ナタリー PowerPush - JAMOSA

JAY'ED & 若旦那との熱血コラボ 夢中になれる“何かひとつ”を胸に──

私の中で「RED」が1つのゴールだった

──個人的に、今までのJAMOSAさんには、色気ムンムンでブラックなサウンドを歌い上げるR&Bディーヴァといったイメージが強かったので、今回のようにポップで明るい曲は新鮮でした。

うん。意外でしょ? えへへへ(笑)。

──はい(笑)。

今まではほとんどすべての曲を自分で書いてたんですけど、最近はいろんなことに挑戦してみたくて。他の人が書いたメロディに対して私が詞を付けるとか、誰かにプロデュースしてもらうってことも去年からやり始めたり。

──それはどうして?

単純に歌手としてどんな歌も歌えないといけないなっていうのもあるし、自分の中にあるのに見えないものを引き出してくれるって素晴らしいことだなと思えたから。だから今回、今までのスタイルとは違うけど新たなチャレンジをしたことで、これからやれることの幅広さを作品で表現できたと思うんです。これからも素晴らしい曲があったらどんどん歌ってみたいな。

──以前と心境が変わったっていうことですか?

もともとクラブで歌い始めた頃、自分で曲が書けるようになる前は人の曲を歌ってて。それを「“ただのカバー”だよね」って言われてて、どうにかちゃんと“自分の曲”にしようとがんばってたんです。で、自分のモノにしたと感じるところまでやって、その後曲を作れるようになって、今また原点に戻ったというか初期の頃のような立ち位置にいる気がします。でも姿勢はもっと意欲的ですよ。今回は若旦那にプロデュースを頼んだんですけど、彼はとても私のことを理解してくれるし、信頼してる人。もちろん人は選んでますよ。誰でもいいってわけじゃないんで(笑)。

──自作曲がほとんどという時期から今のモードにシフトしていくまで、どんな経緯があったんでしょう。

2009年に「RED」というアルバムを出したんですけど、私すごい好きなアルバムで、すごくみんなに広げたかったから、かなり長い間プロモーションをしてたんですね。で、その間にあるアーティストから「私が書いた曲をぜひジャモに歌ってほしいんだ」って話をもらって、「私そういうの絶対やらないから」って思ってたんだけど、その人をアーティストとしてリスペクトしてるし、熱意に押されてやってみようということになって。その経験で「あっこれ面白いかも」って感じたのをきっかけに、こういうのもやってみたい、ああいうのもやってみたいっていうのがどんどん出てきて。なんか、“こうじゃなきゃいけない”っていうものに囚われていたら損することが多いなとわかって、そんな決まりどうでもいいやって思えてきたんです。

──なるほど。確かに「RED」はJAMOSAというアーティストを極めた名盤だと思います。だからこそ、昨年あたりからの大胆な音楽性の変化には驚かされました。

よく自分に言う言葉で、“ゴールにたどり着いたら通り過ぎるな”というのがあって。人は、ゴールにたどり着いたらゴールを守ろうとする。でも同じところにいて同じことやってたら面白くないじゃないですか、変化もないから。だから、たぶん私の中で「RED」というのが1つのゴールで、そこからもう一度新しい自分を生み出さなきゃいけないときだったんですよ。それはアーティストとしてだけじゃなくて、人としても、人生の大きな変革期で、いろんなことがあってワンステップアップしつつ、違う目線からもう1回自分を見直すことができた。たぶんその成果が音楽に表れてるんだと思う。

──それを受け取るリスナーの反応は考えますか?

受ける側も今までとちょっと方向性違うなって感じるでしょうね。それが好きかどうかは聴く人の好み。でも私の人生は常に変わっていってるから、もちろん10年前と今は全然違うし、ここからの10年も絶対変わると思う。人として、女性として、アーティストとして常に変化していくので、みんなもそれについてきてほしいって感じです。んーでも、変わらないものは変わらないからね。

──変わらないものとはどういう部分ですか?

私は物事をハッキリ言う人だから、ちゃんと思うことを伝えるんです。今回の曲にしても、若旦那が書いてきてくれた歌詞に対して「旦那、ここはこうじゃないと思う。私はこう思うよ」ってしっかり主張する。そういう、正直でいることだけは、人としてもすごい大切にしてるかな。

──なるほど。

でもそれは別に自分の思い通りのところに着地したいわけじゃなくてね、結果はね返されてもいいんですよ。「違うじゃん」って気持ちを伝えたこと、それが大切だと思うから。

──JAMOSAさんって早くから音楽で自分を表現されていたので、主張が強いなっていうのは傍からも感じてました。

ウザイぐらい強くね(笑)。

JAMOSAにとっての“何かひとつ”

──では話題を変えて。曲の歌詞に出てくる「何かひとつ夢中になれる物」にちなんで、JAMOSAさん自身が人生で一番夢中になったものを教えてください。

えーとね、「歌うこと」でしょ、「ドラえもん」でしょ、「ローラースケート」でしょ、「お化粧」でしょ、「洋服」、「髪伸ばすこと」、「人と話すこと」、「恋」……。もう“何かひとつ”っていうか“何か100”くらいなんですけど(笑)。とにかくちっちゃい頃夢中だったものは全部今でも好きですね。

──その中から「歌うこと」を生業にしたわけですが、歌手になりたいと思ったのはいつ頃だったんですか?

