BRAHMAN「Three Times Three」特集|TOSHI-LOW&ハナレグミ・永積崇が振り返る、充実感に満ちた「中央演舞」 (2/3)

2人の中にある空白の部分

──逆にTOSHI-LOWさんと出会って、「こういうところがあるんだ」みたいな発見はありましたか?

永積 TOSHI-LOWは裏表が全然ないから、意外性はまったくないんですよ。もう見たまんま、受け取ったままでいいやつなんだなって。でも空白みたいなものがTOSHI-LOWの中にあるような気はします。それはBRAHMANの音も入っていて、「中央演舞」で一緒に「空谷の跫音」という曲をやったんですけど、「空(くう)」とか「空洞」とか「空っぽ」っていう言葉が、この人の声で聴くと“鳴っている”感じがするんですよ。それがなんでなんだろうって。

──空虚が鳴っている?

永積 とても色っぽくなるのはなんでだろうなって。たぶん何か抱えているものがあるんだろうと思ったんです。具体的なメッセージも歌っているけど、きっとその真逆の「空白」というか「空虚さ」みたいなものを抱えながら歌っているんだなと感じて。それでとても信頼できるなと思ったんです。僕の中にも似たような空虚さがあるから。ライブでコールアンドレスポンスみたいなこともするけど、その向こう側には空虚さみたいなものがやっぱり鳴っている。それはSUPER BUTTER DOGのときからずっとあったなと。それをこう、なんて言うかな……自嘲する。自分を笑うことによって、ダンスミュージックにしていたんだけど。

──空虚を埋めるんじゃなく、そのまま放置していた?

永積 そうなのかな。

TOSHI-LOW 空虚は埋まらないからね。

永積 うん。

TOSHI-LOW 空虚ってものがあるわけで、何もないから空虚というわけではないと思っていて。ドーナッツの穴ってあるじゃない? あれは“ない”んじゃなくてドーナッツの穴が“ある”、俺の中では。物事の核心は追い求めれば追い求めるほど、逃げていく感じがする。例えば「正義ってなんだ?」みたいな話をしていくと、いろんな角度の話になっちゃう。正義は人それぞれで、「じゃあなんでもいいんじゃん?」となっていくみたいな。で、がんばって生きれば生きるほど、正義の真逆も出てくるんだよね。例えば夢中になっている自分を別の自分がどこか客観的に見ているような。ライブで無茶苦茶みんなが楽しんでいる瞬間に、たぶん崇もそうだと思うけど、どこかで楽しんでいない自分がいたりする。オーディエンスとかでもワケわかんなくなっちゃうやつとかいるでしょ? あれにはなれないというか。

TOSHI-LOW

TOSHI-LOW

──その感覚はいつ頃から持っているものなんですか?

TOSHI-LOW 俺は小学生くらいのときからあったかな。

永積 うんうん。

TOSHI-LOW 小学2年生の頃に学級会にかけられたことがあるんだよね。俺はガキ大将グループみたいなところにいて、公開学級裁判みたいなのになったときに、教師が一緒に遊んでたやつらに「トシロウくんがやったことを全部紙に書きなさい!」と言って。まさか書かないと思ってたら、バンバン書かれた。俺は「絶対謝らねえ」って謝らなかったの。「悪いことなんかしてないです」って。でも帰り道にワーッと突っ伏して泣いちゃったの。そのとき電信柱の上から泣いている俺を眺めている自分が現れて、そいつは泣いてる俺を見て笑ってるんだよ。「はっ、お前このくらいで泣いてんの恥ずかしくね?」みたいな。それから自分で自分を笑っていればつらくねえんだなと気付いたというか、「つらいふりしてんなよお前、バーカ」って自分で言う、みたいな。で、その日から強く生きられるようになったんだけど、逆に言えば全部それが出ちゃう。どれだけ楽しんでるときも「コイツ、楽しんでるフリしてんな」みたいに思っているもう1人の自分が出てくるというか。

永積 あー、なるほどね。

TOSHI-LOW その空虚とか穴とか無とかっていうものは、その俯瞰した視点から感じる部分がすごいある。だから、自分というものを演じているなって。

左からTOSHI-LOW、永積崇。

左からTOSHI-LOW、永積崇。

──ボーカリストは自意識を捨てることが必要というか、照れが入っているとカッコ悪くなっちゃうじゃないですか。

TOSHI-LOW永積 うんうんうん。

──照れを捨てた自分と、そんな自分を客観的に見てる自分がいるわけですね。

TOSHI-LOW 照れが入ったボーカルなんて一番恥ずかしいでしょ。そもそもフルチンで出されてるようなものなんだから、人前に。

永積 間違いない!(笑)

TOSHI-LOW フルチンで出されてるのに(股間を隠す真似をして)ちょっとだけ隠したら。

永積 はっはっはっはっ!

