シンガーソングライター・がらりが、初のアルバム「手のひら望遠鏡」を配信リリースした。
元システムエンジニアで、コロナ禍をきっかけに音楽活動をスタートさせたというがらり。小学生の頃から音楽を分析しながら聴く癖があったという“理詰め”タイプの彼は、楽曲ごとに“がらり”と変える作風が特徴だ。無名時代の処女作がきっかけとなりアイドルへ楽曲提供をしたり、リリース前の「さよならは真夜中に」がTikTokで大反響を呼んだりとデビュー前から早くもリスナーの心をつかんでいた。
音楽ナタリーでは、まだまだ謎が多いがらりにインタビュー。彼を形成する音楽的ルーツや、これまでの歩み、淀みなく自分の意見を述べる理系な一面、音楽に向けられる情熱などを探りながら、初のアルバム「手のひら望遠鏡」について話を聞いた。
取材・文 / ナカニシキュウ撮影 / Koya Yaeshiro
インタビューされたい
──がらりさんは、どんなふうに音楽と触れ合って育ってきたんですか?
3、4歳の頃からピアノを習っていて、高校で軽音楽部に入ったときにギターを始めました。僕の世代だとRADWIMPSとかASIAN KUNG-FU GENERATION、BUMP OF CHICKENなどのコピーをする機会が多くて、女子バンドの手伝いでコピーしてたYUIとかチャットモンチーとかも好きでしたね。あとはフジファブリック、藍坊主あたりもすごく好きでした。
──高校入学以前に、どこかで「音楽に目覚めた」と言える瞬間はありましたか?
目覚めはどこだったんだろう……? ポップス、J-POPというものにグッときた最初の経験で言うと、YUIの「Tomorrow's way」ですね。夢を追う人へのメッセージが詰まった曲だと思うんですけど、言葉やメロディ、アレンジ、歌い方……音楽という“画材”を使うことで、何か別のものを表現できるんだということに気付かされました。そういう手段があるんだと。
──音楽は聴くだけ、弾くだけのものじゃなくて、作るものなんだという発想をそこで得た?
ですね。もともと小学生くらいから「このメロディは次にこう行くんじゃないか」と予想しながら聴く癖はあったんですよ。場合によっては「この曲、なんでこんなことになるの?」って思ったりとか(笑)。不必要な半音上げ転調とかに怒りを覚えるタイプでしたし、字余りの歌詞に対して「そこはどうしてもその言葉じゃないといけなかったんかな?」みたいな、ちょっとひねくれた聴き方をしていたところがあって。
──作り手に近い目線をもともと持っていたんですね。それはピアノをやっていたことが影響している?
大いに影響していると思います。ピアノを習ってる人はやりがちだと思うんですけど、ヒット曲のメロディをなぞって弾いてみたりすることがよくあったので、その作業を自然に頭の中でもやっていたんだと思います。
──高校以降はどのような変遷をたどるんでしょうか。
大学でジャズを始めてから、聴く音楽もどんどん広がっていきました。ジャズはもちろんですけど、エリカ・バドゥやディアンジェロ、アメール・ラリューなどのネオソウルと言われる人たちだったり、セルジオ・メンデスとかのブラジル音楽だったりも好きになっていって。そうやって「オケとは」「メロディとは」「言葉とは」みたいな深いところへどんどん潜っていきつつも、それはそれとして大学卒業後は普通にシステムエンジニアとして就職したんです。大阪、名古屋、東京と、勤務地を変えて転々としているうちに、コロナ禍がやって来まして。家にいる時間が増えたことで、SNSを通じて音楽を発信しているミュージシャンたちの存在に気付き、それが自分の中にある「心象風景を表現したい」という欲求がグッと高まったタイミングとも合致して、ある種自然に「自分で曲を作って発表してみよう」という気持ちになったんですよ。そして、「がらり」名義になる前に発表した、処女作に近い曲がある人の目に留まり、とあるアイドルの方に楽曲提供をすることになって。僕にとっては、初めてまともに1曲通して作ったものがいきなり市場に出ることになったわけです。「ということは、自分の中から出てくるものにはある程度人から求めてもらえるだけの大衆性があって、ポピュラー音楽として扱われうるものなのだ」ということを自覚しまして。「であれば、自分のできることを世にプレゼンテーションしていきたい」という気持ちになって始めたのが、「がらり」というアカウントでした。
