BONNIE PINKインタビュー|父と別れ、娘に出会った──“無限大”の未来へつなぐ11年ぶりアルバム

BONNIE PINKの約11年ぶりのオリジナルアルバム「Infinity」がリリースされた。

妊活や出産、育児のために音楽活動をセーブしてきたBONNIE PINK。サブスクリプションサービスが広く浸透し、配信リリースが当たり前になるなど、大きく様変わりしていく音楽業界を、彼女は愛娘に子守唄を歌いながら静観していたという。コロナ禍にタイミングを狂わされたものの、彼女がようやく完成させたアルバム「Infinity」には、さまざまな環境やライフステージの変化、出会いや別れを経験したBONNIE PINKの11年分の思いが込められている。

音楽ナタリーではBONNIE PINKにインタビュー。活動休止期間の思いや、2006年発表のヒットソング「A Perfect Sky」にまつわる彼女自身の励みになったというエピソード、アルバム「Infinity」の制作秘話などをたっぷりと語ってもらった。

取材・文 / 内本順一撮影 / 堀内彩香

音楽業界も音楽の聴かれ方も大きく変わった

──待ち望んだニューアルバムが完成しました。実に11年ぶり!

普通、11年も空かないですよね。シャーデーのアルバムが8年ぶりに出たときに、「たっぷり休みはったねえ」と笑っていたんですけど、気付いたらそれを超えていた(笑)。

──かなり長い時間をかけて完成にこぎつけたアルバムということで。

本格的に取りかかったのは一昨年なんですけど、曲作りはずいぶん前からやっていて、10年以上前に書いた曲も入っているんです。1曲目の「Spin Big」は休む前(2015年9月)にシングルとしてリリースしていたし、「Butter」は2013年に書いた曲だし。どの曲も去年から今年にかけて歌を録ったので、声は今の私なんですけど、アルバムの内容的にはこの11年の私という感じ。10数年のいろんな時期に書いた曲を1つのアルバムに収めるのってどうなの?とも思ったし、この11年で音楽業界も音楽の聴かれ方も大きく変わってしまって、自分はどんな立ち位置でどういう歩幅で進んでいけばいいのか、みたいなことを考えた時期もありました。でも考えたところで答えは出ないし、その間にまたどんどん様変わりしていくから、とりあえず一歩踏み出そうという話をマネージャーとして。それで一昨年から本腰入れて、1曲ずつアレンジャーさんに振ってレコーディングして、できたものから配信でリリースして。曲がまとまったらアルバムにしようと決めました。

BONNIE PINK

──昔と違い、今は1曲作っては配信して、まとまったらアルバムにして出すというやり方をする人が多いですよ。初めにアルバムのコンセプトを立てて、そこに向けて集中して制作するというやり方をする人は減ったと思います。

どうやら世の中そうみたいだってことがわかったので、コンセプチュアルにすることを必要以上に意識しなくてもいいんだなと思って、少し気が楽になりました。だから今回はトータリティーみたいなことをそこまで深く考えずに作ったし、これが今の自分のありのままかなと。この10年ちょっとを私がどう過ごしていたかがなんとなく見え隠れするアルバムになっていればいいかなと思いながら作りました。

──実際にそうなっていると思います。でも、もともとBONNIEさんはアルバム1枚を通して世界観を伝えることに長けていた。だから今回のような作り方を初めてするにあたり、勝手が違うゆえに悩んだところもあったんじゃないですか?

