Bialystocksがニューシングル「灯台」を配信リリースした。
Bialystocksは映画監督でもある甫木元空(Vo, G)と、ジャズのフィールドを中心に活動するピアニスト・菊池剛(Key)の2人によるバンド。甫木元が監督を務めた映画「はるねこ」の生演奏付き上映会をきっかけに結成された彼らは、コンスタントにリリースを重ねながら、甫木元の新作映画「はだかのゆめ」主題歌・劇伴を担当するなど、バンドという形態にとらわれない活動で独自の音楽を届けている。本インタビューでは2人の音楽的なルーツや新曲「灯台」の制作秘話、また10月に開催を控える初ワンマンへの思いなどを交えながら、彼らが音楽活動に懸ける思いを語ってもらった。
取材・文 / 真貝聡撮影 / 山崎玲士
やりたいことを決めずに入った美大で映像の道へ
──ナタリー初登場ということで、2人のパーソナルな話からお聞きしたいと思います。菊池さんはBialystocks以外に、ジャズの演奏やアーティストのサポートミュージシャンをされているとのことですが、そもそも音楽を始めたきっかけは?
菊池剛(Key) 兄弟がピアノを習っていたのもあり、自分も5歳から音楽教室に通っていました。そのあと中学、高校でもピアノを弾いていましたが、別にプロを目指していたわけじゃなくて。ピアノよりテニス部の活動に熱中していました(笑)。でも大学に入ってから、また音楽に熱を入れるようになって。
──何かきっかけがあったんですか?
菊池 大学在学中だった19歳のときに留学をしまして。そこから本格的にジャズを始めました。高校生のときからフランク・シナトラとか、ジャズを聴くのが好きだったんですよ。留学先がニューヨークだったのもあり「ニューヨークと言えばジャズだろ!」みたいな、そういう単純な理由で練習し始めたり、ライブを観に行ったりしてのめり込んで。20歳で日本に戻ってきて、ジャズの演奏とか、ミュージシャンのサポートをするようになりました。
──甫木元さんはどんな幼少期を過ごしてきましたか?
甫木元空(Vo, G) 母親がピアノの先生で、父親はミュージカルの演出をやっていたので、常に音楽が流れているような家庭で育ちました。母は合唱の先生もやっていて、僕も小学4年生から6年生まで教えてもらっていたんです。母はピアノを教えるだけじゃなくて、作曲もしていたんですね。幼稚園の園歌だったり、宮沢賢治や金子みすずの詩に曲を付けたり、いろいろな曲を作っていて。母が作った曲、演奏するピアノ、歌唱方法も含めて一番影響を受けていると思います。
──音楽が身近にあったからこそ、ご自身も音楽の道を自然と選んだんでしょうか?
甫木元 むしろその逆で、音楽の道に進もうとはあまり考えていませんでした。ピアノも長続きしなかったし、歌も自分よりうまい人がいっぱいいたので、ほかの人と比べて音楽を始めるハードルが低かった分、挫折するのも早くて(笑)。「音楽で食べていけるほど甘くはない」というのは、早い時期で感じていました。
──高校卒業後は美大に進学されるんですよね。
甫木元 はい。「高校に入ったら自分のやりたいことが見つかるだろう」と思ったんですけど、全然見つからなくて。どうしようかなと考えていたときに、多摩美術大学映像演劇学科の募集を目にしました。演劇や映像などとにかく何をやってもいい、すごい自由な学科だったんですよ。そこの入学試験は変わっていて、「旅」をテーマに作品を作って、それをゆうパックで送ったら合否が出るっていう。今では信じられないですよね?
