daisansei|何かを作ろうとするあなたにdaisansei

「居場所のないあなたに添えるポップミュージック」をコンセプトに掲げ、安宅伸明(Vo, G)を中心に結成されたdaisansei。昨年夏に始動した彼らは、新型コロナウイルスが猛威を振るった2020年も配信シングルを4作発表し、コンスタントに活動を続けてきた。このたびリリースされた初のフルアルバム「ドラマのデー」は配信シングルの制作を経て深化した、安宅のストーリーテリングを存分に味わえる1作に仕上がっている。音楽ナタリーでは今年リリースされた各作品を振り返りつつ、アルバム「ドラマのデー」やバンド名に込められた思いを聞いた。

取材・文 / 天野史彬 撮影 / 山川哲矢

ほかの人が僕のやりたいことをやっていたら、音楽を作る必要がなくなる

──初のフルアルバム「ドラマのデー」は当初、配信とカセットテープという変則的な形態でリリースが発表されました。のちにCDでの発売も決まりましたが、カセットでのリリースを優先したのはなぜだったのでしょう?

安宅伸明(Vo, G) 僕は知らなかったんですよ。脇山(翔)とマネージャーが決めたんです。2人にバーミヤンに呼び出されたと思ったら、もう決まってました。

──では、脇山さんお願いします。

脇山翔(Key)
安宅伸明(Vo, G)

脇山翔(Key) 音源を買う立場として、どの形態を選ぶか聞かれると「やっぱり配信が多いよな」という実感があって。それでもフィジカルを買ってくれる人って、アーティストを応援したかったり、モノとして手元に置いておきたいんだと思うんです。フィジカルをそういうアイテムとして捉えるのであれば、CDにこだわる必要はないのかなって。それよりも、自分たちがかわいいと感じるものを作ることが大事だと考えたんです。僕たち自身、カセットはド直球の世代ではないんですけど、だからこそレトロでかわいくて憧れるものだったし、カセットテープの持つ雰囲気って、daisanseiの曲と合っているような感じがして。

──アルバムの2曲目「ラジオのカセット」をもとに、カセットでリリースするアイデアが浮かんだのだと思っていました。

安宅 「ラジオのカセット」はカセットでリリースすることが決まってから作った曲なんですよ。「リード曲はカセットをテーマにしよう」と思って。

──安宅さんはカセットでのリリースというアイデアはどう受け止めたんですか?

安宅 めちゃくちゃいいなと思いました。僕も最近CDを買わなくなったんですけど、それによってインプットする機会が減ってしまって。それで最近インプットの機会を増やそうと思って、レコードプレイヤーを買ったんです。カセットもそれと同じで、パッケージを手に取ることで新しい音楽を聴くきっかけになるかもしれないから、めっちゃいいんじゃないかと。

──インプットはフィジカルなモノを通すほうがしっくりくる?

安宅 そうですね……自分のことで言うと、CDを買う買わない云々の話を抜きにしても、最近新しい音楽を聴くことができなくなっていて。これはもう病気みたいなものなんですけど、自分の曲しか聴けないんですよね。話題の曲とか、誰かが「いいよ」と言っている曲を聴くのが怖すぎるんです。もし、その人が僕のやりたいことをやっていたら、もう音楽を作る必要がなくなるじゃないですか。その危険性があるので、あんまり聴かないようにしてしまう。それで結局、自分の曲ばかり聴いちゃう、みたいな。レコードを買い始めたのも、集めるという行為そのものに楽しみを求めているところはあります。

──自分の作った曲を聴いているとき、安宅さんはどんな気分になるんですか?

安宅 自分の音楽と言っても、すでにリリースされているものとか、僕しか聴くことができないデモ音源とか、いろいろパターンはあるんですけど、デモを聴いているときは「こんなにいい曲を作ったんだなあ」という感じです。で、すでにリリースされているものに関しては「みんなでいいものを作ったなあ」みたいに思ったり。デモは僕ができることを確かめている感じだけど、それをバンドできれいにまとめ上げてリリースされたものは「一緒に音楽を作ってくれる人がいる」という安心感があります。自分の音楽を聴くときは「大丈夫、大丈夫」と確認作業をしているんです。基本的に僕は自分の曲が好きですね。聴きたいものを作っているから。

脇山 安宅くんの自我として、「自分が作ったもの」=「存在理由」っていう強迫観念があるんでしょ?

安宅 なんだよ急に。短くまとめるなよ。

脇山 (無視して)だから、その存在理由が揺らぐと、もう終わりなんでしょ?

安宅 まさにそう。自分の存在価値は自分の作ったものだと思ってる。

脇山 自分が作ったものよりいいものに出会うと揺らいじゃうから、聴けないんだよね。

安宅 だから自分が作ったものを確認し続けているのかもしれないです。

daisansei

「我が子」から「オブジェ」へと変わっていく感じ

──では、今年に入ってからリリースしてきた楽曲をご自身で振り返ってみるといかがですか? 今年の4月から「北のほうから」「体育館」「しおさい」「ざらめ、綿飴」と4カ月連続で配信シングルをリリースしてきましたよね。

安宅 このシングル群は作品ごとの変化が大きかった気がするんですよ。最初の「北のほうから」は完全に自己中心的な歌なんですけど、「体育館」くらいから、曲が自分の手から少しずつ離れていくような感覚があって。「しおさい」や「ざらめ、綿飴」はもう完全に、僕の内側から生まれたとは到底思えない曲で。「体育館」まではまだ「正装している我が子たち」という感じだったけど、「しおさい」以降はもう「自分でも知らない子たち」って思うぐらい違うんですよね。曲に対する愛情が変わってきたというか……我が子のような存在ではなくて、バンドメンバーと作ったオブジェみたいな感じになってきたんです。シンプルに美しい曲ができている。

──皆さんは安宅さんがおっしゃった変化は感じられましたか?