TOSHI-LOW そんなのカッコ悪いでしょ? だったらもう、おっきかろうがちっちゃかろうが、出すしかないんだもんね。

永積 自分のことを歌ってね。

TOSHI-LOW いやだよね。飲み会とかで酔っ払って自分語りした次の日とかって死にたくならない? 「うわ、言っちまったよ」って。

永積 (笑)。

TOSHI-LOW 俺たちそれが毎日続いてるんだよ(笑)。もちろん自分が大好きでやってるナルシシズムの高い方もいるんだろうけど、俺とか崇はたぶん違う。

永積 うんうんうん。

TOSHI-LOW むしろ自分が嫌い、とまでは言わないけど。音楽は自分を好きになるための手段だったというか。

永積 そうかもね。

左からTOSHI-LOW、永積崇。

左からTOSHI-LOW、永積崇。

バンドは奇跡の塊

──永積さんはそういう、内面に空虚を抱えるようになったきっかけってありますか?

永積 どこから来てどこに行くのかなみたいな、そういうことに漠然と興味があるかもしれないですね。切ないこととか、真逆の「なんだか幸せだな」という瞬間も、さっきTOSHI-LOWが言ったように、自分を取り巻く空間を俯瞰するような感覚があった。それはたぶん街の影響もあって、自分が育った街は新興住宅街だから、みんないろんなところから集まって来ているんですよ。だから自分はルーツミュージックにすごい惹かれる。

──ああ、逆にね。

永積 そう。ブルーズとかレゲエみたいな、自分のアイデンティティを強く発信する音楽に惹かれる。例えば西陽がふと当たると、そこが一瞬、写真で見たジャマイカみたいに見えることがあって。そこでレゲエを聴くと、自分がジャマイカ人になれたような気がする。自分はそこと何かつながれたんじゃないか、とか。ここじゃないどこかにつながれたみたいな感覚になるんです。

──でも最終的にはそこに完全に同化できるわけでもない。

永積 そうなんですよね。その埋まらなさみたいなものをずっと感じていましたね。ファンクミュージックに憧れても、ジェームス・ブラウンみたいなカッティングができたり、Pファンクみたいなリフが作れたからって同じにはなれないことに直面して。

永積崇

永積崇

──うん。

永積 結局、音楽は形じゃなくて、自分の内側から出てくるものでないと届かないんだということに直面したんです。バンドを始めたときに「さあ、どうしよう」っていう、それが僕の場合のすごい葛藤だった。そういう意味で内なるものにもっともっと早くたどり着ける手段として、僕の場合はフォークソングが自分の体から出てきた場所で音楽を完成することに最適だった。バンドという景色があって、それに合わせた曲を作っていくのがだんだんできなくなってしまったんですよ。「この気持ちは16ビートじゃない」みたいな。

──バンドをやめてソロになった人は「やっぱりバンドは続けたかった」という思いがどこかにあると聞いたことがあるんですけど。

永積 あー、僕はそこまではなかったかな。そういう自分は冷たいのかなって当時、すごく悩みました。だけど嘘をつくことのほうが違うんじゃないかと思って自分を騙せなかった。メンバーはみんな対等に、同じ可能性を持っていると思っていて。無理にバンドという箱の中に居続けるよりも、もっともっと各々のやりたいことを解放していくほうがいいんじゃないかなって思ったんです。そのことを理解してもらうのにはやっぱりもっともっと時間が必要だったんだろうけど、自分はけっこうその答えが早くに出てしまったから。

──一方、BRAHMANみたいにずっと続いているバンドもいますよね。

永積 本当にすごいと思いますよ。やっぱりバンドが一度解散したら、その音は一生立ち現れないものだから。メンバーが変わっただけでバンドは変わっちゃうじゃないですか、絶対的に。それはソロになっていろんな人にサポートでやってもらうようになってから痛感したことですね。「ああ、このリフっていうのはやっぱりあの人が弾いたからこそ完成したんだな」とか。

──原曲と同じように弾いても違う?

