ナタリー PowerPush - JAMOSA
JAY'ED & 若旦那との熱血コラボ 夢中になれる“何かひとつ”を胸に──
「何かひとつでも 夢中になれる物を 何かひとつ 胸に持ってみろよ」──。JAMOSAのニューシングル「何かひとつ feat. JAY'ED & 若旦那」は、そんなストレートなメッセージを3人が熱く歌い上げるソウルチューン。これまでグラマラスな容姿と艶のある歌声を武器に、女性ならではのR&Bを体現してきたJAMOSAとしては異色のナンバーともいえる。
今回ナタリーが行ったインタビューでは、今作が初のドラマ主題歌に抜擢されたこと、JAY'EDや若旦那との楽曲制作、そして3rdアルバム「RED」以降の音楽的な変化について、JAMOSA本人が正直な思いを激白。また彼女にとっての「何かひとつ」とはなんなのかを問い、そのキャラクターをさまざまな方向から探った。
取材・文/鳴田麻未
ドラマ、曲、自分の人生がシンクロ
──つい先日、ドラマ「美咲ナンバーワン!!」が始まりましたが、オンエアはご覧になりました?
観ました!
──自分の曲がああやってドラマの最後に流れてくるのはどんな気持ちでしたか?
もう夢のようですね。ドラマの話をもらってから曲を書いたので、ドラマと曲はもちろん、さらに自分の人生もシンクロして不思議な感じがしました。私の人生も「美咲」と同じように好きなことに向かって突っ走ってきて、こうして1つの夢が叶ってんだなぁって。
──ドラマの主題歌を歌うことは夢の1つだったんですか?
私の夢はいろんな人に自分の歌を聴いてもらうことだから、それがどんな形であってもいいんです。映画やCMだったり、ライブだったり、ケータイでもいい。だからドラマもその中の1つ。ただドラマ主題歌っていうのは初めての形だし、うれしさもひとしおですね。毎週楽しみにしてる人がいて、歌によってそのストーリーがより良く感じられたり、心に染み込んだりするのってすごくパワフルなことだと思う。
この3人でなきゃ表現できない曲
──では楽曲についてですが、「何かひとつ」というタイトルどおり、1つのメッセージをストレートに伝える直球なナンバーですね。耳に残るキャッチーさも抜群ですし。
そういうわかりやすさもこの曲の強みかな。みんなが歌える、飾らない、ストレートで、シンプルな曲だと思います。
──曲のテーマはJAY'EDさん、若旦那さんと3人で考えたんですか?
まずドラマのストーリーを読んで、それぞれ美咲を自分に置き換えてみたんです。JAY'EDはJAY'EDなりに、若旦那は若旦那なりに、私は私なりに。で、こんなところがリンクしてるな、似てるな、自分はこういう人生送ったなって思い返して、それぞれが感じた思いを曲に吹き込みました。まぁ基本的に3人とも熱いからね、こういうメッセージの曲になったんですけど。
──制作はどのように進めたんでしょうか。
制作当時、若旦那がニューヨークに住んでたり、JAY'EDがツアー中だったりと、3人の環境がバラバラだったんですね。なのでSkypeを使って「今録ったラインどう?」なんてやりとりをしながら、じっくり時間をかけて制作しました。1人でやればタンタンタンッと進むレコーディングも、今回は3人の魂を込めたから時間がかかって。でもその結果この3人でなきゃ表現できない、自信を持てるいい曲ができたと思ってます。
CD収録曲
- 何かひとつ feat. JAY'ED & 若旦那
- 10年後も...
- 何かひとつ feat. JAY'ED & 若旦那(U sing with JAY'ED & 若旦那 KARAOKE)
- 何かひとつ feat. JAY'ED & 若旦那(U sing with JAMOSA & 若旦那 KARAOKE)
- 何かひとつ feat. JAY'ED & 若旦那(U sing with JAMOSA & JAY'ED KARAOKE)
- 何かひとつ feat. JAY'ED & 若旦那(KARAOKE)
- 10年後も...(KARAOKE)
JAMOSA(じゃもーさ)
1983年生まれのR&Bシンガー。日本人の父親と台湾人の母親の間に生まれ、10歳のときにマイケル・ジャクソンの来日公演にキッズコーラスとして参加した経験を持つ。17歳からインディーズシーンでの活動を開始すると同時に、Def Tech、m-flo、TERIYAKI BOYZ、SPHERE of INFLUENCE、Miss Monday、Big Ronといったビッグアーティストからのラブコールを受け、多数の客演をこなす。2005年9月、ミニアルバム「Standing Strong」をリリースした後、2006年8月にはシングル「DREAM」でメジャーデビュー。5枚のシングル、3枚のアルバムを発表し、女性R&Bシーンにおいて確固たる地位を築く。そして2010年8月にrhythm zoneへ移籍したのをきっかけに、再び活発なリリース活動を行っている。