間々田優が16年ぶりにナタリーのインタビュー登場、ニューアルバムは“脱・突き刺し系”

間々田優のニューアルバム「タイポグリセミア」がリリースされた。

文章中の単語の文字が多少入れ替わっていても、最初と最後の文字が正しければ内容を理解できてしまう現象をタイトルに冠したアルバム「タイポグリセミア」。表題曲をはじめ、「ごめんねピータン」「エロエロエッサイム」「帯状疱疹オン・マイ・マン」など個性的なタイトルが目に留まる。

音楽ナタリーが間々田にインタビューするのは、2ndフルアルバム「予感」発表時以来、実に16年ぶり。間々田は2010年から2015年の5年間は活動を休止していたため、すでに引退していると勘違いされることも多いそう。「タイポグリセミア」を通じて「おーい! 間々田優、歌ってるよ!」とより多くの人に自身の活動を知ってもらいたいという彼女に、ニューアルバムの聴きどころや表現の変化についてたっぷり語ってもらった。

取材・文 / 森朋之撮影 / 佐々木康太

他力本願じゃダメだ、イチからやり直すぞ

──間々田優さんが音楽ナタリーのインタビューに登場するのは2009年以来、約16年ぶりです(参照:間々田優「予感」インタビュー)。

そうみたいです。2010年に活動を休止して、2015年にまたライブをやるようになって。今回のアルバム「タイポグリセミア」は5年ぶりのアルバムなんですが、リリースを発表したときに「間々田優って活動再開してたの?」という声がけっこうあって。私のことを知ってくださってる人も「もう辞めたのかと思ってた」と言っている方がかなりいました。

間々田優

──これまでのキャリアを簡単に紹介すると、2007年にデビューして、2009年までに3枚のアルバムを発表。「SUMMER SONIC」「COUNTDOWN JAPAN」などの大型フェスにも出演し、順調な活動を続けていた矢先の2010年に活動を休止しました。

「予感」というアルバムをいろいろなメディアで取り上げていただいて、タイアップのお話をいただいたり、フェスにも出させていただいてました。ただ、当時の事務所が望んでいた結果には至らなくて。お世話になったプロデューサーが辞めてしまい、事務所自体もアーティスト部門を縮小することになって、思うような活動ができなくなってしまったんです。曲作りは続けていたし、しばらくは「体制が整えばまたアルバムを出せるだろう」と思っていたんですけど、全然何も起こらず。4年くらい経ってようやく「他力本願じゃダメだ、自分で変えないと」と思い立ちました。

──音楽業界自体もCD主体のビジネスから配信やサブスク、ライブへと変化した時期でしたからね。

そうですね。それに、2011年には東日本大震災があって……。もちろん自分自身の力不足が一番大きいんですけど、活動できない時期が続いてしまって。落ち込んだり自暴自棄になったりもしながら、その中で「自分は何をやりたいんだろう?」と見つめ直して、やっぱりライブがしたい、いろんな人に会いに行きたいと思ったんです。その後、事務所を辞めて、今もバックアップしてくれてるプロデューサーとの出会いがあって。長い時間がかかりましたけど、ずっとエネルギーを持ち続けられたのは財産だなって思ってます。私のXのアカウント名は「@demodorimamada」(出戻り間々田)なんですよ(笑)。独立したときに「イチからやり直すぞ」と作ったカウントなんですけど、今も“出戻り”みたいな気持ちで活動していますね。

間々田優

灯火が消えそうなこともあった、葛藤もあった

──2015年以降の活動については?

