平野莉玖「Just The Way We Are」特集|幅広い音楽性と地元愛詰まった1stフルアルバム

平野莉玖の1stフルアルバム「Just The Way We Are」が12月18日にテイチクエンタテインメントからリリースされる。

愛知県名古屋市出身で、アーティスト、アイドル、インフルエンサー、俳優、アパレルブランドの経営者兼デザイナーとさまざまな顔を持つ平野。中学生の頃にはRicky名義でラッパーとして活動し、作品もリリースしてきた。そんな彼の1stフルアルバムには、ラップスキルが光る「Just The Way We Are」、R&B要素のある「細胞レベルで恋してる」、名古屋弁のラップが印象的な「名古屋Delight」を収録。さらにCrystal Boy(nobodyknows+)、SEAMO、JUN(BANTY FOOT)という、名古屋のアーティストをフィーチャリングゲストに迎えた楽曲も収められ、平野の幅広い音楽性や地元への愛が詰まった1枚になっている。

音楽ナタリーでは本作のリリースを記念して平野にインタビューし、音楽ルーツや過去の音楽活動、アルバムの制作エピソードなどを聞いた。

取材・文 / もりひでゆき撮影 / YOSHIHITO KOBA

家ではずっと洋楽が流れていた

──平野さんは幼少期にダンスを始められ、小学3年生でEXILEのバックダンサーとしてライブを経験。中学2年生でラッパーとしてミニアルバムをリリースされて……と、幼い頃から華々しいキャリアを積まれてきていますよね。

幼い頃からいろんなことにチャレンジしています。ダンスをやっていたこともあって、ラップミュージックしか知らないような子供で。母親がヒップホップ好きで、家ではずっと洋楽が流れていました。小学4年生くらいのときに名古屋を代表するラッパーであるAK-69さんのライブDVDを観たのをきっかけに、自分でもマイクを握り始めて。そこからは大人に混じって、いろんなライブハウスやクラブでライブをやらせてもらうようになったんです。母親に同行してもらいながら、「歌わせてください!」とお願いして回って。

平野莉玖

──早い段階で、アーティストとして生きていく気持ちは固まっていたんですか?

いや、「俺は音楽で生きていくんだ」「音楽で世界一目指すぜ」という気持ちはあんまりなくて。よくも悪くも「単純に好きだからやっている」くらいの感覚でしたね。今は1人でも多くの人に影響を与えて、人生の中での支えになれたらいいなという思いを持って活動をしています。

──今は音楽活動と並行してアパレルブランドの経営者や俳優としても活躍されていますが、その根底にあるのも誰かの人生の支えになりたいという思いですか?

はい。ただ、お芝居のお仕事やバラエティ番組への出演に関しては、平野莉玖という人間を少しでも多くの人に知ってもらいたいという思いが強いところもありますね。そこをきっかけに、最終的には僕の音楽にたどり着いてもらえたら一番うれしいので。

──いろんなことをやりつつも、平野さんにとっての大きな軸は音楽であると。

そうですね。今の自分の中ではアーティスト活動が主な活動になっているので。そこに近付いてもらうために、いろんな活動をしている感じです。

BANTY FOOT「交差点」に背中を押されて

──幼い頃から精力的に活動されていた平野さんですが、2014年に一度、活動休止されているんですよね。15歳くらいのときですか。

高校に入るタイミングですね。中学卒業と同時にちょっと1回活動を休止して。普通の高校生活を送りたかったというだけなんですけど(笑)。

──逆に言えば、それまでは普通の学生生活が送れていなかった?

音楽活動、ダンス活動をする中で、いろんな場所に遠征することもあったので、学校に行けない日も多かったんですよ。部活動にも入ったんですけど、すぐ辞めないといけない状況になってしまったり。そんなときに街を普通に歩いている学生の姿を見て、自分も普通の青春を過ごしてみたいなと。一度きりの人生なので。

平野莉玖

──青春は満喫できましたか?

