1980年9月にデビューし、3年3カ月という短い活動期間の中で日本の音楽シーンに強い印象を残したTHE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL。彼らはデビュー40周年イヤーである2020年、長年表舞台から離れていたJohnny(G)を含むオリジナルメンバー4人で横浜銀蝿40thとして1年間の期間限定復活を果たした。
横浜銀蝿40thは2020年2月にオリジナルアルバム「ぶっちぎりアゲイン」を発表したほか、代表曲「ツッパリ High School Rock'n Roll(登校編)」が映画「今日から俺は!!」のエンディングテーマとして使用されるなどして改めて脚光を浴びるが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で予定していたZeppツアーが延期に。その結果、2021年12月31日までの活動延長を発表した。そしてコロナ禍の中でも“爆走”を続けた4人は、今年9月にニューアルバム「ぶっちぎり249」をリリース。10月より「ファイナルツアー バハハ~イ集会『昭和魂 永遠!』」を行い、12月31日をもって横浜銀蝿40thとしての役目を終える。
音楽ナタリーでは「ぶっちぎり249」の発売とファイナルツアーの開催に合わせ、メンバー4人へのインタビューを実施。横浜銀蝿40thとしてここまで活動し、もうすぐ終幕を迎える現在の思い、「ぶっちぎり249」の収録曲の制作秘話などをたっぷりと語ってもらった。
取材・文 / 秦野邦彦撮影 / 岩佐篤樹
1年増えてよかったじゃん
──デビュー40周年を迎え、オリジナルメンバー4人によって完全復活した横浜銀蝿40th。発売延期になっていたアルバム「ぶっちぎり249」も無事リリースされ、いよいよ全国11カ所を回るファイナルツアーの開催目前ですが、まずは皆さん、今の気持ちを聞かせていただけますか?
翔(Vo) 2020年に1年間だけ横浜銀蝿40thと銘打って活動するということで、2月にアルバム「ぶっちぎりアゲイン」を出して、Zeppツアーをやって、秋にシングル「昭和火の玉ボーイ」も出して、ファイナルツアーまで一気に走り抜けようと計画を立ててやってきたのね。そしたらコロナでツアーが延期になって。せっかくJohnnyが戻ってきたのにこれで終わったらなんのために再結成したのかわかんなくなるよねってことで、「2021年12月31日までやります!」と宣言して現在に至るわけなんだけどさ。ファンの子たちにはホント迷惑かけちゃって、Zeppツアーに関しては3回延期して1年1カ月後の今年4月にやっと始められた状況だった。そんな中でも今思ってるのは、コロナがあったおかげで俺たち2年間Johnnyと一緒に活動できてるし、ファンのみんなとも1年長く一緒にいられてよかったじゃんってこと。
──災い転じて、ではないですが……。
翔 そう捉えないとやってらんないじゃん? みんな我慢の1年半だったと思うし。「ぶっちぎり249」も本来なら出なかったアルバムなんだよ。延長した分、俺たちも時間がたっぷりできて、今年3月に出す予定で制作に取りかかって。さらに待っていてくれたファンの子たちのために「みんなで決める銀蝿ベストテン」を企画してライブレコーディングしたディスクも作ろうとしたら、また今年1月に緊急事態宣言が出て、急遽発売が半年延期になって。参ったけど、人の力じゃどうにもならないことだしさ。Johnnyが俺たちと一緒に活動できるのも今年いっぱいだから、とにかくベストな状態で残り3カ月、40thのファイナルツアーをみんなと一緒に楽しめたらいいなというのが今の状況だね。
──そういえば、横浜銀蝿が1980年9月21日にデビューした当初の目標は「2年でシングル1位、アルバム1位、日本武道館満タン」でしたね。
翔 そうそう。で、シングルだけ1位にならなくて悔しいから1年延長して、「あせかきベソかき Rock'n Roll run」で1位獲って1983年12月31日に解散したわけだけど、Johnnyが戻ってきて40th始めたらまた同じような状況になってね(笑)。それはちょっと面白いなと思ってる。
──Johnnyさんは実に37年ぶりに表舞台に戻ってきました。
Johnny(G) 俺は30歳でレコード会社に入って裏方になったんだけど、再び表舞台に立つ気はなくて。60歳まで音楽でメシ食えてよかったな、そろそろセカンドライフで釣りをしたり畑を耕したりして過ごそうかと思ってたんですよ。ところが2018年に担当ディレクターだった恩師の水橋さん(元ジャックスの水橋春夫氏)がお亡くなりになり、偲ぶ会でひさしぶりに翔くんと会って、「2020年がデビュー40周年だけど、どう?」と誘ってもらって。これは何かの縁だなと思ったんです。それまで20年ぐらいギターを弾いてなかったから、ゴルフもやめて一生懸命練習して。でも、本当だったら2020年の3月には人前に立っていたって、今思うと怖いですよ。ステイホームが始まって1年間練習する時間ができて、それは俺にとって神が与えてくれた時間みたいなものだから、逆にポジティブに考えられたなと。新しいアルバムもこうしてまた出せたし、そもそも考えてもどうにもなることじゃないので。
翔 Johnnyはホントに大変だったと思うよ。会社(横浜銀蝿40th、lynch、上野優華などが所属するベルウッド・レコード)の社長でもあるから、そっちのことも考えないといけないし。
Johnny うちのバンドもみんなもコンサートができなかったからね。
続けていれば時代の流れとマッチする
──TAKUさんは横浜銀蝿40thとしてここまで活動してきて、現在の心境はいかがですか?