最初は手探りで、とにかく活動が止まっていた時間を巻き戻したくて。2014年の大みそかに「果実」という完全に手作りのCDを出しました。その後、2018年に「女女女女」、2020年に「平成後悔」というアルバムを出して。全国ツアーも実現できたし、新しいキャリアを積み上げられている手応えがありました。ただ、2020年からコロナ禍になってしまって。予定していたツアーができなくなったり、私の周りにも音楽を辞める方がいらっしゃったり、本当に大変でしたね。配信ライブに特化したスタジオを作ったり、受け入れてくれるライブハウスを探したりする中で、ライブに対する意識も変わりました。振り返ってみると、デビューした頃はステージにあぐらをかいて弾き語りをしていて。

──それも間々田さんのスタイルでしたよね。

立ってギターが弾けなかったんです(笑)。ステージに座ってアコギを弾きながら歌ってたら、「面白いね」と個性として捉えてもらえて。とにかく人に自分を認めさせようと必死だったんですけど、2015年以降は大きく変わったと思います。自分の中にあるエネルギーは同じだけど、やり方が変わったというのかな。今回のアルバムにもつながりますが、今は“脱・突き刺し系!!”というテーマを掲げていて。

間々田優

──以前は“突き刺し系シンガーソングライター”という看板を掲げていましたよね。生々しい感情をリスナーに突き刺す!という。

“突き刺し系”は2015年から名乗ってたんですけど、それも自分で付けた冠だったんです(笑)。デビュー曲の「八千代」(1stミニアルバム「あたしを誰だと思ってるの」収録)に「刺してやろうか」というフレーズがあって、そこからつながっています。で、どうして“脱・突き刺し系”かというと、やっぱりコロナ禍に経験したことが大きくて。もがきながらライブを続ける中で「自分を認めさせよう」とか「突き刺す」という思いより、自分を許したり、もっと楽しむ方向に昇華してもいいのかなと感じるようになりました。それは今回のアルバムにもすごく出ていると思います。

──スタイルや表現方法は変化しても、音楽に対する情熱やエネルギーは変わらないというか。あきらめないパワーがすごいですよね。

「それだけは変わらないですね」って言えればカッコいいんですけど、自分の中で灯火が消えそうなこともあったし、「これで本当にいいのかな?」という葛藤も繰り返してました。ずっともがいてましたけど、自分でもよくここまで来られたなと思います。

楽しさや面白さも隠さず表現

──では、アルバム「タイポグリセミア」について聞かせてください。間々田さんにしか書けない、歌えない曲ばかりだなと。

うれしいです。ちなみに2009年くらいの間々田優の楽曲の印象はどんな感じでした?

──自分自身の中にある葛藤や憤り、怒りが生々しく刻まれていて。その印象が一番強いです。

確かに怒りが活動の原動力だったし、ずっと怒ってましたね(笑)。納得いかないことがあると、それを誰かにぶつけるのは正義じゃない気がして、とにかく自分にぶつけてました。そのせいで苦しくなってた時期もありましたけど、今、当時の曲を聴くと昔の写真を見てるような気持ちになるんですよ。怒りややりきれない思いがパワーになってたんだなって、俯瞰して曲を聴けるようになったというか。

間々田優

──自分自身を俯瞰している感覚は、今回のアルバムにも反映されているように感じます。ユーモアのある楽曲も多いし、楽しみながらやってるんじゃないですか?

楽しいという感覚は増えたと思います。前はユーモアだとか、楽しさみたいなものを素直に歌詞にできなかったんですよ。「私は“突き刺し系”だから」という意識が強くて、楽しさや面白さを隠しちゃうところがあった。それを表現できるようになったのが、今回のアルバムのタイミングだったんだと思います。

──アルバムの収録曲は、ここ数年で書かれた曲が多いんですか?

収録曲の3分の1くらいはアルバムのために書き下ろした曲ですけど、そのほかの曲は書いた時期がけっこうバラバラなんです。例えば「あいの国」はマンガ家の丘上あいさんに頼まれて書いた曲で。コロナ禍のときは出版業界もすごく影響を受けたみたいなんですが、「それでも私はマンガを描いて生きていくと覚悟を決めたので、その思いを曲にしてほしい」と。丘上さんはずっと間々田優の曲を聴いてくれている方だし、私としてもその思いに応えたかったんですよね。