アンと私の1stフルアルバム「FALL DOWN 2」が1月10日にリリースされた。
アンと私はボーカル&ギターのフロントマン二口(ふたぐち)を中心に結成された、下北沢を拠点に活動するギターロックバンド。彼らの1stフルアルバムは、2022年発表の配信シングル曲「一生忘れられない恋をした」、2023年発表の「二番目」「Tinder」「クソラスト」に既発曲「せめて音楽だけはやめないようにね」「手首と太腿」の新録バージョンと新曲3曲を加えた全12曲で、赤裸々な表現やリアリティのある世界観が味わえる1作になっている。
音楽ナタリーでは二口にインタビューし、音楽ルーツやバンド観、「FALL DOWN 2」の制作エピソードを聞いた。
取材・文 / 天野史彬撮影 / 柏井彰太
毛皮のマリーズの「ダメな大人」感が好きだった
──アンと私はもともと二口さんのソロプロジェクトという形だったそうですが、具体的にはどのようにして始まったんですか?
コロナ禍の2020年頃、コールセンターで働いていて。コールセンターって人がすぐ辞めるから、その分新入りバイトがめっちゃ入ってくるんですよ。その中に、今僕らがいるレーベル(スプートニクラボ)の経営する新宿red clothで働いている人がいたんです。僕、中学生とか思春期の頃に毛皮のマリーズが好きだったので、その人と話すうちに仲よくなって。
──マリーズも事務所はスプートニクラボでしたもんね。
で、よく遊んでいるうちに、その人に「バンドやってみたら?」と言われて。それが22歳くらいの頃。それまで何もやってなかったけど、普通の人生から抜け出すというか、「やるんだったらラストチャンスかもな」と思って。それで音楽を始めたのが最初です。
──それまで「バンドをやりたい」という気持ちはあったんですか?
全然ないです。まさか自分がやるなんて思ってもみなかった(笑)。
──でも、思春期にマリーズが好きだったのであれば、バンドに対しては思い入れがあったわけですよね?
いや、バンドが好きだったわけではなくて。音楽オタクではまったくないし。毛皮のマリーズは、まず見た目で好きになりました。あの“ダメな大人”の感じが好きだったんです。お母さんに「こういう大人になっちゃダメよ」と言われそうな感じがカッコよかった。まずは人間的な部分で好きになった感じだと思う。
──ダメな大人に惹かれる少年だったんですね。
はい。あと、毛皮のマリーズの前にRADWIMPSにも出会いました。小学校6年生のときに「狭心症」という曲のミュージックビデオを見つけたのがきっかけで。すごく怖いミュージックビデオで、それがトラウマというか、1人じゃ抱えきれなくて、お母さんに「一緒に観て」とお願いして一緒に観てもらったら「こんなの観るんじゃない」と怒られました。怒られたことをきっかけに、逆にのめり込むようになったんです。で、中学生くらいになると、友達がロックバンドを聴き始めるようになって。みんなONE OK ROCKやUVERworldを聴いているし、自分だけのものだったと思っていたRADWIMPSも、クラスのみんなが知っているし。僕、北海道のめっちゃ田舎の出身で、そんなに音楽に詳しい人が周りにいたわけではないんですけど、とにかく、RADWIMPSよりもアンダーグラウンドな存在を探そうと。それで毛皮のマリーズに出会いました。「周りの人が知らないものを、自分は知っているぞ」という感覚が欲しかったんだと思います。
とにかく自分のことを歌う
──バイト先で出会った人に「バンドやりなよ」と言われて、具体的にどんなふうに活動はスタートしたんですか?
そう言ってくれた新宿red clothの人も、働きながら長いことバンドをやっている人だったんですよ。だからまずは曲を作ってその人に送ってみました。そしたら「じゃあ、レコーディングしよう」と。メンバーもいないし、僕も何もわかっていない状態だったんですけど、いつのまにか勝手にレコーディングの日程を組まれちゃって。最初のレコーディングは、新宿red clothの人がやっているバンドのメンバーに手伝ってもらいました。その人にとっては素人がバンドを始めて試行錯誤する様子が、マンガの「BECK」のような感じで面白かったんだろうなと。同じように面白がってくれたおじさんたちが「俺も手伝うわ」と集まってきたので、最初のレコーディングはギターを弾く人が3人くらいいましたね。僕のギターの音も録ってはいるけど、ほとんど入っていないと思う(笑)。
──最初はそうして周りにお膳立てしてもらっていたところから、自我を持っていくわけですよね。そこにはどのような流れがあったんですか?
