まらしぃ×星出和宏(楽譜浄書家)|楽譜に表れる独学ピアニストの才能

まらしぃがボカロ曲のピアノカバー集「V.I.P X marasy plays Vocaloid Instrumental on Piano」を7月28日にリリースした。

本特集では、まらしぃの出版譜の制作を長年担当している楽譜浄書家・星出和宏を招いた対談を実施。まらしぃが奏でる1音1音に向き合い続けてきた星出は、ネットカルチャー出身の独学のピアニスト・まらしぃの才能をどう評価しているのか? 現在楽譜を制作中の「V.I.P X」に表れている奏法の特徴などを交えながら、まらしぃの演奏スタイルについて語り合ってもらった。

また特集の後半には、まらしぃが10年分の思いを込めたという新作「V.I.P X」についてのソロインタビューも掲載している。

取材・文 / 倉嶌孝彦

まらしぃ×星出和宏(楽譜浄書家)

演奏者の意図を楽譜で表現する

──まずは星出さんの「楽譜浄書家」という職業について伺います。楽譜浄書家という仕事は楽譜を作るうえでどのような作業を担っているんでしょうか?

星出 僕がやっている仕事は主に2つあって、1つは採譜です。採譜というのは、要するに耳コピのことで、音を聴いて楽譜にしていく作業です。採譜のあとの作業として楽譜浄書というものがあって、これは楽譜としての体裁を整えるのが目的の作業です。イメージとしては清書に近いですね。楽譜を自分の主観できれいにするわけではなくて、ちゃんと業界のルールに則りながら、きれいな楽譜にしていくのが楽譜浄書という仕事ですね。

まらしぃ「marasy piano live in BUDOKAN」の様子。(Photo by ishizaka daisuke)

まらしぃ これまで何度か楽譜を作ってもらったことがありますけど、最初に星出さんに採譜のお仕事をお願いしたとき、その精度の高さにビックリしたんですよ。例えば指10本を使って和音を同時に何本か鳴らしたとき。10個の音の中でも強弱があるし、厳密に言うと音の長さも微妙に違うんです。ドラムで言うゴーストノートのようなものがピアノにもあって、触れてるんだけどあまり音を出していないみたいなところも楽譜でちゃんと再現してくれたことがあって。楽譜作りにおいてものすごく心強い方です。

星出 今お話に出たゴーストノートの表記は、実際に楽譜に書いています。

まらしぃ 僕、ピアノ譜でゴーストノートの表記を見たのは初めてでした。

星出 普通はピアノ譜には使わない表記なんですが、これはまらしぃさんならではだと思い、パイオニア精神を発揮して入れてみました。

まらしぃ 星出さんは演奏者の優先したい音を汲み取って、ちゃんときれいに譜面上で表現してくれるんです。採譜の難しさは「きれいに表現する」というところにもあって、厳密に採譜しすぎて強弱の記号をすべて記してしまったら、楽譜の見栄えとしてよくないし、楽譜を買って演奏してくださる方が再現するのが非常に難しくなってしまう。星出さんは演奏者の意図を汲み取りつつ、出版譜として弾きやすい塩梅に仕上げるのがものすごく上手な方だと感じています。

──今回の対談をするにあたり、YouTubeで公開されている星出さんの動画を拝見しました。音楽的な技術はもちろん、楽譜浄書にはデザイン的なセンスも求められると感じました。

星出 確かに、デザインに近い仕事ですね。

まらしぃ 楽譜を読めて、耳コピができたとしても、楽譜浄書はプロの方じゃないとできない仕事だと思います。僕には絶対できませんから。

“まらしぃ奏法”の研究者

星出 基本的にアーティストさんの個性や演奏スタイルというものを考えていて、楽譜の書き方もアーティストさんごとに、もっと言えばアルバムごとに違うものになるので、毎回どういう楽譜にするかはご依頼いただくたびに考えるようにしています。まらしぃさんの場合、月並みな表現になってしまいますが「楽しく弾く」「カッコよく弾く」という演奏スタイルがあるのを感じていて。それを受けて、楽譜上ではそこまで細かい指定をして小難しく書かないようにしています。楽譜をできるだけシンプルに、必要最低限のことだけを書いて、楽譜を読んで演奏する皆さんがどう解釈するか、その余地を残すような楽譜になるように。

まらしぃ 細かく分析されると恥ずかしいですね(笑)。星出さんのような方にバッチリ採譜してもらうのは、ピアニストとしての僕が丸裸にされているような感覚があるんです。

──現在は最新アルバム「V.I.P X」の採譜をしているところだと伺いました。

星出 今はまだ全体の3分の1くらいしかできていないんですが、アルバムを重ねるごとに演奏の安定感と言いますか、確固たるスタイルがどんどん確立されてきているイメージがあります。

まらしぃ 例えばどういう演奏でそれを感じますか?

