ASKAのベストアルバム「Made in ASKA」「We are the Fellows」が10月17日に同時リリースされる。
「Made in ASKA」はASKA自身が収録曲を選び、録り下ろしの新曲を加えた15曲入りのベストアルバム。また「We are the Fellows」はファン投票の上位13曲を収録した“ファンが選ぶ”ベスト盤となっている。音楽ナタリーでは覚せい剤取締法違反などの罪に問われた2014年8月から4年が経ち、執行猶予期間が明けたASKAにインタビューを実施。今作に収録された各楽曲の制作エピソードを交えながら、ASKAが歩んできた31年の軌跡や、楽曲制作のスタンスの変化などをじっくりと語ってもらった。
取材・文 / 田家秀樹 撮影 / 上山陽介
曲順にも手を加えてない「We are the Fellows」
──ASKAさんが今、2枚のベストアルバムを出す理由からお聞かせいただけますか?
ブログをずっと続けている中で、ブログから派生してオフィシャルサイトができあがったんです。ソロ活動30周年のタイミングに入ったとき、サイトを使ってこれまでやったことのないことをやってみようと思って、ベスト盤制作を見据えてファン投票を始めたのが最初ですね。実は昔からベストアルバムにはあまり興味がなかったんです。ベスト盤の選曲って、スタッフ間で決めることがほとんどなので、好きにやってくれという気持ちが強くて、そういった作品には一切関わらなかったんです。ただ時が流れて少し考え方が変わって「今だからベストアルバムが必要なのかな」と。ずっと僕の音楽を聴いてくれていた人たちが選んだベストアルバムを作ったらどうなるだろうと思って、作ってみたのが1枚目の「We are the Fellows」ですね。
──「Made in ASKA」に関しては?
「『We are the Fellows』に対して、僕が選んだベストアルバムを作ったらどうなるだろう」と思って。もちろん重なっている曲を外して選んでみたら、1曲だけ自分の曲じゃないものが入ってきた。それが黒田有紀ちゃんに書いた「cry」(1995年4月に発売された黒田有紀のシングル「風 吹いてる」の収録曲)。今までライブで歌ってきた曲ですし、思いがけず人気が高かったのもあって、新曲として自分で歌ってみようかと。どうせならもう1曲新曲を入れようということで「Made in ASKA」は「We are the Fellows」より2曲多い15曲入りになっています。
──ファン投票をもとにした「We are the Fellows」の楽曲ランキングをご覧になったときはどう思われましたか?
まず驚きました。これ、投票数はもちろん曲順にも手を加えてないんですよ。普通は入れ替えたりすると思うんですけど、何もしないでこういう順番になった。それと驚いたのは「はじまりはいつも雨」が入っていたことですね。僕の楽曲をたくさん聴いてくれる方たちの中にはマニア意識みたいなものもあるでしょうから、世の中に広く認知されている曲……「はじまりはいつも雨」みたいな曲に票は入らないと思ってたんです。この曲は自分で選ぶベストに入れるつもりだったのでビックリしました。そういう意味でもこの2枚のベストアルバムは比重がどちらにあるかということじゃなくて、どちらを前に出してもいいアルバムになりました。
──「We are the Fellows」の収録曲で言うと「伝わりますか」、「Made in ASKA」の収録曲だと「MIDNIGHT 2 CALL」が1988年に発表された曲で、ちょうど発表から30周年ですね。
そういう周年的なものは何も考えてないんです。去年、元スタッフが遊びに来て、「ASKAさん、来年ソロ30周年ですよ」と言ってくれましてね。初めて30周年であることを知ったという程度なんです。そういえばそのときに「ベストアルバムとか考えたらどうですか」と言われ、「今なら面白いかもしれないね」って会話をしたのがこの2枚のベストアルバム制作のきっかけですね。
どの世代でも人の心は変わらない
──今年はソロ活動30周年の年であると同時にASKAさんが還暦を迎えた年でもあります。60歳と30周年、両方のタイミングが重なった時期にベストアルバムを作る中で、聴き手のことをどう意識しているんでしょうか?
それは難しい質問ですね。世の中的には「生み出した楽曲は全部かわいい子供みたいなものですから」みたいなことを言わないといけないんでしょうけど、やっぱりよくできた曲というのはあります。でもそれは自分の感覚であって、世間とは別の話ですからね。自分が「よくできたな」と思った曲と、世間に気持ちよく受け入れられた曲とのバランスを大事にしました。
──今回は音楽ナタリーでのインタビューということもありまして、この特集の読者は若い世代の方が多いと思います。ASKAさんは自身の年齢や聴き手の世代についてどう考えていますか?
どうでしょうね。年齢ということで言えば僕は自然に年を重ねられればいいと思っていて。僕は21歳でデビューしたんですけど、当時は背伸びした曲をいろいろ書いていたんです。35、40歳くらいになってからかな、「音楽は若い人だけのものじゃない」みたいな感情を抱き始めて。四十代になったら四十代の、五十代になったら五十代の歌を歌えばいいと思うようになりました。それがベースにあれば、あとはテーマ。要は「喜怒哀楽」ですね。背景は時代によって違いますけど、人の心はそんなに変わらない。痛みを受けたり、喜びを感じたりする瞬間はどの世代でも一緒だし、気負うことなく今の自分を歌えばいい。若ぶって、無理して音楽を作るようなことはもう考えてないんです。
──ソロ活動初期の頃はどんなことを考えられていたんですか?
あの頃はねえ、音楽をやることの喜びと言うんでしょうか。誰もがそうでしょうけど、アマチュア時代の最大の喜びはデビューだと思っていますから。僕らはレコードの数字自体はそんなに伸びなかったんだけど、ライブでのお客さんの動員がどんどん増えていって、デビューのタイミングでうまく波に乗れたと思っています。そういう流れがあった時期に書いたのが「伝わりますか」や「MIDNIGHT 2 CALL」という曲ですね。「伝わりますか」は、CHAGEが石川優子ちゃんと一緒に歌った年(1984年4月に発売された「石川優子とチャゲ」名義のシングル「ふたりの愛ランド」)に生まれたんですよ。当時僕にもドラマ出演の話が来て、そのときにちあきなおみさんから、直接「曲を書いて欲しい」とお願いされたんです。ドラマの撮影中に鈴鹿で作ったのが「伝わりますか」ですね。
──「伝わりますか」はドラマの話や、ちあきさんという曲の提供先がなければ生まれていなかったわけですね。シブがき隊に提供した「MIDNIGHT 2 CALL」はどうですか?
「MIDNIGHT 2 CALL」は、シブがき隊の布川(敏和)くんが僕の家に遊びに来てくれたときにできた曲。その場でメロディを作った記憶があります。歌詞に関しては、自分の体験とかを思い出しながら書きました。
──この曲に限らず、ソングライターとしてのASKAさんのキャリアを語るうえでジャニーズ事務所とは切っても切れない縁があると思います。光GENJIだってASKAさんの提供曲である「ガラスの十代」「パラダイス銀河」といった楽曲が代表曲なわけですから。
僕がいなかったとしても、彼らのパワーだけで十分ヒットしたとは思いますし、何よりすごいのはジャニー(喜多川)さんが、僕らのようなフォーク世代でなんとも形容しがたい種類のアーティストに光GENJIの1曲目(1987年発売のデビューシングル「STARLIGHT」)を書かせてみようと閃いたことですね。かなりの挑戦だったと思いますよ。
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自分でもどこに存在してるかよくわからない
2018年10月17日更新