小林私 2ndアルバム「光を投げていた」2本立て特集|小林私×清竜人インタビュー&imdkmによるアルバムレビュー (2/2)

小林私の「役者」としての魅力

──「光を投げていた」というアルバムは、清さんと一緒に制作された「どうなったっていいぜ」だけでなく、さまざまな演奏者やアレンジャー、プロデューサーの方が参加して完成しました。今の小林さんのモード的に、いろんな人と一緒に作品を作っていく方向に開かれているのでしょうか?

小林 いや、まあ機会があればっていう感じですね。自分から率先してやりたいわけではないんですけど、だからと言って、めちゃくちゃ抵抗があるわけでもなくて。ただ、僕はどうしても「個」を開くことが性格上できないんですよ。だからこそ、乗っかるとか、一緒に向き合うとか、そういう形で開いていければいいのかなと。

 今の話を聞いても感じたんですけど、小林くんって、タレントじゃなくてアーティストだと思うんですよ。

小林 はい。

 アーティストたるもの、自分のマインドを一番大切にすべきだと思うんですよね。マインドって変わっていくもので、そのときそのときの自分の気持ちを最優先して物作りに落とし込むのが一番健全なスタイルだと思うし、そこに無理が生じると絶対に続かないし、いいものにもならない。その無理はリスナーにも伝わってしまうしね。なので、小林くんは自分自身のマインドやモードを最大限尊重して作品作りに取り組むのが一番いいと思うんですけど、今回コラボレーションをしてみて客観的な立場で感じたのは、小林私という人はプロデュースされる立場、いわゆる「役者」としての人格でも、すごく魅力のある存在だということ。もちろん関わる人は厳選すべきだけど、「プロデュースされる」ということに関しても、すごく魅力を発揮できると思う。なので、そういうチャンスが今後もあれば、見てみたいなと思いますけどね。

小林 竜人さんが今後、「ちょっとほかのボーカルがいるかも」と思ったら、呼んでいただければ(笑)。

 確かに、逆の矢印も面白いかもしれないね。それこそ、小林くんはアニメやマンガに造詣が深いから、僕が曲を書いて、小林くんが歌って、アニメの主題歌を作ったりできても面白いかもしれない。

左から清竜人、小林私。

左から清竜人、小林私。

──それこそ、堀江由衣さんに「インモラリスト」を提供したタイミングというのは、清さんにとっては、新しい自分へと変化していくようなタイミングだったんですよね。

 そうですね。「MUSIC」という僕の4枚目のアルバムがリリースされたのが2012年なんですけど、それまでまったく関わっていなかったアニメ業界やゲーム業界のクリエイター、シンガーの方々とコラボレーションして、今までのJ-ROCKシーンになかったようなテイストのアルバムを作りたいという構想がかねてからあって。それもあって、アニメシーンやゲームシーンのカルチャーに触れようとしていた時期に、堀江由衣という存在に出会い、彼女の作品やパフォーマンスを好きになって。で、ちょうどそのタイミングで堀江さんの楽曲コンペの話が舞い込んできたんですよ。あとにも先にも、コンペに参加したのはその1回のみなんですけど、自分のキャリアにとってすごくいいきっかけでした。

──清さんのキャリアはとにかく変化の連続で成り立っていると思うんですけど、変化の渦中にいる状態で、大切にされてきたことはありますか?

 強いて挙げるとすると、どんな場所に対しても100%で取り組む、やり切る、ということですね。その方向が下に向かっていても、上に向かっていてもいいと思うんですよ。さっきも言ったように、人生経験によって、そのときそのときのマインドは変わっていくものだし、その変化とどうやって向き合って作品にしていくのかというのはアーティストが誰しも直面することだと思うけど、そのとき、そのフェーズで、そのモードに100%どっぷり浸かり込むことが、僕は大事だと思っていて。僕自身、今思うと「すげー暗いアルバム作ったな」という時期もあるし、逆に「明るいのを作りすぎたな」っていう時期もあるんですけど、それは裏を返すと、そのフェーズに100%で取り組んできた証なんだなって、振り返ってみて思います。

小林私と清竜人が考える弾き語りのよさ

──小林さんから、清さんに聞いてみたいことはありますか?

小林 竜人さんは、曲を作るときは詞先ですか、曲先ですか?