星出 左手のパターンでよく感じます。ちょっと実際に弾きながら説明すると(目の前にあるピアノを弾きながら)例えばオクターブのトレモロでベースを弾くとき、まらしぃさんは親指と人差し指で3度の和音を入れるんですよ。この奏法に出会うと「まらしぃさんのベースだな」と感じます(笑)。あと右手に関しては基本的にオクターブでしっかり弾くイメージが強くて、僕はまらしぃさんのことを“オクターブの人”だなと思っているんです。サビに入るとオクターブを力強く鳴らす曲が多いと思います。もう1つ挙げるならグリッサンド。ここまでグリッサンドが多いピアニストはなかなかいないんじゃないかな。楽譜ではグリッサンドを表すとき、波の記号に「gliss.」と書くんですが、まらしぃさんの場合は「gliss.」が多くなっちゃうので波の記号だけにして楽譜をシンプルにするよう工夫しています。

まらしぃ グリッサンドに関しては、ボーカルの語尾がしゃくれてる感じとか、ギターだったらチョーキングとかノイズっぽくちょっと音程が動くところをピアノで表現しようとして、つい多くなっているかもしれませんね(笑)。メロディを弾きながら、語尾にちょっと気合いを入れたいときにグリッサンドやアルペジオでちょっと脚色することは確かに多いです。

星出 今お話ししたのは、まらしぃさんらしさがすごく出ていると感じた部分ですが、「V.I.P X」の採譜をしていると「今までこういう弾き方はなかったな」と思わせる弾き方もあって、楽しく採譜させてもらってます。なんだかまらしぃさんの研究家みたいですね。「まらしぃ奏法本」とか書けちゃうかもしれない(笑)。

左手でリズム隊を一括

──カバー曲の採譜をする際は原曲にも当たるんですよね?

星出 はい。必ず原曲も聴くようにしているので、「V.I.P X」の作業では各ボカロ曲も欠かさずチェックしています。実はまらしぃさんと出会うまでボカロやアニソンに関してはそこまで詳しくなかったんです。まらしぃさんの採譜を担当するようになり、いろんなカルチャーに触れるようになって視野が広くなった一方で、自分の主観的な表現がそこに入り込まないようにというのは意識しています。採譜をしている中で感じるのは、まらしぃさんは原曲や原作のアニメ作品へのリスペクトをものすごく込めているということですね。

まらしぃ そこは自分でもすごく大切にしている部分なので、星出さんにそう言ってもらえるのはうれしいですね。

星出 ピアノでカバーする以上、指は10本しかありませんから、弾く部分と省く部分が必ず出てきてしまうんです。原曲とまらしぃさんのピアノカバーを比較すると、「ここは絶対に外せないだろうな」という音を必ず盛り込んでくるのはもちろん、普通にカバーしたら省いてしまうような細かい音までけっこう拾っている。リズム隊の音を一括して左手で弾いているからこそ、右手でメロディの細かいところまで再現できるんですよね?

まらしぃ 左手でドラムとベース、場合によってはギターのバッキングを合体させてちょっと簡略化するというのが好きなんですよね。取捨選択はありますが、キックの要素を下で弾きつつ上でカッティングを弾いたり、ベースのラインはルートに沿いながら和音を足したり。

星出 今言ったような弾き方は、ロック系の曲や、アニメのオープニングのような軽快な曲に多いと感じています。

まらしぃ これがやりたくて弾いているところがありますから(笑)。自分で聴いて好きな音は何がなんでもピアノで表現したくて、左手にリズム隊を集中させて、バックで鳴っているシンセのメロディとか効果音的な音は右手で弾く余裕を作っています。

──これまで採譜をお願いしている中で、星出さん本人に直接聞いてみたかったことはありますか?

まらしぃ 例えば低音をドカドカ弾くときによくあるんですが、アドリブ的に出てきた自分でも音楽的に合っているかわからない、説明できないような押さえ方をしたときの採譜はどうしていますか? 星出さんが採譜で困っているんじゃないかなあと思うときがたまにあって……。

星出 原曲を聴いて、まらしぃさんのコードと違う場合はあるんですが、違和感のない範囲であえて変えているのがほとんどなので、まらしぃさんの弾いた音を忠実に採譜するようにしています。

まらしぃ オリジナル曲の場合はどうですか? 例えば僕の場合、勢いで弾いた変なコードを自分でどう採譜するか悩むことが多くて。

星出 基本的には鳴っている音を採譜するようにしていますが、数小節単位で同じパターンを繰り返すとき、微妙に違う音が鳴っているときは一考しています。アドリブ部分に関しても鳴っている音をそのまま書くのが採譜としては正しいのかもしれないんですが、前後の演奏を聴いてパターンを統一したほうが演奏者にとって理解しやすいこともありますから。ケースバイケースで判断しているところはあります。

まらしぃ コード譜の場合はパターンの連続かどうかがわかりやすいと思うんですが、ピアノの場合は意図的なアレンジかそうでないかがわかりにくい部分がありますからね。もう1つ聞きたいのが、星出さんの楽譜にはけっこう大きめに何小節かにわたって大きいスラーが引かれていることがありますよね。

星出 大きなスラーは「フレージングスラー」と呼ばれるものであることが多く、このスラーは普通の「レガートスラー」と違ってフレーズの区切りを示すためのスラーなんですよ。息の長い1つのフレーズを大切にしているような曲のときに、大きなスラーを書くようにしています。逆にマルカートでカチカチしっかり刻んでいくようなメロディのときは大きなスラーを使わないようにしています。

まらしぃ そういうスラーの長さは最初に楽曲に触れたときのファーストインプレッションで決めているんですか?

星出 最初に聴いたときに決めることが多いですね。最初に悩んで決めたらそのまま進むことが多いですが、全曲採譜し終わった段階で、1つの楽譜集としての統一性を考えることもあります。今回のようなカバー集の場合は1曲ごとに曲のテイストも独立したものになるので、なるべく曲の個性を重んじる楽譜になるのかなあと考えているところです。