音楽を「仕事」にしたいと思ったのが、11歳のときにマイケル(・ジャクソン)が地元の福岡に来て、彼のライブのバックコーラスを担当させてもらったとき。それまで音楽は「好き」っていう程度だったんだけど、それをきっかけにもう仕事にしようって考えになって。で、何もしなかったら時間の無駄! クラブは音楽流れてるから週末クラブに行けばどうにかなる! と。11のときにそう思って、12のときに初めてクラブに行って、13のときから歌い始めて……。

──早いっ! (笑)じゃあ物心つくと同時に歌手になったJAMOSAさんにとって、"何かひとつ"はすぐに見出して、目指した夢も早々に達成されてるわけですよね。

そうですね。でも別にデビューできた、CDが出せたから夢が叶ったっていうことでもないと思う。私にとっては、常に音楽に携わっていたい! 音楽で一生懸命やっていく! って思いで生きることが、イコール夢を生きてるってことだから、今も夢は続いてます。こうしてドラマとかメディアで流してもらうことも夢だし、レコード会社にサポートしてもらえるのも夢だし、ここにいるのも夢みたいなこと。もう夢いっぱいですよ。そんなふうに幸せを感じて生きてるからね、「私の人生何もない」とか「どうせ私は」とか言ってる人にも“何かひとつ”を見つけてほしい。

──でも今の時代、そういう“何かひとつ”を見つけられない人も多いかもしれませんね。何をしたらいいのかわからないっていう。

よくいる。でもここに生まれたのは絶対意味があるから、自分の人生何もないみたいに思わないほうがいいと思う。今は見つかってなくても、気づいてないだけ。それは別に15歳でわかんなくても、20歳でわかんなくても、40歳でわかんなくてもいいと思うの。みんなタイミングが違うから。だから焦んなくていいんじゃないかな。

──JAMOSAさん、スーパーポジティブですね~。

でも落ちるときは落ちるよ(笑)。アハハハ!

──落ちたときはどうするんですか?

死ぬほど泣いて、スッキリする。誰にも見せられないぐらいに(笑)。枕に向かってウワァーって泣きまくります。

強い男性を育てるのは強い女性!

──最後に、今後の目標や野望、読者へのメッセージを聞かせていただけますか。

とにかく、このドラマタイアップをきっかけにたくさんの人がJAMOSAのことを知ってくれることを願ってます。そこから過去の作品や今後の作品も聴いてもらってJAMOSAの世界観をいろんな人に広げてもらえたら。それから私、女性からすごくサポートもらってるので、自分の歌で日本の女性を元気付けたいですね。ため息ついちゃうようなときに、JAMOSAを聴いてがんばろうって思ってほしい。やっぱ強い男性を育てるのは強い女性だと思いますね!

──名言いただきました(笑)。JAMOSAさんのような女性が増えれば男性も強くなると思います。

男子力アップ?

──あはは(笑)。“女子力アップ”はよく聞くけど“男子力アップ”はあんまり聞かないですね(笑)。

流行らせますか? 「男子力アップ」(笑)。

ニューシングル「何かひとつ feat. JAY'ED & 若旦那」 / 2011年2月23日発売 / 1050円(税込) / rhythm zone / RZCD-46761

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CD収録曲
  1. 何かひとつ feat. JAY'ED & 若旦那
  2. 10年後も...
  3. 何かひとつ feat. JAY'ED & 若旦那(U sing with JAY'ED & 若旦那 KARAOKE)
  4. 何かひとつ feat. JAY'ED & 若旦那(U sing with JAMOSA & 若旦那 KARAOKE)
  5. 何かひとつ feat. JAY'ED & 若旦那(U sing with JAMOSA & JAY'ED KARAOKE)
  6. 何かひとつ feat. JAY'ED & 若旦那(KARAOKE)
  7. 10年後も...(KARAOKE)
JAMOSA(じゃもーさ)

JAMOSA

1983年生まれのR&Bシンガー。日本人の父親と台湾人の母親の間に生まれ、10歳のときにマイケル・ジャクソンの来日公演にキッズコーラスとして参加した経験を持つ。17歳からインディーズシーンでの活動を開始すると同時に、Def Tech、m-flo、TERIYAKI BOYZ、SPHERE of INFLUENCE、Miss Monday、Big Ronといったビッグアーティストからのラブコールを受け、多数の客演をこなす。2005年9月、ミニアルバム「Standing Strong」をリリースした後、2006年8月にはシングル「DREAM」でメジャーデビュー。5枚のシングル、3枚のアルバムを発表し、女性R&Bシーンにおいて確固たる地位を築く。そして2010年8月にrhythm zoneへ移籍したのをきっかけに、再び活発なリリース活動を行っている。