ギターレスバンド・名無し之太郎がメジャーデビュー、「誰かのことをきっと救ってくれる歌」を届けるために

ギターレスの4人組バンド・名無し之太郎が、2月21日にユニバーサルミュージック内Polydor Recordsよりメジャーデビューを果たした。

名無し之太郎は、同じ高校の軽音楽部に所属していた林(Vo)、二瓶(Dr)、高橋(Key)、中野(B)が、大会出場を目的に結成したバンド。在学中に北海道大会で賞を受賞し、全国大会にも出場した経歴を持つ。大会で賞を獲るために奮闘してきた実力派の4人は、気が付けば目の前にメジャーデビューが迫るほど破竹の勢いで急成長を遂げてきた。

音楽ナタリーではメンバー4人にインタビュー。名無し之太郎が結成された経緯や、メンバー同士の関係性、メジャーデビュー曲「我儘」の制作秘話などについてじっくりと話を聞いた。

取材・文 / 蜂須賀ちなみ撮影 / 山崎玲士

「メジャーとは」で検索

──名無し之太郎は高校の軽音楽部で結成されたバンドだそうですね。メジャーデビューを目前にした今の心境を聞かせてもらえますか?(※取材は2月下旬に実施)

二瓶(Dr) もともとは軽音楽部の大会に出るために結成したバンドなので、とにかく大会で勝つことを一番に考えていたところ、突如メジャーデビューのお話をいただいたんです。コロナ禍の影響もあって、バンドらしい活動を長くやっていたわけではなく、気付いたらメジャーデビュー目前という感じで、まだ理解が追いついてないですね。それで「メジャーデビューってなんなんだろう?」と改めて考えてみたり、「メジャーとは」と検索してみたり。

林(Vo) (笑)。だんだんわからなくなるよね。

──検索してわかったことはありましたか?

二瓶 結局自分の知りたかったことは出てこなくて、あんまりよくわからなかったです(笑)。

名無し之太郎

名無し之太郎

中野(B) 二瓶さんは「音楽を仕事にしたい」ってずっと言ってたよね。ほかの3人はどうだったのかな?

 そんなに考えてなかったよね。

高橋(Key) うん、正直ね。

中野 私も「将来、音楽を仕事にしよう」とは考えてなくて。理系だったので「ゲーム系のプログラミングとかするのかな」とぼんやり思い浮かべてたんですけど、ある日、今の事務所から声をかけていただいて、契約という話になり、今、目の前にメジャーデビューがあるという状況です。この流れに置いていかれないように、メジャーアーティストになるという自覚を持っていかないとなと思っています。

──以前から「音楽を仕事にしたい」とおっしゃっていた二瓶さんは、お母さんに初めて連れて行ってもらった神保彰さんのコンサートに衝撃を受けて、ドラムの教室に通うようになったそうですね。

二瓶 はい。フュージョンとロックのドラムでは派手さのベクトルが違うと思うんですけど、自分はロックの前に出るようなドラムよりも、フュージョンの裏でテクいことをやっているドラムに憧れて。高校に入ってからは軽音楽部で自分のやりたい音楽を一緒にやれる人を探していたんですけど、J-ROCKのバンドをやりたい人がほとんどだったので、最初は全然見つからず……しばらくは林と2人でアコースティックユニットをやっていました。

──林さんは4歳の頃から童謡や昭和歌謡のコンクールに出場し、賞をもらっていたそうですね。歌や音楽に興味を持つようになったのは、どういうきっかけで?

 私の母がピアノの講師をやってまして、その影響でリトミックの教室に通ったり、ピアノの先生についてもらったりしていたんです。だけどピアノはあんまり好きじゃなくて。座って静かに練習するのが自分の性には合わなかったんです。そしたら母や先生が「今度歌のコンクールがあるみたいだよ」と歌の方向に導いてくれました。私は小さい頃から、ちょっとしたテーブルがあったらそこに上って歌って踊りだす人だったので、「たぶん歌のほうが性に合ってるんだろうな」と周りの人もわかってくれていたんでしょうね。コンクールに出て賞がもらえるとうれしいから、やっぱり続けたくなるじゃないですか。それで、小6くらいまではコンクールや発表会に出させてもらってました。

林(Vo)

林(Vo)

自分のやりたい音楽をやれているバンド

──林さんと二瓶さんは、どういう流れでアコースティックユニットを組むことになったんですか?

