井上ヨシマサ|職業作家40周年アルバム「Y-POP」に見られるヒットメイカーの真髄

井上ヨシマサ──「Everyday、カチューシャ」「River」「Beginner」「真夏のSounds good!」といったAKB48のヒット曲などを手がけた作曲家としてその名を知る人は多いのではないだろうか。1985年、小泉今日子のアルバム「Flapper」への楽曲提供をきっかけに、アーティストデビューの傍ら10代にして職業作曲家としての道も歩み始めた井上は、荻野目洋子「スターダスト・ドリーム」、光GENJI「Diamondハリケーン」、中山美穂「Rosa」などで若きヒットメイカーとして注目された。さまざまなアーティストの人気曲のみならず、「夢中で~がんばる君へ ~エールを~🎵」と誰もが口ずさめるレオパレス21のCMソング「それぞれの夢」など、井上が作り出すキャッチーなメロディは日本中に浸透している。

そんな井上の作家デビュー40周年を記念して、2024年7月には楽曲提供アーティストとのコラボレーションによるリメイクデュエットアルバム「再会~Hello Again~」、今年2月には48グループへの提供曲をセルフカバーしたアルバム「井上ヨシマサ48G曲セルフカヴァー」がリリースされた。そして40周年プロジェクト3部作の完結編となるのが、井上のシンガーソングライターとしての魅力が詰まった最新オリジナルアルバム「Y-POP」だ。ここには前述した「それぞれの夢」の2025年バージョンや元AKB48・柏木由紀をフィーチャリングゲストに迎えた「Unlimited(feat. 柏木由紀)」、昨年惜しまれつつこの世を去った中山美穂に同じ40周年を迎える同期として贈っていたバラード「In Your Sky(feat. 吉岡忍)」を含む10曲が収められている。このアルバムを聴けば、キャッチーなメロディをストレートに届ける井上の作曲家としての魅力が伝わるはずだ。

アルバムリリースを記念して、音楽ナタリーは井上にインタビュー。稀代のメロディメイカーが誕生したそのルーツと作家活動40年の道のり、アルバム制作のエピソードなどを通じて、独自のポップ感覚=「Y-POP」の真髄に迫った。

取材・文 / 臼杵成晃撮影 / 堅田ひとみ

キャッチーなメロディのルーツは

──まずは井上さんの作曲家としてのルーツをお聞きしたいのですが、音楽的な素養はどのように培われたのでしょうか。

最初はジャズですね。小学生のときからピアノをやってたんだけど、当時の子供たちの間では「ピアノやってる男って……」みたいな空気があったんですよ。

──“男らしくない”と見られるような。

そうそう。ピアノをやってることは隠してたんだけど、モーツァルトやベートーヴェン、ショパンもみんな男でしょ。だから、いつか正当化したいと。それに、クラシックの練習はいまいち面白くないな……と思っていたときに、サミー・デイヴィスJr.の音楽に出会ったんです。コマーシャルで流れる音楽を聴いて、親に「こんな音楽がやりたいんだ」と伝えて、ジャズの先生を紹介してもらいました。その先生は小学校の音楽教師の駒形裕和氏で、当時小学生にジャズを教えていた教師はおそらく日本でこの方だけ。もともとミュージシャンだった駒形氏の人脈は広く、レッスンの講師としてさまざまなプロミュージシャンを招いていました。その中には中村八大氏の兄であるクラリネット奏者の中村ニ大氏もいた。ジャズの譜面を初めて手にした僕にアドリブのいろはを含め、大変丁寧に説明してくれました。

──小学生のときにジャズの譜面がすぐ理解できたんですか?

いえ、まったく(笑)。レコードを聴いて、耳でコピーするしかないんですよ。でもジャズはアドリブだから、レコードで聴いていると毎回同じだけど、演奏すると全然違う。結局自分で作らなきゃだめなんだって理解しましたね。中村八大さんはビッグ・フォアというジャズバンドでアドリブをバリバリ弾いていた傍ら、「上を向いて歩こう」みたいな名曲を作られていた。それで「ジャズピアニストたるもの、メロディは簡単に作れなくちゃいけないだろう」と当時は勘違いしてました。曲のメロディはテーマであり物語の答えになるもの。アドリブはその答えにたどり着くための壮大な旅の軌跡です。各々のミュージシャンがそれぞれの経験をもとに自分の人生をアドリブという形で発表し合っている。だからこそ、テーマたる曲自体はシンプルシンプルイズベスト! 偉大な楽曲というのはジャンルを越えて演奏することが可能です。40年やっていても簡単にたどり着けない境地とは難しいアドリブではなく、短くシンプルで染み渡るような、簡単に聞こえる楽曲のメロディだと僕は思うんです。