永積 やっぱり違うんですよね。だからバンドは奇跡の塊なんだと思います。

左からTOSHI-LOW、永積崇。

左からTOSHI-LOW、永積崇。

同じスピードと塊でBRAHMANにぶつかりたいと思った

──そんな永積さんは今回の「中央演舞」でBRAHMANをバックに歌いましたね。

永積 「おあいこ」とか自分の曲もやってもらったんですけど、なんだろう……BRAHMANの演奏はその気にさせられるんですよ。アレンジの違いとかニュアンスの違いとかまったく関係なくて、歌いこなしたいと思っちゃう。

TOSHI-LOW 俺は「おあいこ」があの日の沸点だったよ。あれだけ見て感動して、「もう帰りたい」と思ったから。

──BRAHMANの爆音に負けてない永積さんの歌はすごかったです。

永積 BRAHMANの音量、音圧の中に自分の歌を乗せたらどうなるのかなというのは楽しみだったし、映像をチェックしても「面白くなったなあ」と思いました。

TOSHI-LOW カッコよかったし、本当に面白かった。だってメンバーの演奏をほかのボーカルで見るっていうのもほとんどない経験だし。

──TOSHI-LOWさんがあんなにニコニコしながら歌うのも珍しいなと思いました。

TOSHI-LOW もう「おあいこ」で完全に満足しちゃったから、今日は勝った!と思って。まだライブが始まって1曲も歌ってないのにガッツポーズだった(笑)。

永積 はっはっはっは!

TOSHI-LOW

TOSHI-LOW

──「中央演舞」はお二人にとってSTUDIO COASTでの最後の公演になりましたけど、会場側からオファーがあったんですよね? 対バンにハナレグミを選んだのはどういう理由なんでしょう。

TOSHI-LOW 「中央演舞」の1週間前に自分たちのツアーファイナルがあったんだよね。それでCOASTで何をやればいいかを考える中で対バンしたいなって。で、COASTはたまにプロレスとか格闘技のイベントもやっていて、ああいう感じでド真ん中にステージを置きたいなと思ったの。あとは「いつものセットじゃないとダメなんです」みたいな人じゃなくて、1人で自由にできる崇なら絶対に完璧に対応してくれるだろうなと思って。

──このライブ、私は生では観られなかったんですけど、最初に永積さんがギター1本で弾き語りをやって、そのあとBRAHMANのメンバーがだんだん加わっていったんですよね?

永積 そうですね。最初KOHKIくんが入って、そのあとロン(RONZI)ちゃんとMAKOTOくんが入ってくるみたいな。

──ああいう形で、360°観客に囲まれてライブをしたことはあるんですか?

永積 ハナレグミではけっこうやるんですよ。だから僕としてはすごくやりやすい形式でしたね。

──でも周りを取り囲んでいるのはBRAHMANのファンが多い、言ってみればアウェーな状況ですよね。

永積 そうですね。でもすごくワクワクしました。TOSHI-LOWたちとやるなら絶対に弾き語りだなというのはずいぶん前から考えていたので。

永積崇

永積崇

──バンド形式ではなくて?

永積 うん。僕の中でBRAHMANは“1人の体”という感じがするんですよ。スピード感に迷いがなくて、手足の動きが一体化しているというか。

TOSHI-LOW それがバンドとして理想形だと思う。

永積 1つの塊という感じがする。だから僕もやっぱり同じスピードと塊でBRAHMANにぶつかりたいと思ったんです。

TOSHI-LOW うん。

永積 お互いがぶつかって自分の体の中が残響する感じをやりたいと思ってたから、それでお客さんの反応が悪かったとしてもそれはそれでいいなって。

TOSHI-LOW 全然もう、ばっちり。瞬間的に客を手玉に取ってたよね。

──アウェーだとかえって燃えてくる?

永積 燃えますね! やっぱりBRAHMANを好きってオーディエンスは熱い気持ちで来ている人たちだと思うから、試したくなるというか。やっていて幸せでした。最初は「どういう感じでやるのかな?」という空気もあったけど、だんだんだんだんこう会場が熱くなっていくのを感じてうれしかったです。