ドレスコーズ|僕らは何を学ぶ?ドレスコーズの“成長”するアルバムで、新たな知識や常識を考える

2010年4月に毛皮のマリーズでメジャーデビューし、2020年にデビュー10周年を迎えたドレスコーズの志磨遼平。これを記念して、2020年4月にはメジャーデビュー10周年記念ベストアルバム「ID10+」を発表、今年3月にはこれまでの活動の集大成となるワンマンライブ「志磨遼平『IDIOT TOUR 2020』-TOKYO IDIOT-」を実施した(参照:中野サンプラザに“志磨万博”出現!志磨遼平の歴史を詰め込んだ「TOKYO IDIOT」)。そんな10周年イヤーも終わりを迎えようとしていた4月、ドレスコーズはニューアルバム「バイエル」を事前予告なく突然配信リリースした。

「バイエル」は“まなびと成長”をコンセプトに掲げた作品で、配信開始時に志磨は「成長する」アルバムになると説明していた。その言葉通り、「バイエル」は一定期間が経つと音源が差し替えられ、楽器の音が追加されたり、新たなアレンジが施されたりと徐々に内容が変化。そしてパッケージ版の発売をもって「バイエル」は完成を迎えた。音楽ナタリーでは志磨にインタビューを行い、「バイエル」制作のバックグラウンドに迫った。

取材・文 / 高橋拓也 撮影 / 映美

花が育つようにアルバムの“成長”を表現

──楽曲が“成長”するというコンセプト、「またすごいものが来た!」と驚きました。

ははは! ありがとうございます。

志磨遼平

──アルバム「バイエル」は4月の頭にピアノ演奏のみのインストゥルメンタル作品として配信リリースされ、その後徐々にボーカルや別の楽器が加わる……という形で楽曲の内容が変わっていきました。公式ファンジン「the dresscodes magazine」でもアルバムに関する特集が公開されましたが、以前からこのようなリリース方法を構想していたとのことでしたね。

そうですね。2019年にアルバム「ジャズ」が出た頃にはもう今回の構想がなんとなくあったので。曲を書き始める前から「バイエル」というアルバムタイトルと、変則的なリリースのアイデアはすでに浮かんでいました。

──レーベルの方にこのアイデアを持ちかけたとき、どんな様子でした?

どうだったっけな……? 「サブスクで配信されている楽曲のデータを、途中でこっそり差し替えることってできますか?」と相談したのは覚えてます。みんなのスマホの中で音楽が変化していく、成長していくような作品があれば面白いんじゃないか……みたいに話した気がしますね。

──カニエ・ウェストさんや曽我部恵一さんがサブスクで音源を発表した際、ミックスを変えていたことも今回の構想のヒントになったそうで。

お二人とも楽曲をリリースしたあとにミックスを一部修正しているので、「それができるなら、データをまるごと差し替えることによって、曲ができあがっていく過程をほぼリアルタイムで配信できるかもしれない」と思いついて。僕らミュージシャンはドラムやリズムトラックの上にどんどん楽器を重ねながら曲を仕上げていくんです。建築や絵画のようにまず骨組みを作り、その上にレイヤーを重ねていって、頭の中の完成形にどんどん近付けていくというプロセスです。その過程をそのまま皆さんに聴いていただいたのが配信版の「バイエル」ですね。リスナーがゴールの見えない状態で聴き始めて、最初のデモから完成までの過程を体験できれば、きっと面白いんじゃないかなと。

──リアルタイムで各バージョンを聴いてみて、志磨さんがアルバムを完成させるまでの過程をたどっていく作品であるとともに、楽曲自体が成長していくような印象も受けました。先日ラジオ番組「ROPPONGI PASSION PIT」に出演された際、本作について髪の伸びる市松人形に例えて説明していましたね(笑)。

ははは(笑)。もうちょっと具体的にお話すると、音楽が花だったとしたら、皆さんはすでに開花した状態を見ていることになりますよね。でも花はまず種があって、芽が出て、若葉が生えて、つぼみができて……というふうに少しずつ変化していくもので。そういう変化は楽曲を制作する人や演奏する人以外、触れる機会がないんです。つぼみがやっと開きましたよ、という状態になって初めて皆さんにお届けする。でも僕は芽が出たばかりの状態やつぼみにも素朴さだったり、無垢さのような魅力があると思うんです。それは未完成ということではなく、つぼみならではの美しさも1つの完成形なんです。

──そこからピアノのインストアルバムとしてリリースするアイデアが生まれた。

はい。同じ曲でも、それぞれのバージョンで異なる魅力があるはずだと。しかもそれをVer.1、2……と増やしていくのではなく、どんどん上書きしていくことで、成長の不可逆性みたいなものも表現できたらなと。一度咲いた花がつぼみに戻ることはないわけですから。

──各バージョンに関しては最初から何種類作るか想定したわけでなく、合間合間で録音する方法を取ったんでしょうか?

