渡米をキャンセルしてAKB48の楽曲制作……人生の分岐点
──AKB48に関しては、井上さんは立ち上げの約1年後のタイミングから携わり、シングル曲のみならず劇場公演曲まで多数手がけています。AKB48が軌道に乗らなければ、井上さんの音楽家人生も少し変わっていた?
AKB48に関わる前、アメリカに行こうとしてたんですよ。90年代にはDeee-Lite、TOWA TEIさんなんかが世界のミュージックシーンで活躍してましたけど、海外に拠点を移して活動している日本人はあまりいなかった印象が強く、自分も試してみたいなと。ビザももう少しで取れて、娘の幼稚園も決めて……というタイミングで「劇場に観に来てくれ」と声をかけられた。日本で最後の仕事だと思って行ったら、帰りには「ちょっと2年くらいやってみるわ」と。カミさんは驚いてたけど、秋元さんは真剣だし、荒削りな情熱を感じた。そして本来の目的だった世界への入り口が秋葉原にあるかもしれない、と思えたんですね。
──すごく大きな分岐点ですね。
その話を思い出すだけでも1本のインタビューになるくらい、真剣な話をしましたね。あのとき劇場に行ってなかったら、今頃アメリカで路頭に迷っていたかもしれない(笑)。でも行ってたら大谷翔平のようになっていたかもしれないので、後悔しています。とか言ってみたいですね(笑)。
──井上さんのその柔軟な決断力があったからこそ、この20年で作家としての個性といくつものヒット曲が生まれたのだろうなと思いました。もっと頑固な人だったら「いや、俺はアメリカに行くから」と判断していたかもしれないですよね。
アメリカに行こうと思った理由は、アメリカに住みたかったわけではなく自分のメロディを世界の人に届けたかったからなんです。AKB48の公演を観たとき「ここから世界へ、曲が発信されていく」という確信めいた未来を感じた。だから軽く進路変更したわけでも、柔軟に渡り合ったわけでもなく、渡米を決めた目的からはまったくブレずにそのグループに全力投球しただけのことなんです。あれから何年も経ちました。昨年ブルーノ・マーズが来日した際、僕の曲ではなかったですが(笑)、彼がAKB48の曲をカバーしたのはうれしかった。
全国民が歌える「夢中で がんばる君へ エールを」の背景
──作家デビュー40周年を記念したプロジェクトとして、2024年7月には作家として書いた楽曲のセルフカバー「再会 ~Hello Again~」、今年2月には48グループへの提供曲をセルフカバーした「井上ヨシマサ48G曲セルフカヴァー」がリリースされました。そしてプロジェクトを締めくくる作品は待望のオリジナルアルバム「Y-POP」です。ちなみにこれ、1987年のアルバム「JAZZ」と同じ、10曲入り39分なんですけど……。
本当ですか? これ偶然ですか?
──意図したものではなかったんですね。
さっき言ったでしょ? 自然に作ったら辻褄が合っていくって(笑)。曲間ちょっと変えてたら危なかったかもね。
──それ以外にも「JAZZ」と通じるものがあるなと感じました。10曲の中にもいろんなバリエーションがありますが、冒頭を飾る「Lonely Umbrella」については先ほど話に挙がった森川美穂さんの時代に近い、1990年代ガールポップのスウィートソウルっぽさがあるなと。
この曲、僕がドラムを叩いてるんですよ。
──えー、そうなんですか!
言わないと誰も気付いてくれないくらいうまい(笑)。世の中で流行っているものは無視、今の自分にしか出せない音を自分の機材で作る、というのが「Y-POP」のコンセプトなんです。作曲初期の頃から宅録をやってます。もう数十年もやってるので機材も宅録用の箱もだいぶ進化しましたが基本の姿勢は一緒です。もちろん素晴らしいミュージシャンたちに演奏してもらっている曲もたくさんありますけど基本は自分で。だからこの曲はドラムの音がちょっとデカいんですよ(笑)。
──そして2曲目が……僕、最初は資料を見ずに聴いていたので、2曲目のイントロが流れて、そのあと井上さんが「夢中で がんばる君へ エールを」と歌い出した瞬間にひっくり返りました。「それぞれの夢2025」は、日本人ならほぼ全員が歌えるであろうあの曲の最新バージョンですね。このキャッチーさは改めてすごいなと。
あの曲が使われたCMはもともと1クールだけ流れる予定だったんだけど、評判が評判を呼んで、いろんな人が歌い継ぐ形で使われてきました。作家デビュー30周年のときに同じようにお祝いしてくれる企画があり、そのときに「それぞれの夢」をリアレンジしてアルバムに収めました。僕が作った曲だということもあまり知られていなかったので(笑)。
──CMソングだと特に作家の名前が出てくるわけではないですしね。でもその匿名性こそが、井上さんのメロディメイカーとしての才能を浮き彫りにしていると思います。2025年バージョンとして「Y-POP」に収めるうえで意識したことは?
今の等身大のサウンド感ですね。配信やSNSでの投稿が主流のこの時代にライブ感、そしてライブでの再現性も考えて、自然とバンドサウンドになりました。できあがってみたらリード曲みたいな仕上がりになったので、この間ミュージックビデオも撮ってきました。僕が1人4役でバンドをやってます(笑)。CMソングというバックグランドがあるし、みんなは“作らされた”曲だと思うかもしれないけど、お袋が亡くなるという自分がヘビーな時期に受けた仕事だったので、心境的にも重なるところがあって思い入れが深いんですよ。
──そうだったんですね。
CMソングの2025年バージョンなんて非常に商業的に見えますけど、僕にとっては真逆で。人生に1回しかない体験の裏で作られた曲だから、商業的だろうがなかろうがどうでもいい。心からあふれる旋律は親しみやすく、同じ思いを抱えてる人の心に共鳴する。それをキャッチーと呼ぶ人もいますが、あくまでそれは後付けであって、作り手がそういうことを考えた瞬間に曲は死ぬんですよ。新生活を迎える人を応援するために作った曲が、20年経って歌い直してみたら、娘が1人暮らしを始めるタイミングにも重なって。だから今回は娘に向けても歌っています。仕事ではなく人生の節目節目で曲が生まれてきた。
中山美穂のために書いた「In Your Sky」
──そして3曲目の「In Your Sky」ですが……この曲は同じくデビュー40周年を迎えた同期でもある中山美穂さんのために書かれていた曲だったとか。中山さんと言えば、「Rosa」や「True Romance」など4曲を井上さんが提供されています。
中山さんが「私40周年だから曲を書いて」と言うので、ストック曲も含めていくつか送ったんです。そしたら「In Your Sky」を気に入ってくれて。結局、彼女が歌うことは叶わなくなりましたが……僕の音楽人生にも多大な影響を与えてくれた彼女へ心よりの追悼の意を込めてこの周年アルバムに収めさせていただきました。
──「In Your Sky」には吉岡忍さんがフィーチャリングゲストとして参加しています。吉岡さんも大好きなボーカリストなので、ここでまた吉岡さんの歌が聴けたことがうれしかったです。
素晴らしいボーカリストだよね。実はAKB48に提供する曲の仮歌を吉岡さんに歌ってもらっているんです。
──えっ?
「大声ダイヤモンド」だとか「Beginner」だとか。「In Your Sky」は彼女の声と表現力がぴったりだと思いお願いしました。
次のページ »
井上ヨシマサの作るポップス「Y-POP」の真髄



