ブギ連|内田勘太郎×甲本ヒロト、道しるべのない2人の共通言語“ブルース”

内田勘太郎(G / 憂歌団)と甲本ヒロト(Vo, Harmonica / ザ・クロマニヨンズ)が新ユニット・ブギ連を結成。6月26日に1stアルバム「ブギ連」をリリースする。

アルバムには歌とハーモニカ、ギターの音のみというシンプルな構成のブルース全12曲が収められる。過去に内田のソロ曲として発表されたボーナストラック「オイラ悶絶」以外の楽曲は今作のために書き下ろされたオリジナルナンバーで、2人は先人のブルースを下敷きに、レコーディングを進めながらセッションを繰り広げるかのように楽曲を作り上げた。音楽ナタリーでは2人にインタビューを行い、出会いやブギ連結成のきっかけ、アルバムの制作過程について話を聞いた。

取材・文 / 近藤隼人 撮影 / 相澤心也

2人の出会いは

──まず、お二人の出会いについて聞かせてください。

甲本ヒロト(Vo, Harmonica)

内田勘太郎(G) テレビで「リンダ リンダ」が流れていた時代だから、デビューした頃じゃないかと思うんですけど、THE BLUE HEARTSを観て「すごくいい人たちが出てきたな」という印象がありました。憂歌団とテイストが似ている感じがあるなと。

甲本ヒロト(Vo, Harmonica) へー!

内田 なんとなくそんなことを感じていて。そのあと、わりとすぐにどこかのフェスで会ってると思うんだけど。

甲本 それね、僕らが仕掛けたんですよ。

内田 そっか。呼んでくれたんだっけか。

甲本 THE BLUE HEARTSがちょっと人気出てきたときに雑誌「宝島」の企画(1988年8月に東京・よみうりランドオープンシアターEASTで開催された「月刊宝島」創刊15周年記念イベント「ワンダーランド・ロック・フェス」)で、運営の人に「一緒にやってみたいバンドがいたら希望を通しますよ」と言われたんです。「無理だと思うけど、憂歌団!」と答えたらあっさりOKで、「あれっ、簡単に来ちゃったな」って(笑)。

内田 あっ、わかった! どんと(ローザ・ルクセンブルグ、BO GUMBOSのボーカリスト。2000年1月に永眠)とかいたよね。客席に若い女の子たちがいっぱいいて、俺たちの演奏が終わるのを待っている様子がありありと見えた(笑)。変な感じだったね。

──そのときに何か言葉は交わされたんですか?

内田 話したと思いますよ。憂歌団のボーカルの木村(充揮)くんも「ヒロトくんの歌すごくいいな」と言ってましたから。

甲本 そのイベントの前振りというか、宣伝で1回対談もやったんですよ。憂歌団のメンバー全員に来ていただいて、僕はずっとファンでしたから「知り合いになれるかも」と思ってただただワクワクしていました。

岡山県の中学生に衝撃を与えたブルース

──ブギ連で歌っているようなブルースは甲本さんにとってのルーツの1つだと思いますが、ブルースとの最初の出会いはなんだったんですか?

甲本 最初はね、中学生のときに買ったThe Rolling Stonesの「Out Of Our Heads」というアルバムですね。どのアルバムを聴いたらいいかわからなくて、なんとなく買ってみたらそこに「Cry To Me」とか「That's How Strong My Love Is」が入っていて、「(I Can't Get No)Satisfaction」よりもしびれちゃったんですよ。「これはなんなんだ?」と調べたらルーツが黒人の音楽で。だからブルースというより、ソウルから黒人音楽に入ったんです。何がソウルで何がブルースかなんてわかってなかったんですけど、聴いていくうちに理解してハマってきました。

──そんな中で憂歌団の音楽にも出会って?

甲本 そうですね。当時は若気が至りまくってましたから、日本のブルースっぽいバンドに対して「しゃらくせえ!」と思ってたんですけど、憂歌団にはやられたんですよ。「カッコいい!」って。

──最初に勘太郎さんのスライドギターを聴いたとき、どのように思いました?