ためらいはありました。どうしても、これ!というコンセプトがないといけないんじゃないか、アルバムに1本太い軸が通ってないとダメなんじゃないかと考えてしまって、余計な力が入りそうにもなった。だけど11年間に軸を通すなんて至難の業だし、だったらもう「私自身が軸です!」というふうに開き直ろうと思って。それで私の細かすぎる、こだわりすぎる性格を1回保留できたんです。ごった煮の感じも私らしいっちゃ私らしいんじゃないかと。アレンジャーも、昔の私を知ってくれている人から最近出会った人までいろいろな方がいたほうが、この11年の私を語れるんじゃないかという思いもあったので、皆さんに2曲ずつくらい参加してもらいました。あとはミックスのときと曲順を考えるときに少なからずトータリティーを意識しましたけど、基本的には1曲1曲の完成度だけを気にして作った感じでしたね。

──確かにサウンドの方向性は多様ですが、曲順が練られているので流れがいい。バラバラな感じはないですよ。

よかった。そう言ってもらえるのが一番うれしいです。

BONNIE PINK

旧知の仲間や「A Perfect Sky」大喜利に励まされた

──新作についての話をお聞きする前に、活動休止期間をどのように過ごしていたか振り返っていただけますか。

そうですよね。ええっと、2011年の東日本大震災のあと、セルフリメイクアルバム「Back Room ~BONNIE PINK Remakes~」があって、翌年にアルバム「Chasing Hope」を作って、実はそのあとすぐに次のアルバム制作に取りかかろうとしていたんですよ。ただ年齢的なこともあり、子供が欲しいということも考えていて。で、2015年に結婚して、次のアルバムの曲作りをしながら並行して妊活もしていたんです。だけど仕事を全力でやりながら妊活もってことになると、効果が出にくいし、スケジュール管理も難しいところがあって。体を安静にしておきたいタイミングでライブがあったりすると、どうしてもピリピリしてしまって、全力で臨めない。そんなとき、当時のディレクターさんが「1回活動を止めて私生活のほうにフォーカスするのもいいんじゃない?」と言ってくれたんです。アルバム制作の会議でそう言われて、私としてはけっこう目から鱗で「え? 休んでいいの?」となったんですけど、実際全力でライブするのが難しくなっていたので、私も「よし、1回歩みを止めよう」と決心がついた。それでめでたく子供を授かることができたんですけど、高齢出産だったので体力的にけっこうしんどかったし、自分の体力を復活させるのと育児で精一杯で、仕事に向ける余力が全然なかったんです。それに、育児は大変だけど子供って面白いなと思いながら日々を過ごしていたら、あっという間に時間が流れていって。

──今は子育てに集中して、音楽のことはしばらく考えなくていいだろうと。

とはいえ、そのまま引退する気持ちはまったくなくて、どこかのタイミングで戻らなきゃとは思っていたんですけど、そのタイミングがつかめなかった。子供が小さいうちは手がかかるし、自分の体力も簡単には戻らなかったし、音楽業界もシステムから何からすべてが変わって、何をどうやるのが正解なのかもわからない。だから、それを静観しながら育児に専念していた感じでしたね。で、いよいよ動き出そうかというタイミングでコロナ禍になって、その影響も大きかった。あと、今こうしてワーナーで取材を受けていますけど、実は一旦ワーナーを離れたんですよ。それは2000年に移籍してからずっと一緒にやってきたディレクターさんがワーナーを辞めたというのも大きくて。そのディレクターさんは実務的なことはもちろん、いろんなアイデアも出してくれて、ずっと並走してくださっていたので、さてこれからどうしよう?と思考停止状態になってしまったんです。私自身、今の時代に自分の作る曲は合うのかな、自分らしさってなんだろうなと、少し自信を失ってもいたので。

──それはいつ頃から?

思い返せば、震災が自分にとって大きかったのかな。あのときに音楽をやる意味というものが揺らいでしまって、モヤっとした感覚があったんです。それでも被災された方々が希望を感じられるような出来事がそろそろ欲しい、そういうアルバムを作って自分も新たな一歩を踏み出したいという思いで「Chasing Hope」を作ったんですけど、そのあと結婚して、出産して、コロナ禍になって。そうした中で私らしく復活して音楽をやっていくというのがどういうことなのかがあまりにも漠然としていた。またどこかのメーカーに所属してやるのがいいのか、インディーズという形態でやっていくのがいいのか、そういうことも事務所といろいろ話をしました。で、まあどういう形でやるにせよ、今できることを1つひとつやるしかないから、ミニマルにそれをやっていこうという結論にとりあえず達して、自分の知っているミュージシャン、アレンジャーさんに声をかけていったんです。特に八橋(義幸)さんは早い段階から相談に乗ってくださって、「早くアルバムを作ろうよ」とけしかけてくれた。力になりたいと思ってくださったみたいで、すごく励まされましたね。

