常田大希×神山健治対談|稀代のクリエイターが明かす原体験、確たるスタンス、そして後進たちへの思い

現在Netflix独占で全世界配信中のアニメ「攻殻機動隊 SAC_2045」シーズン2。シリーズ最新作の配信を記念して、音楽ナタリーではそのオープニングテーマ「Secret Ceremony」およびエンディングテーマ「No Time to Cast Anchor」を手がけたmillennium paradeを率いる常田大希と、「攻殻機動隊 SAC_2045」の監督を務めた神山健治の対談を企画した。

2人が顔を合わせたのは「攻殻機動隊 SAC_2045」シーズン2の主題歌制作にあたって実施された2021年1月の打ち合わせ以来、約1年ぶり。世代の異なるクリエイター同士の忌憚のないクロストークは、それぞれの表現者としての原点から、シビアな現状認識、そして戦う意志まで、さまざまな話題に広がっていった。

取材・文 / 柴那典

ウッドストックの記録映画を観たときに夢が決まった

神山健治 僕は音楽のことはよくわからないんだけれど、こういう機会があったら常田さんに聞いてみたいと思っていたことがあって。常田さんが音楽をやるにあたってのテーマというか、最初の動機がどういうところにあるかを知りたいんです。例えば売れたいのか、何かのメッセージを発したいのか、もしくは誰か憧れた人がいるのか。で、プロになってしばらく経つと、「そういえばなんで俺は作ってるんだろう?」とか、創作をしていくことに疑問を感じることもあると思うんですよ。そういう中で、今、常田さんがどういう思いを持って作っているのか。音楽をやるうえでの最初の原動力はなんだったんですか?

常田大希 俺は音楽を始めたのも早かったんですけど、きっかけは「音を出したい」とか「こういう音が好きだ」とかそういうものでしたね。理性的な快感ではなかった。理性的に表現を捉えるようになったのは、だいぶあとでした。

神山 発信する側になりたいと最初に思ったのは?

常田 文化祭とかコンクールとか、人前で音楽を届ける体験をしてからですね。

神山 そうなんだ。僕はジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグの映画を観たときに漠然と「こういうものを作る人になりたい!」と思ったんです。作り手になりたいと最初に自覚した作品は「スター・ウォーズ」だった。それ以外にも、日本のアニメ監督たち、例えばガンダムを作った富野(由悠季)監督のような人たちから受け取ったものもあるんですよね。アニメを観ていただけのはずなのに、それを通して歴史や科学の知識をもらったというか。だから僕もプロになったら、観た人に作品を楽しんでもらうだけじゃなく、何か「なるほど」と思えるものをキャッチしてもらえたらうれしいというところから始まっているんです。常田さんにとって、そういう人は誰になるんですか?

常田 たくさんいますね。偉大な人が多すぎるんで、1人に特定するのは難しいけれど。

神山 そうですよね(笑)。僕の原体験は、小学校3年生の頃に観た「シンドバッドの冒険」という映画だったんです。それを浴びるように観たあとに、まだカタルシスなんて言葉もわからないぐらいでしたけど、気持ちいいような気持ちよくないような、なんだか苦しいような感じになったんですよね。終わっちゃうのが惜しいというか、「ふう」って息を吐かないといられない感じがあった。ほかにも、The Beatles「イエロー・サブマリン」のアニメーション映画を観て衝撃を受けたり、そういうことの積み重ねで映画を作る人になりたいと思うようになった。でも、ハリウッドの実写映画みたいなものは日本では作れないから、やるとしたらアニメがいいなって。