 僕は曲先で。あんまりもう、歌いたいこともないんだよね。デビューしてからアルバム2、3枚くらいまでは、どちらかというと内省的な部分とか、自分が思っている思想や哲学みたいなものを歌詞に落とし込んでいて。それはそれでよかったと思うんだけど、それ以降はエンタテイナーとして、タレントとして、パフォーマーとしての作品作りが続いていて。で、最近またソロアーティストとしてスタイルを戻して活動しているんだけど、書きたい世界観やストーリーはありつつ、それが自分のことじゃなくてもいいという感じが、特に最近はあるんだよね。もちろん「このメッセージを伝えたい」っていう場合もあるし、そういうときは、詩やポエムみたいなものから膨らませていくこともあるけど、どちらかというと、メロディの美しさを大切にしてる。要は、メロディメーカーとしての自分の人格が比重としては大きく占めてるかな。

小林 メロディを先に作って、あとから歌詞を付けていく場合、歌詞の決めるときにはどういったボーダーがありますか?

 ケースバイケースだけど、基本的な考え方としては、「メロディの美しさを損ねない歌詞にしたい」というのがあって。どれだけ言いたいことをメロディに乗せられていたとしても、ラララって歌ってたほうが心に響くなっていうときもあるじゃない?

小林 わかります。

 そう思ってしまうような歌詞は、結局、減点だと思う。巷でほかのアーティストの曲を聴いていても、そういうふうに感じてしまうこともあるし。だから、自分の作品作りに関してはなるべく、メロディラインの雰囲気や美しさを損ねないような言葉選びや語尾を考えるようにしてるかな。

小林 最初のラララのほうがよかったみたいなことって、曲作りだけじゃなくて、けっこういろんな分野で言えることですよね。絵で言うと、キャンバスにでっかく描いたやつより、ちっちゃく下に描いたドローイングのほうが、すげえよく見えることもありますし。僕が弾き語りを好きなのはそこなんですよね。バンド編成だと、ほかの人と一緒にステージ立ってやる以上、きっちりと決めなきゃいけないことがたくさんあるけど、弾き語りなら、身軽さを持ってより生に近い感覚でやれる。今度、竜人さんにゲストで出ていただくワンマンも、弾き語りでやろうと思っているんですけど。

 セトリってもう決めてるの? 今回のアルバムの曲をやる感じ?

小林 いや、普段からあんまりそういうことは気にせずセトリを組んでるんですよ。そのときに新曲ができていたら、その新曲をやったり。僕はセットリストって、その日のライブに行く自分を想像して作るんです。ライブハウスの雰囲気とか、「こんなふうにしゃべり出して、歌い出して……」みたいなことを流れのままに想像して、セットリストを作っていく。曲の作り方も近いんですけど。

 なるほどなあ。いいセットリストの組み方だね。

──清さんも、近々弾き語りツアーをやられますよね。今改めて弾き語りに向き合おうと思ったきっかけはあったんですか?

 ん? 経費削減ですよ。

小林 (笑)。まあまあ、弾き語りのよさってそこでもありますもんね。それと、荷物が軽くて済むっていう(笑)。

 あとやっぱり、弾き語りの魅力は、声が聞こえやすいところ。前に、ポール・マッカートニーのライブに行ったときも思ったし、aikoのライブに行ったときも思ったんだけど、2、3時間くらいの尺のバンド編成のライブの中で数曲やる弾き語りの曲って、すごくいいんだよね。その日のライブで一番よかったくらい。もちろん、バンド編成の中の数曲だからっていうのもあるけど、やっぱり、そのアーティストの声を聴きたいと思ってるお客さんもたくさんいるし。声をダイレクトに届けられるっていうのも、弾き語りの一番の魅力だよね。

左から清竜人、小林私。

左から清竜人、小林私。

活動を続けるには

──今回の「光を投げていた」のリリースは、小林さんが自主レーベル・YUTAKANI RECORDSを設立しての第1作でもあります。この先の小林さんに向けて、音楽活動をしていくうえでの気持ちの持ちようなど、清さんから何かアドバイスをいただければ。

