ASIAN KUNG-FU GENERATION「MAKUAKE / Little Lennon」特集|歩んできた道のりを噛み締め、新たな“MAKUAKE”へ (2/3)

齟齬が生まれていくところにバンドの魅力がある

──「MAKUAKE」のサウンドは、さまざまなゲストを招いて音楽性を拡張したり、4ピースバンドとしての凝縮した姿を見せたり、あるいは、後藤さんがソロで実験的な試みをされていたり……そんなここ数年間のアジカンの音楽的な歩みを総括するようなものだと感じました。しかも、それを重々しい形ではなく、軽やかに成し遂げているところに感動します。タイアップではなく、まっさらなところから新曲を作ろうとしたとき、音楽的にどんなものがご自分たちの中から芽生えてくる感覚がありましたか?

後藤 最近はメンバーと細かい相談や、最終的な仕上がりのことを話さずに、それぞれの持ち場でやってもらっている感じがあって。デモの段階である程度イメージは伝わる感じだから。

山田 ゴッチのイメージって、長年やっていると感覚的にわかることもあって。それを具現化できるかどうかは別として(笑)、最近は「こういうことなのかな?」と想像しながら向き合っていくのが楽しかったりするんですよね。

喜多 最初、ゴッチが「この曲はカントリーから着想を得た」という話をしていて。なので、自分なりに「カントリーのギターってどんな感じなんだろう?」と勉強してみたりしたんですけど、最終的には自分らしいアレンジになりましたね。ここ何年かはそういう感じが多いんですよ。そのときの音楽のトレンドも参照しながら、自分なりのものを出している感じです。

喜多建介(G, Vo)

喜多建介(G, Vo)

──後藤さんはなぜカントリーに着想を得たんですか?

後藤 ビヨンセのアルバム(「COWBOY CARTER」)を聞いて「ヤバいな」と思って。最初の衝動というか、いいエナジーをあのアルバムからもらったんです。特に「TEXAS HOLD EM」はめちゃくちゃストーリーを感じる楽曲なんですよね。アメリカ音楽史にもつながるし、アワード(グラミー賞)の歴史でもあるし、ビヨンセというアーティストの反抗でもある。ポップミュージックとして、あのアルバムがどれだけの人をエンパワーメントするのか?と考えると心が震えて。あの作品に連なるものにできたらいいな、と最初はイメージしてたんですけど、想定通りにはならず、自分たちらしい形に変わっていった。最初にイメージしていたものからどんどん齟齬が生まれていくところにバンドの魅力があるんですよね。山ちゃんも、最初は「こういう曲やったことないから、どうしよう?」と言っていて。でも潔がノリやグルーヴの面から意見をくれたり。あと、クワイアを入れたくて、Achicoさんにアレンジを相談したりしましたね。

──曲の後半からクワイアが入ってきますよね。

後藤 ハーモニーを3度と5度できっちり積むと、めちゃくちゃ日本っぽくなる。海外のクワイアを聴くと、みんな勝手に好きなメロディを歌っていて、それが絶妙な集合感を生んでいるんですよね。前半3度で、語尾だけ5度にいく人もいたりして。でも、そういう違いを受け入れていくことがいいんじゃないかなって。それが多様性みたいなことにつながる。今回はそういうコーラスになるよう意識しました。最近アレンジの相談をするときは、音楽だけの話をしているわけでもなくて。例えば横須賀や横浜に僕らの面白い友達はいっぱいいるけど、彼らだけを集めて歌って野郎感を出しても、この時代にはそぐわないよね、みたいな。それでAchicoさんやシモリョー(下村亮介)に相談して、コーラスができる女性を紹介してもらって。人数を集めるだけじゃなくて、その人数の中でもバランスを考えて録音しました。人が集まって歌を歌うことで自分たちが何を表現しようとしているのかをすごく考えたし、だからこそ、誰に声をかけるのかも周りに相談したし、最近はこういう話ばかりメンバーとしている気がしますね。

ASIAN KUNG-FU GENERATION

ASIAN KUNG-FU GENERATION

レコーディングは“流れ”を録ること

──音楽を作る中で考えることが、「こういうふうに生きていたい」とか、「こんな社会がいいよね」ということにつながっていく感じなんですね。

後藤 あと、リファレンスに関して言うとビヨンセ以外にサザンオールスターズも出てましたね。桑田(佳祐)さんが作るメロディの感じとか。

喜多 出てたね。

──桑田さんのメロディから見出したものって、なんだったのでしょうか?

後藤 僕が個人的にサザンを熱心に聴いていたのって、アルバムで言うと「KAMAKURA」(1985年9月発表)あたりの頃で。当時自分はまだ小学生とかだから「お前のどこが熱心なリスナーなんだよ?」って感じだけど(笑)。でも、そのあとの「稲村ジェーン」(1990年9月発表)とか「世に万葉の花が咲くなり」(1992年9月発表)あたりのサザンの感じもすごく好きで。アジカンは、意外とサザンのこと気にしてるんですよね、「サーフ ブンガク カマクラ」とか。

伊地知 ははは。

喜多 無意識に?(笑)

後藤 そう。サザンは偉大だよね。僕は桑田さんの作る音楽がすごく好きで。洋楽を咀嚼して“節”にまで持っていくことをやった人だから。

伊地知 それにアジカンって、誰かの名曲をコピーしようとしたとしても、コピーにならないバンドだから(笑)。リファレンスがあったとしても、それぞれがそれぞれのタッチで解釈して曲に入れていくので、「モロに影響受けました」という形にはならない。だから逆に自由にやったほうが面白いものができると思ったし、「MAKUAKE」は完成したものを聴いても、僕はけっこうラフな感じがするんですよ。ラフに始まって、最後はみんなで歌って、ひとつのまとまりになる。ちょっといびつな感じなんですよね。この「ちょっといびつな感じ」のよさが昔はわからなかったけど、今は「これがアジカンのよさだな」と思えるようになってきました。

伊地知潔(Dr)

伊地知潔(Dr)

──「MAKUAKE」に「いいラフさ」があるというのは、とても納得します。

後藤 今はセッションで作ってる感があるんですよね。それがとてもよくて。一時期みんなが家で作り込みすぎちゃって、音楽が生き生きとしないことに悩んだことがあって。よれちゃったりするところに音楽のエネルギーはあるのに、アジカンはレコーディングに関しては真面目で几帳面だから、みんなが“正解”に向かって走っちゃう。でも、「MAKUAKE」は誰も最終着地点がわからないまま、「とりあえず、楽しく演奏しよう」という感じでやれましたね。設計図を引きすぎちゃうとコンプリートを目指して窮屈になっちゃうけど、「MAKUAKE」は、みんなが素敵に楽しく演奏することが主眼にあった感じがする。それでいいんだと僕は思っていて。レコーディングって、いい空気を捕まえることが大事だから。ブロックを組み立てるようなことじゃない、“流れ”を録ることがレコーディングだから。複数人でやってるとグルーヴしてくるんですよ。音符は関係性だから、自分がズレたかどうかなんて実はたいした問題じゃない。自分がズレれば、みんなもズレていくし、そこにダイナミズムや音楽の魅力が出る。それこそがバンドのグルーヴになってるんですよね。最近はそういうことをより味わえるようになってきたと思います。

──なるほど。

後藤 レコーディングって面白いですよ。ときどき「いったいこれは何を収録しているのか?」とか哲学的になっちゃうけど(笑)。音楽を録っているのか、音楽をやっている人たちのエネルギーを含む“何か”を録っているのか、そこには実は時代の空気も含まれているのかもしれない、とかね。