うっすら言われたくらいで辞められるんだったら、
最初からやるんじゃないよって感じちゃう
──今の時代、お上に娯楽を禁じられることはなくなってはいるんですけど、コロナ禍に入ってからずっと続いている「エンタメは不要不急だ」みたいな風潮は、ある意味それに近いものもあるのかなと。
でも、この映画を観たあとでは、江戸時代と比べたらそこまで大したことないと思っちゃいますね。うっすら言われたくらいで辞められるんだったら、最初からやるんじゃないよって感じちゃう。不要不急だなんてとっくに承知の上だし、それが作ることを止める理由になるとは思えない。
──現代日本では絵を描いて死刑になるようなことはまずないですしね。
そう、どんなものを描いても殺されないから。ネタバレになっちゃうかもしれないけど、蔦屋重三郎の「絵は世界を変えられる」というセリフに対して、この映画では晩年の北斎に「変わらなかった」って言わせてますよね。でも、世界を変えなかったから彼の作品が無意味かというと、そんなことはないわけで。大事なのはそれで何かが変わるかどうかではなくて、常に「これで変えられる」という信念を持って作り続けることなんだと思いました。
──そもそも「芸術が世界を変える」とはどういうことだと考えていますか?
実際に時代を動かしている芸術っていっぱいあるんですよね。例えばデヴィッド・ボウイがベルリンの壁の崩壊に関わっていたことを最近知ったんです。1987年にボウイが西ドイツのベルリンの壁の前で野外ライブをしたとき、一部のスピーカーを東ベルリン側に向けて演奏したら、それを聴くために壁の向こうにもたくさん人が集まったらしくて。「自由な音楽を聴きたい」という思いが若者たちを動かして、運動を大きくしていって壁の崩壊につながった。ただそれは、音楽ならなんでもよかったわけじゃなくて、彼らはボウイの音楽だから聴きたかったんです。そもそも人の心をつかむ作品でなければ何も変わらないっていうことでもあるんですよね。
──つまり人の心を打って1人ひとりの行動を変えさせることが、世界を変えるということだと。
そうですね、うんうん。
日本人はもう一度、怒り方を覚えないといけないのかもしれない
──コムアイさん自身には「自分の音楽で世界を変えるんだ」という思いはあったりするんですか?
人の中に入り込んで、何か種を植え付けるようなイメージはすごくあります。いろんなタイプの植物がそこにあったとして、それぞれの進むべき方向に成長してもらうためにお水をあげたり、引っかかっちゃってるところを取り除く、みたいなイメージですかね。歌うときはたぶん、“解放”を意識しています。人の心の中で凝り固まっているところを緩めたり、ほぐしたりというような。
──なるほど。ということは、広い意味で言えば蔦屋重三郎的なことをやっている感覚なんですかね? 映画では北斎本人にも見えていなかった“本当にやりたいこと”を引き出してあげるようなストーリー展開もありましたが。
ああ、確かに確かに。あんなに説教臭くは言いたくないけど(笑)。私の場合は「とにかくがんばれ」という感じではなくて、人は愛されないと前に進めないと思ってるから、歌う声は愛のあるものでありたいと思います。ステージからオーディエンスが待ってくれているのを見ると、今同じ瞬間を生きていて、近い距離で関われたことに感謝や喜びを感じるし、それを声にしているときが一番いい感じになるなと思っていて。自分の中に全然関係ない日々の怒りや迷いがあったら、それが最初に出てくることもあるんですけど……怒りを抑えるのって、平和に見えて全然平和じゃないんですよ。
──怒りのような負の感情は抑えるのが“正しい”と教わったりしますけど、その考え方って逆にネガティブですよね。
そうですよね。日本人はもう一度、それを覚えないといけないのかもしれない。たぶん、江戸時代の人たちは怒るのが上手だったと思うんですよ(笑)。江戸の言葉ってすごく威勢がよかったりするじゃないですか。私たちの祖先はそういうパーソナリティだったはずなのに、明治維新以降なのか戦後なのか、それを忘れてしまった気がします。水曜日のカンパネラでNHKの「にほんごであそぼ」のために作った「江戸っ子どこどこ」という曲があるんですけど、それは「江戸弁でうまく怒れるように」ということで、曲中で落語家の桂宮治さんに怒ってもらいました(笑)。
──なるほど。そこは意識的に発信しているテーマでもあるんですね。
気になっていることではあります。本来あるはずの怒りに対して見て見ぬふりをして、「もう少しがまんできるからいいや」って引っ込めちゃったりする人は多いと思うんですけど、それは必ずどこかにゆがみを生じさせるので。
自分の覚悟と向き合える映画
──ちょっと強引に結び付けますけど、そんなふうに自分の感情に違和感を持っている人が「HOKUSAI」を観た場合、何か得られるものはあると思いますか?
たぶん「人生で何をやりたいか」とか、「私の役割や使命とは」みたいな、自分の中のすごく真面目な部分と向き合わなければならなくなる映画だと思うんですよ。そういう意味で助けになると思います。
──自分の生き方を問い直したい人におすすめですよと。
その通りです。「芸術は世界を変えるのか」とか「芸術はなんのためにあるのか」ということに向き合った人の一生が描かれているので、芸術に携わる人なら本当に感覚を共有できる部分があるでしょうし。そうじゃない人でも、例えば料理人でも主婦でもいいと思うんですけど、誰かしらの一生のドキュメントを目撃すること、とくに死ぬ瞬間に立ち会うことによって、今自分が生きている、ということがすごく明確になる感じがすると思います。柳楽優弥さんが北斎の若い頃を、田中泯さんが晩年を演じていますけど、その両方のシーンがあることで、観た人が現在の自分と照らし合わせ、覚悟して生きられるようになる作品になっているなと感じました。
──その主演のお二人も含めてですけど、阿部寛さんや玉木宏さんなど、出てくる役者さんのお芝居が全員ことごとく素晴らしいですよね。
本当にそうですね。柳楽さんの波に向かっていく姿、田中泯さんの強風の中で筆をとるシーンなどがとても印象に残っています。あと、瀧本美織さんがこんなに素敵な役者さんだったんだということを初めて知りました。普段邦画をほとんど観ないので、今まで瀧本さんのお芝居をちゃんと観たことがなかったんですけど、本当に素敵だったなあ。