──ハハハ、聞いたことがないですね(笑)。
甫木元 すごく面白いなと思ったんですよ。それで屋久島に行って撮影した写真を送ったら、たまたま受かりまして。そもそも、美大に行くための予備校があるのを知らないぐらい無知だったんです。つまり、やりたいことを決めずに入学したんですね。そこから自分にできることってなんだろうと考えた結果、「写真とか映像を撮るぐらいだったら、とりあえず始められるかな」と。
──そこから映画の世界に入っていった。
甫木元 授業に塚本晋也監督をはじめ、いろんな方々が講師として来られて、映画制作のやり方を教えてくださったんですよ。僕にもっとも大きな影響を与えたのは、大学3年生のときに出会った青山真治監督。青山監督の現場を見れたことで「この世界に携わりたい」と思いました。映画の現場ってお祭りじゃないですけど、みんなで1つの事を作りあげていく過程がすごく面白いと思ったんですよね。ワンカットを撮るだけのために、通りかかったおばちゃんのところへ走っていって「すみません、ちょっと5秒だけ待ってください」「なんでよ!」って怒鳴られてる光景とか見ながら、なんか面白いなって(笑)。これだったらやれるかなと。そこから助監督として、いろんな監督の下につかせていただきました。
──大学在学中に、青山さんを始め、いまおかしんじさん、大根仁さん、瀬々敬久さん、橋口亮輔さん、山本政志さんなどそうそうたる監督の助監督を務められます。
甫木元 たまたまそういう現場に参加させてもらいながら、大学には青山さんがいるみたいな。本当にラッキーな環境だったと思います。映画の作り方もそうですし、役者との接し方やカメラマンとの関わり方まで、皆さん全然違うんですよ。「ルールはない」と知れたのが一番勉強になりましたね。
“自称映画監督”ってちょっと怪しいし……
──まったく違う人生を歩んできた菊池さんと甫木元さんは、どのように出会うんですか?
甫木元 共通の知り合いがバンドを作るということで、スタジオで初めて会いました。そのバンド自体は長続きしなかったんですけどね。
菊池 それが2016年くらいだよね。
──2016年といえば、甫木元さんが監督を務めた初長編映画「はるねこ」が公開されたタイミングでもあります。
甫木元 そうですね。で、その後2019年に「はるねこ」の劇中音楽を生演奏するイベントがあって、そこで初めて菊池と演奏することになりました。
──そもそも映画を撮ることになったきっかけは?
甫木元 父親が撮っていたホームビデオがありまして。僕が生まれる瞬間から幼稚園に上がるぐらいまでの映像が残っていたんです。それをセルフドキュメンタリーとして編集し、最後のエンドロールに現在の自分が出てきてオリジナル曲を歌う、という映画を卒業制作で作ったんです。それを見た青山さんが「卒業したあとは何するんだ?」と聞いてきて。「何も決まってないです」と言ったら「とりあえず脚本を書いてみろ。主役は新人の役者で、音楽をお前がやれ」って言われて。それがことの始まりですね。
──もう1つ「はるねこ」にまつわるエピソードで言うと、生徒の皆さんと青山監督がカラオケへ行ったとき、甫木元さんの歌声を聴いて「この歌を生かした映画を作るのはいいんじゃないか」と思ったそうですね。
甫木元 あ、そうなんですよ。僕がQueenを歌ってる様子を見て、そう思ったみたいで。そもそも音楽も映像も、記録するっていう役割があるじゃないですか。青山さんが「この歌やみんなといる空気感を作品に残したい」と言ってたときがあって、その思いが「はるねこ」という映画を作る大きなきっかけになったと思います。それもあって、映画を作るにあたっては「お前の周りにいる人間をスタッフにしなさい」と条件を出されました。
──それで映画を作り、演奏会に至るわけですが、菊池さんを誘ったのはどうして?
甫木元 その演奏会では、映画の劇中曲を披露することになっていて。映画の曲をそのまま再現するのではなくて少し壊すというか、遊びを入れた演奏ができる人でパッと思い浮かんだのが菊池でした。シンプルに菊池が中心になって演奏したらどういう事になるか見てみたかったのが一番かもしれません。
──誘われたときはどんなお気持ちでしたか?
菊池 「知り合いだからやるか」って感じですかね。それこそ出会ったときは、甫木元の作品も見たことがないし、“自称映画監督”ってちょっと怪しいし……。「何者なんだろう」と、正体がよくわからないまま付き合っていたんですけど、演奏会をきっかけに「映像監督としてもちゃんとしてるんだな」ということがわかりました(笑)。
甫木元 そのときは演奏を1回して終わりのつもりだったんですよ。まさかバンドを組むとは思っていなくて。
──Bialystocksを組んだのは、どういう理由からだったんですか?
甫木元 一緒に音楽をやっていて楽しかったのと、自分が作った曲の雰囲気をガラっと変えてくれるのが面白いなと思って。そこから「今度はオリジナルも作ってみよう」って話になったんです。とりあえず締め切りを設けて曲を作ろう、みたいな感じでスタートしました。
菊池 もともと、僕はそこまでバンドをやりたいと思っていなくて。1人でやるのが性に合っていたし、初めは「ガンガン練習して、積極的にライブする感じだったら嫌だな」「めんどくさいな」と思っていたんですけど、まあ全然そんな感じではなくて(笑)。マイペースにスタートしたので、それが続けてこれた要因かなと思います。
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