まあ運よく、自分がやるべきことを与えてもらった感じですね。それ以外にやることもなかったし……すがる、というか。そもそも自我がなかったから、自我を持ててうれしかった。そういう感じでした。
──最初に作った曲は発表されているんですか?
「シザーハンズ」っていう、最初のEP(2021年3月リリースの「SWEET LILY / SAD FOREVER」)に入っている曲で、めちゃくちゃな曲です。もうずっと、ライブでもやっていないです。
──「シザーハンズ」が生まれたときのことは覚えていますか?
覚えてます。でも、これはちょっと……(笑)。
──言えないですか。
内緒っすね(笑)。いつか話します。
──「シザーハンズ」の時点で、二口さんの世界観はすでに今のアンと私に通じるものがあると思うんですけど、「何を表現しよう」とか「どんなことを歌おう」とか、当時考えられていたことはあるんですか?
どうだろう……バンドを始める前に好きだった人がいたんですけど、その思いは届かなくて。初期の頃は、その人に関してずっと書いていました。最初のEPの4曲は、全部同じ人に同じようなことを言っています。
──曲を作ることは、すなわち個人的な感情を表現することである、という。そういう感覚が当時から二口さんの中にはあったということですよね、きっと。
それ以外のやり方があまりわからないというか……詩的なこととか、普遍的なことがあまり言えないから。最初はやり方もわからなかったし、とにかく自分のことを歌っていました。
根っこの部分は変わらない
──今回リリースされたアルバム「FALL DOWN 2」の中には、二口さんの個人的な視点というだけでなく、「こういう人間が世の中にいる」という俯瞰的な視点で描かれている曲もあるように感じて。活動を重ねていく中で曲の書き方が変わったという感覚は、ご自分の中にはありますか?
変わってはいると思うんですけど……根っこの部分はずっと変わることはないと思います。音楽的な面で言うところの作詞という部分では変化しているとは思います。最初は本当に自分のために音楽をやっていたし、それは今もそうなんですけど、お金を払って観に来てくれるお客さんに対して表現する……ある意味では、商品として届けるとなった場合に、自分としては見せ方が2パターンあると思っていて。「音楽として伝える」ということと、「二口という人間がどう思っているかを見せる」ということ。要は「音楽で売るのか、人で売るのか」ということなんですけど。僕は、「音楽で売る」というやり方を自分にどんどん加えていったことで、変わっていった部分もあります。昔は音楽的な部分はまったくなく、完全に人で売っていたと思うんです。今もベースは変わらないんですけど。そういう昔の感じが好きという人もいると思うけど……僕は、あの頃の音源は聴けないです。初期の曲は聴きたくない。
──ご自分ではそうなんですね。
聴けたもんじゃないと思う。音楽として。もちろん、それが好きな人もいるだろうけど。
──「アンと私」という名前はどのように名付けられたんですか?
まだバンドを始める前、高校を卒業したあとに服飾学校に通っていて、友達と遊びで洋服を作っていたこともあって。その当時、服飾関連のイベントに出るときに使ってた名前なんですよね、アンと私は。自分にとっては服飾も音楽も同じ表現活動だし、続きというか、「そのまま、この名前にしよう」と。あんまり意味はないんです。そもそも僕が付けたわけじゃないので、「アンと私」という言葉の意味もよく知らない(笑)。
──2020年に始まったアンと私が今に至る過程で、「これはターニングポイントだった」と思う瞬間はありますか?
ワンマンやツアーをやらせてもらったときに、「ここがターニングポイントなのかな」と思ったけど、なぜか数日経ったら「そうでもないかも」となっちゃって(笑)。いまだにターニングポイントになるような出来事はないなと思います。そういうのは、この先にあるのかもしれない。
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