井上ヨシマサ

──なるほど。僕は井上さんをポップスとしての強度が高い作家さんだと思っていて。その根っこの部分、ルーツはどこにあるのかお聞きしたかったのですが、それはジャズのスタンダードが大きい?

そうなんですよ。結局ジャズといっても、モダンジャズ、フリージャズにまで行ってしまうとそこまでハマれなくて。ジャズが王道のポップスとして聴かれていた時代のスタンダードジャズが好きなんですね。あとはクラシックをジャズにしたもの、「プレイ・バッハ」なんかもジャズの先生によく聴かされていて。クラシックも大事なんだと教わりました。当時だとフランク・シナトラとか、映画音楽もそうですよね。「柴犬の女王」でしたっけ。……「シバの女王」ですね(笑)。あとは「シェルブールの雨傘」など、時代を越えて愛されるスタンダードな音楽には影響を受けてますね。

人は原始的に、直感的に「いいな」と思うものに反応する

──井上さんは1985年に小泉今日子さんへの提供曲「Someday」(アルバム「Flapper」収録曲)で作家としてデビューされました。1987年にはご自身のソロアルバム「JAZZ」を発表し、その後はアーティストとしての活動も並行していますよね。ご自身の中にその線引きはあるのでしょうか。

歌謡曲の作家を始めたときは「これは仕事だから」と割り切っていたつもりだったけど、今はその境目もなくなっていて。その両方を融合したのが「Y-POP」です……ということで(おもむろに立ち上がる)。

──それでインタビューは終われませんよ(笑)。ソロの楽曲も含めた井上さんの特徴は、分数コードや極端な転調などに頼らない、ストレートの豪速球で突き刺してくるようなメロディだと思っていて。もちろん曲によって細かい仕掛けがあったりはしますけど、それを意識させない豪速球というか。

その評価はうれしいですね。それもね、子供の頃にジャズのアドリブを聴いた経験で……複雑だと眠くなっちゃうじゃないですか(笑)。細かいラインのソロを一生懸命吹いている人もいるし、それがジャズの素晴らしいところなんだけど、子供だとどうしても眠くなっちゃう。ところが! アドリブも白熱するラストのほうでは音楽に興味ない人やうとうとしている子供を揺り動かすほど、心が震えるフレーズが飛び出す瞬間があるんですよ。それは、ただのロングトーン1本だったり同じフレーズの繰り返しだったり。もちろんミュージシャンの額には汗と血管が浮き上がっていて、大の大人が本気で魂を込めて発したフレーズなんですね。そういう意味ではアドリブもテーマにはならずとも、長い長い楽曲と捉えることができますよね。そして自分で曲を作るようになってからも、細かく作り込んだところは何も響いてないんだなとだんだんわかってきた。最初はやってたんですよ。細かいこだわりを詰め込んで。でもピアノ1台だけで演奏しても届く曲には、素直でストレートなメロが存在するんです。直球で勝負できなかったら引退します。でも発注があれば書きます。

──(笑)。

ヒットするしないにかかわらず、聴く人はもっと原始的に、直感的に「いいな」と思うものに反応すると思うんです。メロディが浮かんでも、楽器がある部屋に移動して「さあ弾こう」となったときに忘れていたら曲にしません。1回で自分自身が覚えられないメロを誰が口ずさめるのでしょうか? さらに言うと、そこからディレクターやプロデューサーがボツにしていくから、結果より伝わりやすいメロディだけが残っているのだと思います。

人生と同じ「辻褄が合っていく」楽曲構成

──井上さんのキャリアを語るうえでAKB48の存在は外せないところですが、いわゆるアイドルの楽曲というのは、Aメロ、Bメロ、サビを2回しして間奏があって落ちサビ、大サビがあって……という様式美がありますよね。「BメロはPPPHが入れられるように」とか。AKB48、秋元康さんのプロデュース楽曲は特にそこを重視している印象で。井上さんは、それを求められるからやっているのか、井上さんがそもそもそれを得意としてきたのか、そこが気になっていたんです。