「攻殻機動隊 SAC_2045」シーズン2より。©士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会

「攻殻機動隊 SAC_2045」シーズン2より。©士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会

常田 そういう小さい頃の体験が世界の中心になっちゃう感じは自分もありましたね。それでしか生きていなかったと思う。自分の場合は、ジミ・ヘンドリックスとかLed Zeppelinとか、あの時代のエレキギターの音で開花した気がします。もちろん世代ではないので親父の影響もデカいですけど、「ウッドストック」の記録映画(1970年公開の「ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間」。1969年にアメリカ・ニューヨーク郊外のベセルで開催された野外ロックフェス「ウッドストック・フェスティバル」の模様を記録したドキュメンタリー作品)を観たときに夢が決まったというか、「こういうことをしたい」と思うようになった。ツェッペリンも当時はスタジオアルバムを一切聴かずに、ライブアルバムしか聴いていなかったんです。あの空間が好きだったし、いまだにあれを求めてるところはありますね。

神山 僕も世代としてはドンピシャじゃないんだけど、70年代のアメリカン・ニューシネマが好きで。

常田 俺も「イージー・ライダー」とか、めちゃめちゃ好きでしたね。中学生の頃、ホンダの「ジャズ」っていうハーレーみたいになる50ccの原付バイクをずっとネットで検索してました(笑)。「あと1年したらこれに乗れるのか!」って。

神山 なんだか70年代に惹かれる部分があるんですよね。勝手に常田さんに親近感を感じる部分は、もしかしたらそういうところなのかもしれない。

共通するオールドスクールなスタンス

神山 僕はもうずいぶん前から自分のことをオールドスクールだと思っているんです。というのも、アニメの世界では、スタジオに入ってから監督になっていく人というのが、もはやオールドスクールで。今はそれに対してのニューウェイブが出てきている。僕はアマチュアのときからストレートに商業アニメを作ると宣言していたから、デビューしたときからオールドスクールだった。もちろん、デジタルで作っていく最初の世代だったし、アプローチとしては新しいものはあったんだと思うんですけれど、考え方の土台の部分はそうだと思っている。で、こう言ったら語弊があると思うけど、常田さんたちも、最先端にいるけど根はオールドスクールな感じがしているんです。

常田 オールドスクールだと思いますよ。いわゆるオールドスクールと言われている作品たちは、時代を超えてきているわけじゃないですか。そういう作品って、硬派だと思うし、骨が太い感じがする。そこに自分の軸があるし、とらわれ続けてる感じはありますね。生き方もそうだし、それは当然作るものにも出てくるし。

神山 常田さんって、本名ですよね。

常田 はい。

神山 本名でミュージシャンをやること自体が、そうだと思いません? 僕らの時代は「一生アニメで食っていく」とか「一生音楽で食っていく」と宣言すること自体がカッコよかったはずなんだけれど、いつの間にか「それはリスクヘッジできないからやめたほうがいいよ」と言われるようになった。僕からしたら「何を言ってるんだ?」と思うわけだけど、今のSNS全盛の時代は宣言しないアプローチのほうがスマートだし、有利な部分もあると思う。そういう中で、常田さんは音楽を発信していくベースの部分では、僕と同じようにわりと古典的なところから勝ち上がっていくというスタイルに見えていて。今、シーンに対してそういう戦い方で勝負を挑むのって、すさまじく不利じゃないかと思うんですよね。違うアプローチで攻め上がってきている人たちが、主流になっているから。僕はそういうふうに感じていて、勝手に共感しているんです。

常田 うれしいです。

神山 だからこそ、見えない何かと戦っているはずだと思って。同じ苦しみや摩擦があるような気がする。そこをすごく聞きたい。同じ業界でもそういう話を聞きたい人って少ないんですよ。コロナでしばらく会っていなかったけど、いつかそういう話をしたいなとずっと思っていたんです。

常田 何かと戦っているというのは?

