LOWBORN SOUNDSYSTEMメンバー全員インタビュー|初期衝動と普遍性の化学反応

エレクトロディスコバンド、LOWBORN SOUNDSYSTEMが3月にリリースしたEP「It's a show time」は、バンドの歴史において新境地を開拓するものとなった。徳島民謡を彼らなりに料理した「Yatto-Sa!(阿波踊り)」のミュージックビデオが海外で再生回数を伸ばすなど、その存在が着実に拡散 / 浸透し始めているのだ。

そこで今回はメンバー全員へのインタビューを敢行。いまだ謎多きバンドの実像と音楽性を深掘りした。初期衝動と普遍性という一見相反するように見える要素はいかにして化学反応を起こしたのか。その根底に横たわる彼らの冷静な分析は、実に示唆に富むものとなった。なお、音楽ナタリーではバンドの首謀者である古澤彰へのインタビューを以前行っているので(参照:大学准教授、会社経営者、アーティスト&DJ……さまざまな肩書を持った男の正体とは)、未読の方はぜひそちらも併せて読んでいただきたい。

取材・文 / 小暮秀夫撮影 / 入江達也

好きな音が近いので、一緒にやるようになったのも自然な流れ

──今回はLOWBORN SOUNDSYSTEMの音楽性をいろいろと深掘りしていきたいと考えています。メンバーはそれぞれ多彩な経歴の持ち主と伺っていますので、まずは自己紹介をお願いいたします。

古澤彰(Vo, G, Programming) もともとはピアノやDJをやっていた流れで高校の頃にトラックメイキングをするようになり、LOWBORNの原型となるグループで活動を始めて、今は大学の音楽系学科の准教授と、システム開発やマーケティングの会社をやりながら音楽活動もやってるという感じです。LOWBORNでは主に作詞作曲を担当しています。また個人名義では室内楽の作曲や、四つ打ち系のDJを中心にやっています。

神無月ひろ(Vo) 私は中学卒業してすぐの16歳のときにマンガ家デビューして、少女マンガを描いていました。その後20代半ばぐらいからイベントの主催をすることになりまして。最近は謎解き脱出イベントを主に開催しています。さまざまな謎をお客さんに解いてもらうという企画で、女優さんも必要なので、今隣に座っている椿かおりさんに演じてもらいました。とてもファビュラスなお姫様をやってくれます。あとはタレント活動もやっていて、テレビのバラエティ番組にコメンテーターとして出たりしていました。ホラーマンガを描いてたときには、同じ雑誌のホラーマンガ家さんたちで劇団を作ろうっていう話になりまして、舞台で山咲トオルさんとラブシーンをしました(笑)。

古澤 彼女はもともとサポートで参加してくれていたんですけど、メンバーチェンジのタイミングでメンバーとして加入してくれた感じです。

神無月 ギャルハウスと呼ばれてたシェアハウスに住んでいたときに、仲のいいお友達が「ギリギリシティ」(LOWBORN SOUNDSYSTEMが主催するイベント)に出演していて、LOWBORNのことを手伝ったりしていたんですね。その関係で私もLOWBORNのライブにサポートで出演したこともあり、それがきっかけとなってメンバーになりました。うれしいことですけど、声をかけていただいたときは少しびっくりしました。

椿かおり(Vo) 私はもともと読者モデルをしてたんですけど、そこから女優もやるようになって、映画のプロデューサーの方から古澤さんを紹介されたんです。女優以外にダンサーの仕事もしていて、バンド活動にも興味があったので、加入に至りました。最初は、私でいいのかな?みたいな感じもあったんですけど、ライブで盛り上げるという立ち位置を見つけて、楽しませていただいてます。あと、読モを始める前は料理の道に進もうと思って、そういう高校の学科に行って調理師免許を取ったので、今もお料理のお仕事のオファーをいただいたり。

古澤 椿さんは自分で作った料理をインスタにアップしていたら、メニュー開発の依頼がインスタ経由で来るようになったんですよ。

椿 コロナ禍にお芝居のお仕事が一気に停止したときにお料理の写真をアップしていたら、思わぬところで仕事が広がりました。

──椿さんは映画監督もされているそうですね。

椿 いろんなお仕事をしている流れで、たまたま映画の監督もという話が来て。半ドキュメンタリーですね。ドキュメンタリーとモキュメンタリーを合わせたような。一般の子たちをオーディションしてアイドルグループを結成させて、どう成長していくかを追うという。その子たちのMVを監督したりもしています。

本間本願寺(G) 自分はもともとテクノDJプロデューサーとしてデビューしまして、ヨーロッパのテクノレーベルを中心に曲をリリースしていました。それと並行してビッグファイアというエレクトロニックロックバンドとしてレコードを出していました。今は古澤さんと同じ大学で、講師としてテクノ系の授業を担当しています。最近は“MCあんにゅと本間本願寺”というラップユニットをメインにやっていて、並行してLOWBORNでも活動しています。

古澤 もともと、本間さんのビッグファイアとLOWBORNで対バンする機会が多くて、付き合いは長いです。本間さんのイベントに私をDJとして呼んでくれたりして、十数年つながりがある中で自然にLOWBORNのほうにも加入してくれた感じです。好きな音が近いので、一緒にやるようになったのも自然な流れだと思います。

──メンバーが加入した順番は?

