家入レオ×edda|似てる? 似てない? 好対照の福岡女子対談

バッドエンド大好きの家入レオ、バッドエンド未体験のedda

家入 私、約束ができなくて。いけない、って思っているけれど苦手なんです。「何日がごはん会で、みんな何日と何日が空いているよ?」と言われると「わかった。じゃあその日の気分で返すね」と親しい友人には言っちゃう(笑)。親しき中にも礼儀あり、ですし、目上の方や相手との距離感とか一応考えているつもりですけど。でも、そうすると友達はやっぱり、多くはならないですね。

──まあそうでしょうねえ。

左から家入レオ、edda。

家入 家を出るまでの間も誘惑だらけじゃないですか。掃除してないし、歌詞もまだ半分しか書けていないし、出掛けるのをやめる理由を探したりして。でも常に新しい刺激は欲しいし、それも音楽につながるかもしれないし。

edda 偉いなあ……。本当はそうしなきゃいけないと思うんだけど。私、インプットが弱いんですよね。本やゲームも、同じ本をずっと読んだり、同じゲームをずっと遊んだりしちゃう。映画も同じものばかり観ちゃうんです。

家入 例えば映画だと5回目と10回目で見方は変わるんですか?

edda 気付きは回を追って増えてはいきますけど、同じ物語の中に何度も入り込んでいくという感じなのかな。

家入 例えば、私が年間200本の映画を観ているとしても、その200本から受けている刺激のパーセンテージって30%かもしれない。でもeddaさんの場合は、仮に年間5本しか観ていなくても、きっと80%くらい刺激を受けているのかもしれないですね。

edda いやいや。

──ちなみにお二人とってのスタンダードと言える作家や作品とは?

edda 私、作家さんや監督さんの名前で選ぶことはなくて、すべて作品単位なんですけど、小説だと今度アニメ映画が公開される「ペンギン・ハイウェイ」が大好き。あと映画はスピルバーグ監督の「A.I.」。

家入 「A.I.」、いいですよね。

edda

edda あ、うれしい(笑)。毎回同じところで泣いちゃいます。アニメ映画も好きで、「鉄コン筋クリート」とか。観る人によって「これ、本当にハッピーエンドなのかな?」と思えるような、明確な答えを出さない映画が好きですね。

家入 私はもうバッドエンドの映画が大好きで。

edda へえ!

家入 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」とか好きですね。現実って、もちろんハッピーなこともあるんですけど、大概のことは悲しく終わるものだと私は思っていて。本来、音楽や映画や小説って、そういう代わり映えのしない毎日に色を与えてくれるものでもあるはずだから、ハッピーなもののほうが手に取りやすいはずなんだけど、私にはそれが現実離れしたものに感じられてしまって。「生きるってつらいよ」とはっきりと言われたほうがポジティブになれるんです。だからキム・ギドク監督の「絶対の愛」とか「悪い男」とか「オアシス」っていう韓国映画とか大好きですね。

edda 私、バッドエンドの作品って観たことない……。だって観終わったあとって、「はあ……」ってなりません?

家入 なります(笑)。

家入レオは実はハッピーエンドに憧れてる

──eddaさんがバッドエンドの映画を観たときの表情を、劇場の横からそっと覗き見たいですね。

家入 私も!

edda 立ち直れなくなっちゃうかもしれない……。

家入レオ

──もしかしたらレオさん自身、本当はハッピーエンドへの憧れを強く抱いているのかもしれませんね。

家入 うん。正直それは思います。その憧れにリンクした音楽を、eddaさんはやっていらっしゃるとも言えますね。

edda ありがとうございます。私、「A.I.」のラストは悲しんだけど、あれはハッピーエンドだと捉えているんです。でもレオちゃんはバッドエンドだって捉えるのかもしれない。そういう答えを濁している作品の捉え方も、もしかしたらお互い真逆に感じるのかも。

──それぞれ違いますね。あとお二人の共通点を挙げるとするならばCoccoさんでしょうか。レオさんはかねてからリスナーだったと聴いていますし、eddaさんにはCoccoさんから楽曲提供された「ダルトン」というナンバーがあります。

edda 「ダルトン」を歌うにあたっては、自分の中で曲を消化するのがとても大変でした。Coccoさんから届いた詞曲を、自分の中でどう捉えたらよいのかとだいぶ悩んでしまって。結局、自分なりのストーリーに落とし込むことで消化してレコーディングに臨みました。

家入 そうだったんですね。私はCoccoさんをとても尊敬していますし、何より小さい頃から聴いて育ったアーティストなので。明確な絶望を歌うことがCoccoさんの勇気であり、生き様なのだと思うし。ぱっと見て、この人はほかの人とは明らかに違う価値観で生きてこられたんだなってわかるじゃないですか。それが計算でもなんでもなくて本能なわけですから。昔はそこまで気付けなかったけれど、ご本人は本当に命を削っていたんだろうなあと今では感じます。