そうですね。まず僕1人でピアノだけのアルバムを作って、そこからドキュメンタリーのように、楽器を加えるたびにデータ化していきました。

楽曲に対して、僕ができる唯一の真摯な向き合い方

──今作は「まなびと成長」というコンセプトが掲げられていますが、まず“教育”というテーマがあり、そこから「バイエル」というアルバムタイトルを連想したそうですね。また「the dresscodes magazine」では「日本に住んでいる僕らに、今一番必要なのは学ぶことと成長することだと思った」、さらに「意見をぶつけ合ったり、感情を訴えたりすることを避けてきたけど、いい加減練習しないといけない」と、本作のコンセプトにもつながる思いが語られていました。

やっぱり普通のいち市民として、今の状況は楽観的になれないので。そしていちバンドマンとして、何を作るべきか考えた結果がこの「バイエル」です。

──ほかにも「どんどん常識が変わっていく次の世代に残せる教科書が必要」という発言からは、「バイエル」というタイトルに通じるものを感じました。

志磨遼平
志磨遼平

「バイエル」はピアノを習い始める方が最初に手に取る教則本のことですが、僕のように今までピアノを弾いたことがない人でもなんとなく「最初の手引き」みたいなイメージを抱いている単語だと思うんです。そのイメージは今回のアルバムのテーマにぴったりだなと。

──「バイエル」は3回にわたって更新され、完成版も含めると4バージョンになりました。このほか初回限定盤の付属CD、Blu-ray収録の短編映画「Tout va mal!」内では子供たちが合唱した「こどものバイエル」も聴くことができますが、今回は配信された各バージョンについて振り返らせてください。まず4月頭に配信されたピアノだけのインスト「バイエル(I.)」ですが、この時点で各楽曲の根幹となるメロディや、志磨さんのボーカルラインもピアノ演奏による主旋律ですでに完成していました。大まかな土台はこの段階で固まっていましたね。

僕はいつもメロディからまず作るんですけど、この段階だとまだ曲自体に個性がないんですね。だから「悲しい曲ですね」と思う人もいれば、「すごく愉快な曲ですね」と思う人もいる。例えばそこに「さようなら」とか「忘れないよ」といった歌詞を乗せてしまうと、「別れの歌ですか、悲しい曲ですね」という印象に限定されてしまう。よくも悪くも。そういう意味では、「バイエル(I.)」はまさに生まれたての状態で、人間に例えるとまだ個性や自我のない、無垢、素朴、プレーンな状態。この状態に歌詞を加えるとき、僕はいつも言いようのないもったいなさを感じていて。なので「バイエル(I.)」は歌詞どころかタイトルも付けずに発表してみる、という試みでした。

──確かに、この段階では全楽曲「練習曲」というタイトルで統一されていましたね。

ここからどんどん、僕の手垢にまみれていくわけです。名前を付けて、僕の言葉や思想を乗せ、僕の声でメロディをなぞる。そこでヘマをやらかすと、メロディの魅力を半減させることにもなる。だからこそ気を付けないと。子供に例えるならば、グレたり人の道を踏み外したりしないよう(笑)、手塩にかけて育てる。メロディに見合った歌詞やアレンジを与えて、演奏するときも細心の注意を払う。それは楽曲に対して、僕ができる唯一の真摯な向き合い方です。

──今のお話を聞いて、まさに心境によってこのアルバムの曲の聞こえ方が変わったことを思い出しました。ピアノのメロディのみということもあって、落ち込んでいるときと気分がいいときでは、大きく印象が異なっていて。その面白さが味わえるのは「バイエル(I.)」ならではかもしれません。

うんうん。こうやって作品の説明をすることが野暮に思えることもあるんです。まるで自分のエゴを押し付けているようで。でも歌詞さえなければ、なんの説明もいらないわけで。「美しいBGMをどうぞ」という程度でいいんじゃないかという気もするんです。

大きなスタジオの響きは、このアルバムには求めていない

──4月下旬に配信された「バイエル(II.)」からはボーカルが加わり、各楽曲がフル尺に変化しています。さらに「しずかなせんそう」「よいこになる」の楽器がピアノからアコースティックギターに変更され、各楽曲に個別のタイトルが付けられました。

タイトルと歌詞が加えられたことによって、各楽曲が何者にでもなれる可能性は消えたわけですね。「今日からこの曲はこんなタイトルです」「こんなことを歌っています」と定められる。ただ、この段階を踏まないと次のステップには行けないので、やむを得ずそういう順序を経て曲は育ち、皆さんのもとに届きます。

──一覧で見てみると、ひらがなのみの楽曲名が多い分、「不要不急」「相互扶助」といった漢字のみのタイトルのインパクトがより際立ちます。そして5月下旬配信の「バイエル(III.)」からはギターやドラムの音も加わって。

志磨遼平

ベーシックなバンドサウンドの上にホーンセクションやストリングスを加えてゴージャスなセレブに育てる未来もあったんですけど、あえて今回はそうしませんでした。もちろんたくさんの人の手を借りることも、やろうと思えばできたんです。でもこのアルバムを制作していた状況下では、どうもリアルではなくて。とても寂しいことではあるんですけど、ライブハウスでお客さんと一緒に合唱すること、録音スタジオに何十人ものミュージシャンを招くことが、もはやフィクションのように感じられて。

──コロナ禍以降、大人数での制作やライブができなくなってしまったから。

ええ。僕はこの作品をにぎやかな環境で育てようとは思えなかったんです。去年から僕らは離ればなれになって、誰とも会わず静かに過ごした。これから新しく生まれる音楽も、しばらくはみんなで声を合わせて歌われることはない。もしかしたら人前で演奏する機会すらないのかもしれない。

──なるほど。

そんな状況もあって、僕個人は音楽に対する意識がずいぶん変わりましたね。少なくとも今は、みんなで盛り上がるためのパーティグッズのように用いる気持ちは起きないかな……。誰とも会わず静かに過ごしている現状をスケッチするもの、という感覚ですね。

──Zoomのようなビデオ通話ツールもありますが、直接会う機会はかなり減ってしまいましたよね。

そう! 会わないほうがいいんだもの。そんな距離感や倫理観に慣れてしまったから、自宅よりも大きなスタジオの響きであったり、誰かと演奏することで生まれるグルーヴは「バイエル」には必要性を感じなかったんです。だからこれ以上音も増やさなかった。もっと成長させることは可能だけど、あえてひと区切りしました。