 アドバイスになるかわからないけど……やっぱり、メンタルって一番大事だなと思うんですよね。で、こうやって音楽を作る仕事っていうのは、特にメンタルを削ってやる仕事でもあるから。特に小林くんは、身を削って作品を作っていくスタイルなのかなって、今日も話を聞いてて思ったんだけど。

小林 そうですね。

 僕も、自分自身の実際の出来事や価値観を作品に落とし込んでいた時期は、今思うとしんどかったことも多々あって。そういう経験があるから、できないときはできない仕事だと、僕は思ってるんです。「自分に甘い」と思われるかもしれないけど、作れないときは作れないし、どこかで自分の防衛ラインを持っておかないと、メンタルがブチ壊れてしまう可能性もある仕事だと思う。もちろん、社会人として最大限がんばろうとする努力は必要だけど、本当にダメなときはダメで、仕方ないと思う。そういうことを自分で認めて、最終防衛ラインみたいなものを設定しておくと、ちょっと心はラクになれるかなと思います。少なくとも、僕の経験上はそうでした。最悪の最悪は、逃げればいいから(笑)。

小林 はい(笑)。

 どれだけ人に迷惑をかけても、逃げていい。その代わり、迷惑かけた分、ちゃんとどこかで恩返しする。そういう発想を持っておくと、ラクになれるんじゃないかな。

左から清竜人、小林私。

左から清竜人、小林私。

小林私ライブ情報

小林私 東阪ワンマンライブ「舞台では支配の力は諸君に宿る」

  • 2022年5月21日(土)大阪府 ユニバース
  • 2022年6月11日(土)東京都 Zepp Haneda(TOKYO)

出演者

小林私
ゲスト:清竜人

清竜人ツアー情報

清 竜人 弾き語りTOUR 2022

  • 2022年4月8日(金)愛知県 千種文化小劇場
    OPEN 18:30 / START 19:15
  • 2022年4月10日(日)大阪府 あいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホール
    OPEN 17:00 / START 18:00
  • 2022年4月16日(土)東京都 草月ホール
    OPEN 14:30 / START 15:15 ※追加公演
    OPEN 18:00 / START 19:00 ※ソールドアウト

チケット一般販売(先着):2022年3月9日(水)20:00~各公演前日23:59まで

プロフィール

小林私(コバヤシワタシ)

1999年1月18日、東京都あきる野市生まれのシンガーソングライター。多摩美術大学在学時に音楽活動を本格的に開始した。自身のYouTubeチャンネルでオリジナル曲やカバー曲を配信しており、チャンネル登録者数は14万人を超えている。2021年1月に1stアルバム「健康を患う」を発表。2022年3月には自ら立ち上げたレーベル・YUTAKANI RECORDSより2ndアルバム「光を投げていた」をリリースする。

清竜人(キヨシリュウジン)

1989年生まれ、大阪府出身のシンガーソングライター。15歳でギターを手にし、作曲を始める。16歳のときには早くも自主制作盤を発表し、そのクオリティの高さが音楽関係者の間で話題となった。映画「僕の彼女はサイボーグ」への挿入歌提供を経て、2009年3月にシングル「Morning Sun」でメジャーデビュー。その後もシングル、アルバムを精力的にリリースし、2014年9月から2017年6月にかけては“一夫多妻制”アイドルユニット・清 竜人25として活動。およそ3年におよぶプロジェクトで6枚のシングルと2枚のアルバム、合計31曲のオリジナルソングを作り上げた。清 竜人25と並行し、2016年12月に立ち上げたプロジェクト・TOWNでは「演者と観客との境界線を取り払う」というコンセプトのもと、公募によるメンバーや観客を巻き込んでのライブを敢行し、合計12回のライブをもって2017年7月に解散。同年12月にピアノ弾き語りツアー「KIYOSHI RYUJIN SOLO TOUR」でソロ活動を再開した。2019年5月、新元号「令和」が施行される1日にニューアルバム「REIWA」をリリース。2021年3月にソニー・ミュージックレーベルズへ移籍し、11月にテレビ東京系ドラマ「スナック キズツキ」のオープニングテーマ「コンサートホール」を配信リリースした。2022年2月に新曲「離れられない」を発表。同楽曲を原案とした、ソーシャルドラマYouTubeチャンネル「みせたいすがた」の作品「HANARE RARENAI」では主演および監督を務めた。