甲本 こんな人が日本にいるんだと衝撃でした。だって、岡山県の中学生が白人のブルースにも文句言ってたわけですよ。「(エリック・)クラプトンなんか!」って(笑)。「日本人になんかブルースができるわけないじゃないか」と思ってたときに、憂歌団と出会ってめちゃくちゃしびれたんですよ。理屈はわからないけど。

──ヒロトさんが歌ってきたロックンロールと憂歌団のブルースではジャンルが少し異なりますが、昔からお互いに通じるものを感じていたんですね。

内田 ルーツは同じだよね。お互いにパッションやエネルギーを感じたんじゃないかな。THE BLUE HEARTSが出てきた頃、憂歌団はちょっとだけベテラン化して落ち着いちゃってたと思うんだけど、連中を見て「これはがんばらなきゃいけない」と叱咤されるような気持ちがありました。

甲本 (小声で)そうだったかー。

横浜での共演はガチガチだった

──勘太郎さんはヒロトさんの歌に対して、どのような印象を抱いていました?

内田勘太郎(G)

内田 上手に聞かせないところがいいよね。

甲本 (笑)。だって上手じゃねえもん。

内田 ありえないぐらい届くんだよね。今回、少しだけ一緒に歌ってみたんだけど、僕の声なんか消えちゃうわけ。レコーディングに向かう車の中でレイ・チャールズの曲を聴いたときに、「これ、ヒロトと同じだな」と思いました。うまさを感じさせない。憂歌団の木村(充揮)くんは「ヒロトの歌は全部童謡に聞こえる」と言ってたけど、発声が素直なんじゃないかな。最初にTHE BLUE HEARTSの音楽を聴いたとき、曲とヒロトさんの声にインパクトを感じました。

──なるほど。

内田 ブルースって本当は情熱とエナジーの音楽なのに、ブルースをやってるおじさんたちはもう落ち着いてるというか。本来は「なんてえげつない人なんだ、マディ・ウォーターズは」と感じさせるようなことをブルースバンドこそやらなきゃいけないのに、ブルースをコピーしている人たちも形だけの人がわりと多いのかもしれない。それに比べると、新しく出てきたロックの人たちのほうがブルースに近いというか、面白いと思ったな。今でもeastern youthとか、(横山)健ちゃんのバンドはしびれるもんね。相変わらずザ・クロマニヨンズも。いったいどこまで元気なの?

甲本 それはあなたのほうでしょ(笑)。

内田 1時間も2時間も暴れて、大丈夫なの?

甲本 そっちこそ朝まで飲んで大丈夫なんすか? すごいんですよ。ステージ降りると毎回潰されるんです。ブギ連も酒で潰れている間に結成が決まったんじゃないかな(笑)。冷静さを失っているときに。

内田 沖縄に来てポーッとしてたんだよ。

甲本 沖縄のパン屋さんで偶然会ったんです。

──勘太郎さんは沖縄在住なんですよね。それはいつぐらいの出来事ですか?

内田 去年かな。その前に横浜で共演してるんだけど。

──2013年11月に神奈川・THUMBS UPで行われた内田さんの主催ライブですね。

内田勘太郎(G)

内田 そっか、そんな前か。年に何回かやっていたセッションライブにヒロトさんに来てもらって。ブルースが好きだとなんとなく知ってたけど、「えっ、そんなに知ってるの?」と驚きました。世代問わず、ブルースの話ができる人って少ないから。「この曲やろう」と提案するとすぐに理解してくれるし、僕よりも若いのに同じアンテナを持っていて。そのときは、全部日本語で歌ったんだよね。

甲本 そうですね。ほとんどその場ででっちあげて。

──そのときの感触はいかがでしたか?

甲本 僕はもう修行みたいな感じでしたね。ガチガチに緊張してたし。1、2曲だったらまだしも、ほぼワンステージ出ずっぱりというボリュームで参加することに非常に二の足を踏んだんです。自分も恥かくし、勘太郎さんに恥をかかせちゃいけないと思って。でも「待てよ。昔憧れていたあのギターを4、50cmの距離で聴けるぞ。最前列より近いぞ。いい機会だから、恥かいてもいいから参加したい」と思って参加させてもらったんです。そしたら本番の何日か前に僕の家に来てくれて、「ちょっとリハーサルしよう」って僕が持っていた1万円のモーリスのギターを弾いてくれたんです。そのときに僕の夢が叶っちゃって、もうどうでもよくなっちゃって(笑)。ちょっと満足しちゃったんですけど、本番も楽しくやった記憶があります。

内田 資料用にライブの映像は撮っているんですが、「なぜ映像化しないんだ」というお客さんの声がよく聞こえてくるんですよ。まあ、しないんですけど(笑)。

甲本 本当にガチガチだったからなあ(笑)。