音楽ナタリー Power Push - 高橋まことが振り返る「BOØWY伝説」

BOØWY公式アーカイブサイト オープン記念

8ビート叩いてるだけで十分だって言われるようにならないと

──「BAD FEELING」は高橋さんも作詞に参加していますよね。

高橋まこと

うん、あれはヒムロックと2人で考えた。

──1994年発売の高橋さんのソロアルバム「楽しき人生」でもご自身で作詞や作曲をされていましたが、それ以降はプレイヤーに専念していますよね。曲作りを続けていこうとは思わなかったんですか? 松井さんはBOØWY解散後にソロ活動をしてずっと曲を作っていますが。

うん、作ってるね、松っちゃんは。でも俺は、バンドにへばりついてりゃなんとかなんだろって思ってるから(笑)。いくつになっても太鼓さえ叩けてればいいかなってのが本音だね。

──ドラマーとしてはこれから突き詰めたいことって、まだまだたくさんあります?

いやもう現状維持ですよ。これ以上は上がれねえって。伸びしろねえよもう(笑)。

──ドラムってほかの楽器以上に体力の消耗が激しいですしね。

ライブは戦いみたいなところもあるからさ、体力がなくなったらもうダメじゃん? だから、普通に8ビート叩いてるだけで「まことさんならこれでいいっすよ!」って言ってもらって、おかずなんか一切叩かなくてよくなるぐらいまでいっとかないとなって思ってる。歳も歳だし、あとはどこまで続けられるかっていう感じだから、もう手数がどうしたみたいなことでは勝負してないんですよ。

──BOØWYに影響を受けているバンドは今も多いと思いますが、そういう若い世代のミュージシャンと交流したり、高橋さんから何かアドバイスすることもあるんですか?

「ドラマー飲み会」っていう、ドラマーばっかり160人くらい集まる飲み会が年に1回あんのよ。それだけ人数いるともう種々雑多で。ドラムの話してるヤツもいるけど、全然ドラムの話しねえで酒の話してるヤツとか女の話してるヤツもいて。その飲み会、カラオケでBOØWYを歌って俺のマネしてるドラマーがそこらにいるんだよね。みんな箸持って「こうっすよね」ってさ。もうバカばっかり(笑)。

──それだけがBOØWYの演奏スタイルが映像とともにみんなに記憶されてるってことでしょうね。

そうなんだろうね。

あちこち行かされてずっとフォトセッションだったよ

──今日はスマートフォン向け会員制サイト「BOØWY HUNT」のオープンを記念したインタビューということで、BOØWYの解散に向けて1987年から1988年にかけて作られたファンクラブ会報「BOØWY HUNT」の現物をスタッフの方に持ってきてもらいました。

高橋まこと

4冊しか出てないんだっけ?

──そうですね。僕が知った頃にはもう入手できなかったので初めて見たんですけど、すごいクオリティですね。

こんなことやってるから手間ばっかりかかんだよ。

──ははは(笑)。

浜岡の砂丘でやった撮影が大変だったんだよなあ。こんなカッコよく写ってるけどさ(笑)。うちに帰ったら、髪の毛から耳から鼻から口から砂がいっぱい出てきてさ、シャワー浴びたら風呂場がぶわあって砂だらけになって、こんな量どこから出てきたんだって思ったよ。撮影中は人がいないから椅子だのわけわかんない円柱だの持たされながら長々歩いてさ、大変だっだんだよ。またカメラマンの加藤(正憲)さんがスタジオよりもこういう外のロケのほうが好きなんだよな。

──確かにロケの写真が多いですね。

「BOØWY HUNT」もそうだけど、「PATi・PATi」とかでもあちこち行かされたもんね。写真撮るだけのためにどっか行くって言われて。とにかくあちこち行った覚えあるな。戦艦三笠とか。昔は音楽雑誌も売れてたからけっこう贅沢に金使えたんじゃないの?

──メンバーみんな一緒だし、そういうときって旅行みたいな気分になります?

いや、でも着いたらほとんどフォトセッションだったよ。どこ行っても。初めてベルリンとロンドンに行ったときはハービー(・山口)さんが来てくれたから、レコーディングの時間以外はずっと写真撮影で。適当に車で街を走りながら「このへんで停めて!」って言ってそこらへんの壁で写真撮る感じ。

──あんまり旅行気分みたいなのんきな感じではなかったんですね。

でもまあ、ロンドンでは1日くらい「買い物行ってよし」みたいな日があって。俺は松井と2人で買い物に行ったよ。松井は英語をひと言もしゃべんないで「これより小さい服を見せてください」とか日本語で言うの。そしたら出てくんだよ、ちっちゃい服が。

──すごいですね(笑)。

高橋まこと

「なんだよ、外国だからって英語しゃべんなくてもジェスチャーで通じるんじゃんかよ」って思った。でもそのロンドンで買った服、日本に帰ってきてからの最初のツアーで、着たままホテルの噴水に飛び込んで布袋とかと遊んでたら、次の日に縮んで七分袖になってたね(笑)。

──今回「BOØWY HUNT」がネットで復活したわけですが、高橋さんはネットを見られたりします?

パソコン持ってないんで。ちっちゃいタブレットみたいなのは持ってるけど、見たいものを探すまで手間がかかるから、もう携帯だけでいいやみたいな。あんまり検索とかしねえもんな、俺。

──BOØWYの解散から30年近く経っているということは、「親父とかおふくろが聴いてたからファンになった」っていう世代も今は多いでしょうね。

それはあるよね。世代を超えてどんどん聴いてくれる人が増えて、若いファンが途切れることなくいるのが不思議っちゃ不思議。普通バンドなんて3~4年すると忘れられちゃうもんだからさ。ただまあ、時代がよかったっていうのもあると思うけど。

──BOØWYがやってきたことは、あのときにしかできないものだったと。

かもね。たぶんそうだと思うよ。

高橋まこと
BOØWYの全てが分かる唯一無二のオフィシャルサイト「BOØWY HUNT」
BOØWY HUNT

■利用料金
月額500円(税抜)

■対応端末
Android OS 2.2以上搭載機種
iPhone(iPhoneの標準ブラウザが利用可能な端末)

BOØWY HUNTはこちら

高橋まこと(タカハシマコト)

1954年生まれ、福島県出身のドラマー。1981年に暴威(のちのBOØWY)の初ライブを観たことをきっかけに、ドラマーオーディションに参加してバンドに加入。1988年に東京・東京ドームで最後のライブ「LAST GIGS」を行うまで、パワフルかつタイトなビートでバンドの屋台骨を支え続けた。BOØWY解散後は、元ALLERGYの宙也を中心としたバンド・De-LAXに参加し。De-LAX解散後はソロアルバム「楽しき人生」をリリースしている。その後もさまざまなバンドに関わりながらドラマーとして精力的に活動。2007年には自叙伝「スネア」を出版した。