うーん、あまり形式美は意識してませんが、長年の経験から染み付いた気持ちのいい構成に仕上がっていることは否めません。BメロについてはAKB48の劇場公演に関わり始めた頃に、やっぱりBメロ手拍子の洗礼を受けたんですよ。お客さんがパン、パパンで盛り上がってるじゃないですか。完全なる誤解だったのですが、お客様数人の手拍子のタイミングが、わずか16部音符分前にずれていて「おお! AKB48ファンのBメロ手拍子は、こんなに高度なリズムでやるのか!」と大いなる勘違いをしまして。そのあとに書いた「制服が邪魔をする」のBメロで「バンパパン」を「パン、ンパッパッ」と意味のないシンコペーションを使ったことは内緒です(笑)。ただ、それは作曲時の話ではなく編曲する際に調整する程度ですけどね! アイドルソングは一見制約の多い音楽ですが、実のところ僕は一度も“アイドルソング”を作ろうと思って作ったことはありません。小泉今日子さんに書いた作家としてのデビュー曲「Someday」の制作時、「アイドルソングを作ればいいだろう」と考えてデモを作ってボツになり、「アイドルが歌えばアイドルソングになるが、作り手がアイドルソングを意識して作るのではなくひたすら心を込めてメロディを吐き出すことが大事」と気付かされて、それ以降40年“アイドルソング”を書いてないのです。

井上ヨシマサ

──そうなんですね。

もし機会があれば僕のAKB48のデモテープを聴いてください。かなり男臭く歌ってるものも多くありますよ! もちろんアイドルが歌うために最終的に音域調整、歌い方や歌詞の変更によりアイドルソングとして聞こえるための努力はします。編曲をする際は特に修正をします。ですが曲を書く時点で「Bメロでバンパパン」などは邪念でしかないと思ってます。そのあたりは周年アルバムの第2弾「48Gカヴァー」を聴けば納得いただけるかと思います! 根本的にはどんな音楽もやっていいのがポップスだと考えているので。「大声ダイヤモンド」も作っている途中でメロディを変更したりしているんですよ。なんか気持ち悪いな、ちょっと余計だな……と削って削って、先程言われたような”形式美”みたいなものに収まっているのかもしれません。

──なるほど。

大事なのは、最初から型に収めようとしないことだと思うんですよ。「ツーハーフがないな」「Dメロがないな」じゃなくて、「なんかできあがっちゃった」もの。人生も同じですよ。なんか辻褄が合っていく。気が付いたらだいたい一緒のフォーマットに収まっている。見やすい人生、聴きやすい人生。でもそれをあえて当てこもうと思うと「やらされてるもの」になっちゃう。僕もそれが嫌で、自分で好きな音楽をやっていこうと決めて、25歳くらいで一度歌謡曲の職業作家を辞めようと決意したんです。そんなときに森川美穂さんから依頼があって。「よし、好きなように書くぞ!」と思って書いた曲が、難解なメロディではなく聴きやすく伝わりやすいメロディだった。

──テレビアニメ「ふしぎの海のナディア」(1990~91年放送)のオープニングテーマ「ブルーウォーター」ですね。

自由に作ったものがこれだったら、僕はポップスが得意なのかもしれないと自覚した。それは自分にとって大きな分岐点になりましたね。決して作らされていたものではないんだと。

──作家性にこだわったものが、めちゃめちゃ商業的だったという。その発見がなければ、きっぱり職業作家を辞めていたかもしれない?

職業作家という意識はその時点から持っていないです。それ以降、本当にやりたい作品作り以外は断ってますね。職業作家としてはダメですよね。“商業的に”というのはあくまで結果論。できあがった曲を自分で聴いた際、商業的だとか売れるだとかいう邪念を捨てて素直な気持ちで書いた「ブルーウォーター」がシンプルでわかりやすいメロだったことに自分自身が驚き、この先も音楽制作を続けていこうと思わせてくれた大切な1曲になりました。その制作をきっかけに、その後35年間は売れようが売れまいが作る姿勢は変えずにやってます。