古澤 椿さん、ひろちゃん、本間さん、という順ですね。

LOWBORN SOUNDSYSTEM

LOWBORN SOUNDSYSTEM

未来に残すためにはムーブメントに頼らない独自の発想が必要

──基本は古澤さんが中心になって曲作りをしているんですか?

古澤 そうですね。私が作詞作曲したうえでトラックも作って、レコーディングのエンジニアとミキシングまで自分でやることが多いです。ただ、本間さんのトラックもあったほうがいいと思うので、次のレコーディングからは2人で手分けしながら作っていこうと思っています。例えば本間さんが作ったトラックで、歌詞だけ私やひろちゃんが書くっていうのもあり得るでしょうし。今回の新作EP「It's a show time」でも、私の曲を本間さんがリミックスしてMCあんにゅがラップしたものもあるので。

──「LAST GAME(MCあんにゅと本間本願寺Remix)」のことですね。リミックスというよりは、再構築と言ったほうがよい仕上がりですね。

本間 そうですね。そういう意味のリミックスです。

──LOWBORNのサウンドはアッパーなダンスミュージックであるという特性がありますね。そこにこだわりは?

古澤 ベースはやっぱりそこだと思いますね。自分たちがDJから活動を始めているので。作曲をし始めたのはもっと前ですけど、人前に立つようになったのはバンドで演奏するよりDJでの活動のほうが先なので、曲を作っていると、自分がDJをやるときにかけやすいような構造に自然となる気がします。DJをするときの曲のつなぎやすさは、普段から自然と意識しているからだと思いますね。

──サウンドにはテクノやロック、ヒップホップ、パンクなどが混ざり合っていった1990年代初頭の匂いを感じます。それは、世代的にそういう音楽を聴いてきたことの影響もあるのでしょうか?

古澤 音楽的には、ここ2人(古澤と本間)はそのへんがルーツですね。自分がクリエイターになるまでに吸収してきた音ですし。クラシック音楽でも、私が作曲家として影響を受けたのは、例えばストラヴィンスキーとかバルトークとかの世代なんですよ。今からちょうど100年ほど前の時代です。それまでの様式美を壊して、完全に崩壊させてしまう一歩手前のような作風。フランスの印象派やドイツの表現主義の作曲家たちも含めて、芸術音楽でもそういう新しい実験をし始めた頃の過渡期の時代の音楽が好きなので、同じようにポピュラー音楽でもクラブミュージックの過渡期のカオスな感じが好きなんです。作っている側も答えを手探りで模索している感が作品に表れているところが、根本的に好きなのかもしれないですね。ただ、それをそのまま同じようにやっても、時とともに風化してしまうと思います。当時の曲を今聴くと、やっぱり時代を感じるので。だから、それを自分たちなりのフィルターと技術で、色褪せないような感じに仕上げようという気持ちでやっている面が大きいですね。現在のフィルターを通して、さらに10年後、20年後にまだ聴ける普遍性を意識しています。

古澤彰(Vo, G, Programming)

古澤彰(Vo, G, Programming)

本間 そこはやっぱり私も古澤さんも同じようなニュアンスで音楽を捉えているところがありますね。ある音楽が盛り上がってムーブメントが起こるのはとても面白いことだとは思うんですけど、一方で一過性のものはすぐに消えてしまって先に続かない。未来に残すためにはムーブメントに頼らない何か独自の発想というか、アレンジが必要だと思っているんです。音楽的な文脈の中で、自分の視点も通したうえで、現代的なフィルターも通して普遍的なものに変えることが、我々の根幹にあるのかなと。

──活動の歴史は長く、主催するイベントの「ギリギリシティ」も2025年4月の時点で147回を迎えているにもかかわらず、作品数自体は少ないというのは、そういう制作姿勢とも関係していますか?

古澤 関わっているかもしれないです。自分が作ったトラックに、10年後、20年後そのまま聴けるかというフィルターを1回通しているので、最終的に出す数が絞られて、作ったものの何分の1になっていますね。

摂取してきた音楽の大半はヨーロッパ、でも転機になったのは日本のアーティスト

──同じ曲でもライブで披露していくうちに、歌い方やダンスなどに変化は生じていきますか?

椿 ですね。感じ方が自分の中でも変わってきたり、お客さんの反応を見てちょっとずつパフォーマンスが変わってきたりは、あります。

神無月 基本的にダンスはもうそのときの空気感に合わせて好きにやらせてもらってます。

古澤 でも本来クラブミュージックの楽しさってそこかもしれないですね。ライブに限らず、DJプレイなんかもまさしくその場の空気に合わせて柔軟にやることが醍醐味ですし。

本間 そうですね。やっていてそう思います。

──本間さんは海外のレーベルから作品を出したりDJをしたりといった活動をされていますね。それは90年代にKEN ISHIIさん、Susumu Yokotaさん、サワサキヨシヒロさんなど日本人アーティストが海外のレーベルから作品をリリースした動きに触発されたのでしょうか?