二瓶 1年生のときにクラスが一緒で席が近かったんですよ。グループワークとか、授業での関わりが多かったんですけど、初めて声を聴いたときから「声の通りがいいな」「絶対に歌がうまいだろうな」と思っていて。そのあと軽音楽部で改めて歌を聴いて、「やっぱりうまい!」と確信しました。実は最初、僕は中野や高橋と同じバンドに入っていたんです。ただ、そのバンドはメンバーが8人くらいいて、ドラムをやりたいという人もすでにいたんですよ。

高橋 恥ずかしながら、僕はそのバンドではギターボーカルをやっていました。ほかのパートはやりたい人がたくさんいたんですけど、ギターボーカルだけ余っていて。

──なかなか珍しい状況ですね。

二瓶 そこで僕は「ちょっと人数多いみたいなので、一旦引きます」と抜けて。そのとき林もバンドを組んでいなかったので、2人でアコースティックバンドをやろうかと誘いました。まずはドラムと歌だけで始めたんですけど、「うまいじゃん!」と盛り上がって。僕は音楽をどうにか仕事にできないかと考えていたので、「獲物を見つけた」「これは逃せない」と思ってました。だけど林がある日、防衛学校の学校説明会に行こうとしていたんですよ。でも僕は絶対に一緒に音楽をやりたかったので、精一杯引き止めました。

──そして高橋さんと中野さんもそこに合流した。

高橋 はい。僕は小さい頃からクラシックピアノを習っていたんです。だけど林と同じく、座って1人で練習することが苦手で。とはいえ母がピアノの講師なので、逃げ出すにも逃げ出せず……。そんな中、小学校高学年のときに学校で流行っていたSEKAI NO OWARIさんを知って、「バンドの中でのピアノ、キーボードの立ち位置ってカッコいいな」「こういうやり方もあるんだ」と思いまして。なんとかピアノを嫌いにならずに続けられたんです。

──だから高校では軽音に入ろうと思ったと。

高橋 そうですね。それなのに1つ前のバンドではなぜかギターボーカルになってしまって(笑)。なので、このバンドで初めてバンドの中で鍵盤を弾くということを経験しました。初めて音を合わせたときはすごく楽しかったですね。

名無し之太郎

名無し之太郎

──中野さんはどんな音楽が好きなんですか?

中野 「この曲が好き」はあっても「このアーティストが好き」と思うことがそんなにないんですけど、ずっと真夜中でいいのに。さんだけは例外で、あの方が作る音楽はどれも自分好みなんです。あとボカロも好きです。私はそれぞれの楽器がテクニカルなことをやっている音楽が好きなんですけど、高橋やほかの友人と最初に組んでいたバンドがロック系だったので、弾いていて「ちょっと自分の性に合わないかも」と思っていたんですよ。でもこのバンドに来てからは自分のやりたい音楽をやれている感覚があります。

二瓶 僕としても一緒にやっていける人を見つけられてよかったです。

1人廊下で歌ってる変なやつ?

──当時、高橋さんと二瓶さんは、林さんのボーカルや二瓶さんのドラムに対してどう思ってましたか?

高橋 林の歌声を最初に聴いたのは、確か部室の前の廊下で1人で歌ってるときで。

 1人!? そんな変なやつだった?(笑)

高橋 たぶん隣に二瓶がいたかもしれないけど、独唱みたいな感じで歌ってて。率直に自分が今まで聴いてきた人の中で一番歌がうまいと思いました。

中野 実は私は、高校で軽音楽部に入るまで音楽をやってこなかったんですよ。音楽経験がないのもあって、歌がうまいといえば、音程をとれるのはもちろん、ビブラートとかしゃくりとか、カラオケでよくある加点要素をいかに盛り込めるかということだと、なんとなく思っていました。だけど林の歌声を初めて聴いたとき、「うまいってこういうことか」と思いまして。自分の中のイメージが更新された感じでした。

──なるほど。

中野 二瓶のドラムに関しては、バレーボールの名セッターのようだと思っていて。セッターがうまいと、スパイクを打つ人が自分がうまくなったように錯覚できるんですよ。そういうふうに、初めて4人で演奏したとき、僕も「いい演奏ができてるな」みたいな錯覚に陥ったんです。それがすごく楽しかった。

二瓶 僕は苦戦したよ。

中野 あっ、そうなんだ?

二瓶 ドラム教室では大人としか合わせたことがなかったし、軽音に入ってからも林としかほぼ合わせてこなかったから、新人バンドっぽい感じが初めてで、「うわあ、うまくいかない!」という焦りがあった。本格的に活動を始めてからは、このバンドをどうスキルアップさせようかと常に考えていましたね。

二瓶(Dr)

二瓶(Dr)

──名無し之太郎というバンド名はどのように思いついたんですか?

中野 私が一部の人から“太郎”というあだ名を付けられていたんです。バンド名を何にしようか話していたときに、なんとなく“太郎”を入れようかという話になって。そのときにちょうど高橋が2ちゃんねるを見ていたんですけど、2ちゃんねるって匿名で投稿すると“名無し”になるじゃないですか。そこから“名無し”と“太郎”を合体させて、「名無し之太郎」に決まりました。

 本当に意味がないんですよ(笑)。

中野 大会に提出する書類にバンド名を記入する欄があったんですけど、ずっと後回しにしてきたので、急いで決めなければいけなくなってしまって。

 まさかここまで長く使うことになるとは思わなかったです。