川原徹也(Dr) 僕は単純に「曲がよくなっているな」と思っていましたね。安宅くんが作る曲って、昔はスルメ感のあるものが多かったんですけど、パッと聴いて「お、いい曲じゃん」と言える曲が増えてきて。

小山るい(G) 私は「どんどんと外に向かっているな」って思いました。今までは曲も歌詞もあくまでデモをアレンジしている感じだったけど、最近の曲はこの5人で制作することを前提にしている気がします。

フジカケウミ(B)

フジカケウミ(B) 「北のほうから」や「体育館」はどこか寄り添ってくれる雰囲気があって、安宅さんが自分自身に向けて作った曲と受け止めていたんですけど、「しおさい」からは徐々に、自分のベースの音以外の部分も考えるようになって。曲自体が美しいものになっているからこそ、「ここは波打っているように表現したい」とか、そういうことを想像しながら弾くようになった気がします。あと、今年の2月からこのメンバーで動き始めて、毎日のように会っていたんですけど、新型コロナウイルスの影響で4、5月くらいはぱったりと会えなくなって。「しおさい」はその期間を挟んでから録った曲で、あまりみんなと練習できなかったんですけど、個人的にはすごくいいものになったと思いました。

──安宅さんとしては、今の3人の話はどうですか?

安宅 確かに「体育館」まではあまりバンドを意識していなかったけど、「しおさい」あたりからはっきりと、この5人で演奏することを前提にして作りました。僕は中2の頃から1人で曲を制作してきたんですけど、バンドはずっとやりたかったし、初めて組んだバンドがこんなにちゃんとやれるとは思っていなくて。この状況は喜ばしいことです。

あえて言わない美しさが好き

──daisanseiにとってターニングポイントとなった「しおさい」はどのようにして生まれたんですか?

安宅 脇山くんや川原さんにも話したんですけど、「もっと外に向いた、わかりやすくていい曲を作らないといけない」という意識があったんですよね。そのうえで「北のほうから」や「体育館」のときには、脇山くんから「自分について歌う」ことを求められていたんですけど、「しおさい」では僕がもともと好きだった「物語を描く」というテーマに改めて向き合いました。空想的な物語を描こうと思ったんです。ただ、今までと違ったのは、物語を描きつつ「北のほうから」「体育館」と同じように、自分にウソをつかない……というスタンスが自然と込められるようになった。僕の性格をふんだんに反映しつつ、架空の物語を描く形になったんです。

脇山 僕らが最初に出した4曲入りの作品「箱根」の頃、安宅くんの書く歌詞は三人称だったんですよ。そこから「北のほうから」「体育館」では一人称に変わったんです。これは僕の持論ですけど、1000人に向けられた歌より、1人に向けられた歌のほうが、結果的に1000人に刺さると思っていて。そういう意味で「誰かにとって大事な曲を作ることができる」と確信できたのがこのタイミングでした。そして「しおさい」でまた三人称に戻ったんですけど、ちゃんと一人称の楽曲で生み出せた魅力が残されていて、今までになかった抑揚が生まれたんですよね。

安宅 そうそう。こういう描き方ができたのは「しおさい」が初めてだった。

──そうやって生まれた曲が、バンドメンバーにとっても自分のことのように捉えられる曲になったのは、すごく特別なことですよね。

安宅 そうですね。それまでは振り切って意味のわからないことを書くか、完全に自分の内面を書くかのどちらかだったんですけど、「しおさい」はその間にあるものというか。詩としての美しさがあり、景色が見えて、なおかつウソのない自分も入っている、すごく特殊な曲だと思います。最初はわかりやすさを考えて恋愛をモチーフに書こうとしたんですけど、だからといって「君が大好きだぜ」とか「君は最高だ」みたいなことを僕が言うわけないよなと思って、その書き方は避けました。僕の地元にもある海を舞台にして、2人の登場人物もはっきりとものを言わず、常に相手の気持ちを不安に思っている……という、自分が共感できる人物像にしたら自然と言葉が出てきたんです。

──恋愛という大きなフォーマットの上で、あくまでも自分にウソのない書き方をしたということですね。

安宅 はい。そうしたら結果的にすごく曲の時間が短くなったんですよね。「春に出会って、夏は君と過ごして」みたいな壮大な感じじゃなくて、もっと狭い範囲の歌になった。「しおさい」で描かれている出来事って、きっと5分とか10分くらいのことだと思うんですよ。

──「しおさい」はとても美しい曲ですけど、根本的に安宅さんのソングライティングの資質は、そうした“瞬間の切り取り”という部分にありますよね。因果関係の説明をなるべくせず、あくまでも“瞬間”の美しさを引き出したいという。

安宅 まさにそうだと思います。言わない美しさが好きなのかもしれないです。あえて具体的に言わないことで、曲の輪郭がはっきりすることはあるので。僕は「春です」と説明するより、桜の花びらが落ちる速度を描いたほうが、春を感じることができて。自分が求めているのはそういう部分ですね。

──あからさまな因果関係を説明しない“瞬間”が並んでいくことによって、不思議な時間軸を作っていく。それがdaisanseiの音楽なのかなという気がします。実際、今回の「ドラマのデー」というアルバムを聴いている間は、すごく時間の進み方が不思議な感じがしたんですよ。

安宅 なるほど。マネージャーも「このアルバムを聴いている間は時間の進み方が変わる」と言ってましたね。