本間 そうです、そうです。送った音がよければ、私のような人間でも作品を出せるというのはうれしいことですよね。ちゃんと音だけで判断してくれるのは、モチベーションの1つとしてすごく大きなことだと思うんですよ。最初はテクノの中でもヨーロッパのラテン感性っていうんですかね、そういう民族的な面のあるアダルト・レコーズというレーベルでした。で、海外からSNSで直にメッセージが来るようになって、DJとして呼んでもらったりとかして。すごく活動は広がりましたね。

本間本願寺(G)

本間本願寺(G)

──海外でDJをするときはどういう曲をかけているのですか?

本間 ヨーロッパのテクノが中心なんですけど、さっきおっしゃられた90年代の日本のクラシック的なテクノもちょっと持っていきますね。日本にもこういうテクノがあるんだぞっていう感じにしているんですけど、やっぱり反応はありますよ。DJのあとで「同じのを持ってるぞ」って、日本のテクノのレコードを持ってきた人もいましたし。

──いずれはLOWBORNもそういうふうに、という野望もあったりしますか?

本間 もちろん。そういう可能性があるから一緒にやっているわけです。

──LOWBORNと海外との接点ということでいえば、「CHANGE」などのMVが海外でバズっているそうですが。

古澤 ビューアーの90数%が海外なので、逆に日本であんまり聴かれていないのは寂しい面もあるんですけどね(笑)。4年前に出したEP「LAST GAME」(2021年)は、最初はヨーロッパのリスナーが多かったんですよ。特にイタリア、ドイツ、フランス、ベルギーあたりが多くて、次にカナダが多くなったら、自然にアメリカも多くなってきました。でも、急にどこかのタイミングでインドネシアの再生数が増えて。インドネシアにはファンコットがあるから、そのへんを好きな人たちが聴き出したのかもしれません。そうしたら去年ぐらいからリスナー層が全然変わってきて。まずインドが多くなりだしたんですよ。インドでエレクトロニックミュージックのリスナーがここ数年で急激に増えてるっていうのを知って、そういうことだったのかと最近わかったんですが。そしたら、今年に入ってからバングラデシュのリスナーがものすごく増えた。今は3割近くがバングラデシュなんですよね。不思議だったので調べてみたら、バングラデシュはもともと親日国で、日本のミュージシャンをディグる文化があるらしくて。それでたまたま、うちに引っかかっている人たちが今増えてるのかなと。数カ月単位で海外のどこの国に聴かれているのかが変わってきていて、その変化も含めて反応が面白いなと思いますね。

神無月 コンサートをやりに行きましょう(笑)。

──どういうところが受けているんだと思いますか?

古澤 もともと私にしても本間さんにしても、クラブカルチャーが好きで音楽活動を始めているので、摂取してきた音楽の大半がヨーロッパの四つ打ち系だったりします。自分たちが好きだったのが海外の音だから、アウトプットするときに自然に海外のテイストが含まれているのかなと。とはいえその一方で、やっぱり日本語で音楽をやって日本で活動しているので、自分たちの活動を通じて自分たちが好きだったような音を聴いてくれる人が少しでも増えればいいなと思いますね。日本のアーティストに刺激をもらって、自分たちも演者側になろうと思ってやり始めた面が大きいので。

──日本のアーティストから受けた刺激というのは、具体的には?

古澤 例えばDJとしては、自分が中高生時代に聴いていた「電気グルーヴのオールナイトニッポン」で石野卓球さんが週に1枚ピックアップする楽曲とか。雑誌か電波しか情報源がない時代に、電波の中では唯一そのへんの音楽を発信してくれていたのが卓球さんだったんですよ。それとライブで言うと、高校のときにRHYMESTERのライブを観て、自分でもグループをやろうと思って創作活動を始めました。自分が表現活動する中での転機になったアーティストって、日本の方々だったりもするんですよね。先ほど話に出たKEN ISHIIさん、Susumu Yokotaさん、サワサキヨシヒロさん、あの御三方が当時海外のテクノレーベルからリリースしていたのは、同じ日本人としてリスナー時代にすごい勇気付けられましたし。

本間 日本のポップミュージックで言えば、私が音楽を聴き始めた頃は、岡野ハジメさん、ホッピー神山さんら元PINKのメンバーがプロデューサー、アレンジャーあるいはスタジオミュージシャンとして印象深い作品を次々に作られていて、そういう作品を掘っていくうちに次第に元締め的な近田春夫さんに行き着くわけです。当時は、その近田さんがまだビブラストーンをやっていた頃で、そのつながりで高木完さんはじめMAJOR FORCEなどのアーティストも聴いていました。ですので、ヨーロッパのダンスミュージックだけでなく、日本のダンスミュージックの影響も私にとっては大きいですね。