TAKU(B) 当初の予定通り2020年の1年間だけ活動して走り去っていたことを想像すると、きっとあっという間だったと思うんだよね。Johnnyがさっき言ったギターのこととかバンド的なまとまりとか、ここまで深く考えることもなく、とりあえず勢いで行っちゃおうって。でも、ひょうたんから駒じゃないけど、2枚目のアルバムを作ることになったわけじゃない? タイトルの「249」はメンバーみんなの年齢を足した数字なんだけど、249年分の人生が詰まってるアルバムにしたいと思ったんだ。ミュージシャンとしても、男としても。還暦を過ぎて……人生100年時代だからあと40年どうカッコよく生きようかとか、いろいろあってこの4人が巡り会ったことのありがたさとか、いろんなことをアルバムに詰め込める。この前のライブ中も思ったけど、Johnnyは復帰直後とはまるで違うギターでカッコいいんだよ。アルバムも1枚目より2枚目のほうがアンサンブルも慣れてさらによくなってきてる。「ツッパリ High School Rock'n Roll(在宅自粛編)」なんてコロナ禍にならなきゃ生まれなかったわけだし、そのおかげでNHK「うたコン」にも出られたし。そういう意味では貪欲に、転んでもタダじゃ起き上がらない感じでいけてんじゃないかなと思いますね。
──「還暦編」や「在宅自粛編」が制作され、YouTubeにミュージックビデオや演奏動画が公開されましたが、それぞれユーモアを交えたメッセージ性があり、「ツッパリHigh School Rock'n Roll」の汎用性を改めて感じました。
TAKU ライフワークだよね。以前、翔くんとも「ツッパリHigh School Rock'n Roll」だけのフルアルバム作れるよねって話してたくらいだから(笑)。
──ヒット映画「今日から俺は!!劇場版」の主題歌に使用されたり、私立恵比寿中学斗横浜銀蝿40th名義の「バイト編」が発表されたり、若い世代にとってロックンロールの入り口となる1曲になってますね。
翔 いい感じで時代が流れてきたよね? やっぱり何事も続けてやっていれば時代の流れとマッチする波は必ず来るから。
──続いて嵐さん。お身体のほうを心配されているファンの皆さんも多いと思いますが、お元気な姿を見ることができて安心しました。
嵐(Dr) 俺、この2年間で一番やったのは寝ることだから(笑)。「行くぞ! がんばろう!」と思ったら、いきなり足元すくわれたじゃない? それで体調悪くしちゃって。だけど、たっぷり寝たから体調万全!
TAKU 今回の復活後も嵐さんは何度か入院してるんですよ。こっちもヒヤヒヤして。自分1人の身体じゃないんだからさ、みたいな。
嵐 よかったのがドラムセットの椅子に背もたれがついたことだね。座るときに寄り掛かれないと腰が痛いから、特別な椅子に変えてもらいました。ドラム叩くときは前傾姿勢だけど、曲終わったらすぐ後ろに寄りかかれるからすごく楽。あの椅子、絶対流行ると思うんだよな。知り合いのドラマー、みんな腰悪くしてるから見せてやろうと思って。
──背後からオリジナルメンバー3人が演奏する姿をご覧になられていかがですか?
嵐 懐かしいねえ……うん、懐かしい。デビューした頃と変わらないんだよ。TAKUの背中見て、Johnnyの背中見て、翔の背中見て、今日誰が調子悪いかすぐわかる。
翔 あるべき姿に戻った感じだよね。この4人でスタートしたわけで、こうして40年目にJohnnyと合流できてホントに幸せだし、TAKUがよく言う「役者がそろった!」という思いはあるね。ステージに立っていても当時の感覚を思い出すんです。サングラスをして演奏すると普通はアイコンタクトができないんだけど、俺たちはデビュー当時からそれができてたバンドなんだ。
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63歳になった俺に「翔、右足!」