──すごいですね……お話の要点がしっかりまとまっていて、淀みがない。
あ、そうですか(笑)。うれしいです。
──しかも何も聞かなくても全部話してくれるんで、もはやインタビュアーの必要性も感じないです(笑)。
こちらとしてはぜひいろいろ聞かれたいですけどね。インタビューされたい。
中学生の頃の自分が聴いて残念がらないように
──「がらり」というアーティスト名は、楽曲ごとに“がらり”と作風を変えることが由来だと聞いています。
たぶん自分の売りになる部分はいろいろ作れるところなんだろうな、ということはがらりを始める時点で気付いていたので、それに即した名前として考えました。プラス、TikTokで流れてくるときにひらがな3文字くらいが視認性の限界だなと思ったんです。実際にバズっているアーティストたちの名前を見ると、表記はともかく音としては3音くらいの人が多い。imaseにしても、meiyoにしても。これは何かあるんだろうなと。
──瞬間的に飛距離が出せるような名前を、と。
そうですね。あとは拡張性みたいなところも考えました。例えば将来的になんらかのアーティストとコラボをした際に、ユニット名が「がらりと〇〇」となっていたら、その人のイメージと全然違うものを出したとしても許されるだろうと。そういう価値提供もできるような、便利な名前であるということにしとこうっていう。
──ものすごく多面的な視点で考え抜かれている名前なんですね。考え方がまさにシステムエンジニア的というか。
確かにそうかもしれないです。
──でも実際にがらりさんの作られる音楽を聴くと、その理屈っぽさはまったく感じないです。確かにバリエーションが多彩で、クレバーなアーティストという印象は強いんですが、「この人は枝葉よりも“どういう土を作るか”に興味がある人なんだろうな」と感じます。
それはたぶんあれですよね。土台となるメロディがかっちりしている感じ。
──そうですそうです。
世の中にはいろんな音楽ジャンルがありますけど、そのほとんどは、枝葉を取っていくと真ん中にあるものはすごくシンプルでわかりやすい構造のものであると僕は考えていて。その核になる部分の美しさを担保することだけは外したくないなと思っています。そのうえで、その核を意識しない人にも楽しんでもらえるように、演出としていろんなレイヤーの重ね方をしているみたいな。
──それはおそらく、どんなにいい土を作っても枝葉を飾らないと誰もよさに気付いてくれないからですよね。普通はそこで枝葉作りに夢中になって、土を育てることを忘れちゃうものだと思うんですけど。
結局のところ、アーティストが価値提供するべきものって言葉とメロディとコード感がすべてなのでは?と思っているので、その部分での話をずっとしている意識ではいるんですよね。そこに説得力を持たせるために曲調で緩急を付けたりいろいろしているんですけど、それは全部ラッピングの話であって本質ではない。その意識はずっとなくならない気がします。「中学生の頃の自分が聴いて残念がらないように」という思いもありますし。
──こうやって話しているとかなりの理詰めタイプに思えるんですけど、そのわりに作る曲は感覚重視のものに聞こえるので、そこが面白いなと感じます。しゃべりは理系で、曲は文系みたいな。
脳内もがらりと変わっているわけですね(笑)。実際、理詰めで外堀を埋めがちなタイプではあるんですけど、それは全部後付けの言い訳をしているだけなのかもしれないと自分でも思う瞬間があります。実際には理屈なんてなくて感覚の話をしているんだけど、他人に向けてプレゼンテーションをするうえでは納得のいく理屈が必要になるからそうしているだけなのかなって。その瞬間に理系のがらりが作られているだけで、実際にはめちゃくちゃ文系なのかもしれない。
──ある種の三島由紀夫タイプというか。
近いと思います(笑)。確かにあの人も、ほとばしる情熱をひたすら理詰めで語るタイプですもんね。
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一番大事なのは曲なので