まかなイメージを固めて、ダンサブルな曲を作ろうと考えて作ったのが「マニック」です。
──曲を作るモードには自ずと入っていったんですか?
夕日 そうですね。このバンドを終わらせたくないという気持ちが強かったし、作曲経験があって、パソコンのソフトをこの3人の中で一番使えるのは僕だと思ったので、「自分が動かないとこのバンドが終わっちゃう」という使命感から作曲を始めました。「まだNEEはNEEとして動ける」という姿勢を見せるために、曲を作ろうと。サウンドでNEEらしさを意識したという意味では、かなりリスナーのことを考えて作った曲かもしれないです。3人になって最初のリリースで、「NEE、変わっちゃったな」と思われるのも、「サウンド、よくないな」と思われるのも嫌だったので。
かほ 夕日から「マニック」が送られてきたとき、私は車の中で聴いたんですけど、一発で頭に入ってきたんですよね。同じ言葉を繰り返す歌詞で、メロディも半音の繰り返しだからすごくキャッチー。あの状況でよくこれだけの曲を作って送ってくれたな、と思いました。私たちに送るのも勇気がいると思うんですよ。なので、ありがたいなと。ちゃんと未来を見せてくれました。
大樹 僕も夕日からファイルが送られてきたとき、聴く前の段階で「すごいよ」と思った。曲のクオリティがどうだろうが、曲を送ってくれた姿勢がうれしかったです。それまでも夕日は個人のSNSに曲を上げたりはしていたけど、NEEとしてやる曲を作るのは初めてだったから。それに、NEEらしさもあるけど、「くぅじゃ、これはやらないな」と思わせるサウンドが新鮮でめっちゃカッコいい。「マニック」が送られてきたとき、“ありがとう”と“いいね”をめっちゃ伝えた気がします。僕は一生、この曲を“NEEを救ってくれた曲”として聴き続けると思いますね。
夕日 褒めてくれたからよかったけど、あのときメンバーがふてぶてしい態度だったら、もうこれ以上曲は作ってなかったと思うよ(笑)。
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3人体制になったNEEの曲作りは