青春してましたねー(笑)。学校へ行って友達と遊び、放課後はみんなでショッピングモールへ行ったりとか。まあ本当に普通のことしかしてないんですけど、僕にとってはそれがすごく新鮮で楽しかった。

──活動休止されていたのは6年くらいでしたね。

はい。高校の3年間を過ごした後は、造園屋さんに就職して3年間働いていたんですよ。草刈りをしたり、木に登って枝を切ったり、めちゃくちゃ現場仕事をやってました。仕事に関してかなり厳しく指導してもらいましたし、上下関係も相当厳しくて。そういう意味では人間としてすごく成長できたと思います。活動休止していた期間も、自分にとっては大切で貴重な時間でしたね。

──そんな6年間の生活の中、再びアーティスト活動への欲求が膨らんでいったわけですよね。

徐々に徐々に膨らんでいきましたね。最初はアパレルをやりたいという思いがあったんですけど、ファッションと音楽には通ずるものがあるから、そこで自分がやってきた音楽活動のことをどんどん思い出すようになったんです。そんなときに名古屋のレゲエアーティスト・BANTY FOOTの「交差点」という曲にめちゃくちゃ背中を押されて、もう一度音楽をやろうと決意しました。今度は自分が誰かの背中を押したり、勇気や夢を与える存在になりたいなと。そこからすぐに動き出した感じでしたね。

──休止している期間も音楽はいろいろと聴いていたんですか?

音楽は好きなのでずっと聴いていました。今思うと、高校時代の友達が聴いている曲にいろんな出会いがあったと思っていて。それまではラップの曲ばかり聴いていたけど、J-POPやバラードも聴くようになった。そこで広がった音楽の知識が今の活動につながっているところはあると思いますね。今の僕はいい意味で何色にも染まってない、決まった形がないタイプの人間なので、ヒップホップだけに縛られることなく、自分の好きなものを好きなときにアウトプットしながら音楽を提供していけたらいいなと。カメレオンのように生きていきたいと思っています(笑)。

平野莉玖

──6年の活動休止期間を経て、2023年にアーティストとして本格的に再始動されました。反響も大きかったですよね。

ネットニュースに取り上げていただいたりだとか、SNSでファンの方からたくさんメッセージいただいたりだとか、反響はものすごく大きかったですね。地元の友達がサプライズでお祝いしてくれたりもしましたし。

──活動休止前からのファンの方もいらっしゃるわけですよね。

たまーにイベントにいらっしゃいますね。僕が“Ricky”名義で出したミニアルバムを持ってきてくださる方もいて。僕がまた動き出すのをずっと待っていてくれたと思うと、本当にうれしいですよね。

謎に包まれたNu CANdY

──2023年12月リリースの「Doubt it」以降、コンスタントに楽曲を配信し続け、ついに1stフルアルバム「Just The Way We Are」へとたどり着きました。初回限定盤収録の全16曲を聴かせていただきましたが、本当にバラエティに富んだ楽曲が並んでいて。先ほどおっしゃっていたように、平野さんはジャンルにとらわれない幅広い音楽性を持っているんだなあと感じました。

ありがとうございます。僕がいろんなジャンルの楽曲を歌うことで、「人生は自分の好きなように生きていいんだよ」ということを提示したかったんですよ。僕はこれまでいろんなことに挑戦して、たくさんの失敗もしてきましたけど、このアルバムを聴いてもらえればそれを感じてもらえると思います。

──それこそがアルバムタイトルであり、リード曲にも冠されている「Just The Way We Are」が意味する“ありのままの私たち”というメッセージに通ずるわけですね。

そうです、そうです。みんなにも“ありのまま”に生きてほしいなと思うので。

平野莉玖

──アルバム資料を拝見すると、ほぼすべての曲に平野さんのプロデュースチームであるNu CANdYの名前がクレジットされていますね。

「Doubt it」からずっと一緒にやっているチームですね。僕だけの意見で作品を作るのではなく、ほかの方の意見も積極的に取り入れていきたいという思いからそういうスタイルになりました。チームの構成としては、わりとメンバーが流動的ではあって。言ったら僕もチームの一員なんですよ。

──なるほど。単純にNu CANdYから楽曲提供をしてもらっているという形ではないと。

そうそう。僕は自分でリリックも書きますし、クリエイティブな面にもしっかり参加しています。もちろん曲によってはメンバーにリリックを書いてもらう場合もあるので、そういう部分でいろんな人が出たり入ったりしている感じです。それをNu CANdYという謎のベールに包まれた名義にしたっていう。本当にいろいろな方に協力してもらっているし、中にはすごいクリエイターの方もいらっしゃるので、ここはちょっともったいぶろうかなっていう思いもありましたね。いつか公表するかもしれないし、謎なまま僕がおじいちゃんになっていく可能性もありますけど(笑)。