神山 とあるアメリカの女性アーティストがインタビューで、昨今のSNSの影響を受けて「お客さんに喜んでもらいたくて音楽活動をしているのに、このままじゃ誰かを喜ばそうと思う人が誰もいなくなっちゃう」というようなことを言っていたのがすごく印象的だったんですよ。もちろん、ライブで目の前にいるお客さんたちは喜んでくれている。ファンから応援してもらって、お金も入る。でも、SNSを見ても、リアルでも、なんだか嫌な気持ちになる。正体がわからないけど、自分の音楽が喜ばれていない感じがしてしまう。敵じゃないはずの人が敵に感じられちゃう。本当の声かどうかすらわからないものまでSNSなどから届いてくるから、なんだかやりづらいという。

「攻殻機動隊 SAC_2045」シーズン2より。©士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会

「攻殻機動隊 SAC_2045」シーズン2より。©士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会

常田 それはありますね。最近もそうだし、去年出たフジロックでも、コロナ禍の中で出演したことで相当いろんな声が聞こえてきましたし。でも、俺としては、もう「全部食らう」くらいの感じでやってますね。作品に没頭していたら忘れるというのもあるし。

神山 そうやって没頭しているときって、全能感みたいなものはありません? そんなの全部覆せるぜ!みたいな。

常田 そういう日もありますね。

神山 常田さんは間違いなくそういうゾーンに入っていると思うんだよね。見ていてそう思う。ノッてるというかね。

常田 最初から「なにくそ」でやってきてますからね。理解されないというのも、そもそも文化祭でマイナーな洋楽を演奏して、誰もついてこなくてスベったみたいな体験から始まってるから。高1のときにエレクトリック期のマイルス・デイヴィスにハマってて、それをやりたいって兄貴に言ったら「誰にもウケないからやめてくれ」って言われて。でもその当時の俺はただ本当にそれを人前で演奏したかった。ミュージシャンもそこで二手に分かれると思うんですよ。みんなにウケる流行りのものをやるのか、そんなことは関係なく自分にとって大事でカッコいいと思うものをやるのか。俺は若い頃は特に後者の価値観が根幹にあって音楽をやっていたので。それは今もデカい気がします。

神山 なるほど。その分かれ道がすでにある。

常田 マインドセットが違うというか。最初からみんなが求めるものを鳴らすってことがそもそもの原動力ではないから。「誰も自分の趣味嗜好には興味ないよな」という前提から入ってるやつは強いですよ。共有できたときの喜びたるや。

神山 すごく興味深い。そういうマインドは今もありますか?

常田 俺としてはありますね。むしろ、自分に対しての「なにくそ」精神は昔よりも大きくなってるような気がします。

神山 そうなんですね。

常田 音楽を作るということに関しては、ある意味訓練されてきたから、言ってしまえばなんでも作れるんです。でも、ここ数年はむしろ、最初の話にあった「なんで作るのか」を考える時期でしたね。求められることはできるけれど、大きな軸が見えにくくなってしまった実感があって。そこに翻弄されていましたね。

神山 技術的なことはどんどん上がっていきますよね。オーダーに対しても応えられる自信もあると思う。ただ、そうなると人によってはオーダーがないと書けなくなっていったりもすると思うんですけど。

常田 今や音楽っていうのは何かと紐付くことが多いので。音楽業界が本当にバラエティ豊かになって、面白い業界になるためには、シーンの中だけじゃどうしようもない面もあって。そういうのはタイアップをやってきてより感じるところです。

神山 なるほど。

常田 俺としては、作品に対してベストな音楽である必要があるということを考えてずっとやってきていて。いろんなことをやってきましたけど、でも、求められるものを作っていくと、やっぱり自分の求めるものと相容れないものはどうしても生まれる。ちょっとした摩擦がある中で、なんとか自分たちにも納得できる落としどころみたいなのを探っているような数年だったと思うんです。ただ、「攻殻機動隊」に限っては、そういうことがまったくない。今までの歴史もそうだし、関わってきたミュージシャンもそうだし、いわゆる“タイアップ”とは根本的に違う体験だと思っていて。作品が強いから音楽で揺らぐことはないし、チャラく売る必要もない。俺のマインドセット的には、そういう感じでした。

2022年6月8日更新