BONNIE PINK

──新しいアルバムを作るにあたって、八橋さんの助言が1つのきっかけになった。

はい。八橋さんに昔のデモと新しいデモを聴いてもらったら、「いい曲がいっぱいあるじゃん。どんどん出していこうよ」と言ってくれて、「この曲はこういう人と一緒にやるといいかもね」ってどんどん助言もくれた。それで昔作って1回葬った曲たちもまだまだ輝かせる余地があると確信できたし。で、その頃だったかな? 実はトーレ・ヨハンソン(スウェーデンの音楽プロデューサー。1997年発表の2ndアルバム「Heaven's Kitchen」をはじめ、BONNIE PINKの作品を多数プロデュースした)にもひさしぶりに連絡してみたんですよ。BONNIE PINKとして復活するからにはトーレにも参加してもらいたいと思ってけしかけたら、彼も1回は「じゃあやろうか」と言ってくれたんです。だけどいざ制作がスタートしたら「ごめん。やっぱりできない」と断られてしまって。トーレは音楽に対する情熱がなくなって、今は木工のアート作品を作ったりして別のジャンルでクリエイティビティを発揮しているみたいなんです。トーレとのリユニオンが自分にとって1つの起爆剤になればいいなと期待していた分、残念ではあったんですけど、まあ私も彼から卒業しなきゃいけないときなんだなと自分の中で覚悟を決めました。それでまず八橋さんとリモートで作業を進めて、それに続くようにバンマスの鈴木正人さんにも曲を投げて。Burning Chicken(スウェーデンの音楽プロデューサーチーム)にも連絡して、2015年に録ったままほったらかしにしていた「HANABI Delight」をちゃんと形にしてアルバムに入れたいと話をしたら、ヤンス(・リンドゴード)が「僕はBONNIEのカムバックを信じているし、応援しているから、喜んでなんでもやるよ」と言ってくれて、「Bittersweet」のアレンジとプロデュースも追加でお願いしたんです。そうやって旧知の仲である人たちに励まされながら作っていきました。

──別れもあったし、再会もあった。

そう。あと、励まされたという意味ではもう1つ、こんなこともありました。お正月の大喜利番組から仕事の依頼が来まして。芸人さんが「A Perfect Sky」の「君の胸で泣かない 君に胸焦がさない」というサビの部分を題材に大喜利をして、それを受けて私がひと節歌うという内容で、面白そうとは思いつつ、そのときは立て込んでいて出られなかったんです。それで気になって、初めてエゴサーチというものをしてみたら、びっくりするくらいTwitter上に「A Perfect Sky」のネタがいっぱい出てきた。「なんとかかんとか稚内」みたいな(笑)。2006年に出した曲が今そうやってお笑いの題材になって盛り上がっているということは、それだけ人々の印象に残ったんだなと思えたし、改めて「A Perfect Sky」はBONNIE PINKにとって大事な曲だと感じて。面白い現象だなと思いながらも、これを励みにがんばってみようという気持ちになったんです。

──2020年には奥田健介さんがやっているZEUSの「Little Bit Better」、2021年にはNight Tempoの「Wonderland」でフィーチャーされて、2022年には「FUJI ROCK FESTIVAL」のNight Tempoのステージにゲスト出演されていましたよね。

そうそう、あの時期はコラボがいくつかあって。そういうコラボのオファーをいただけることも励みになりました。お話をいただいたときはNight Tempoくんのことを存じ上げなかったんですけど、トラックを聴いて面白そうだと思ったし、自分にできることはなんでもやってみようという気持ちになった。そうやっていろんな方にきっかけをいただいて、ここまでこぎつけた感じです。