ナタリー PowerPush - 矢沢永吉

自由でいいかげんな40周年アルバム「Last Song」に込めた想い

「Last Song」と言い切ることに後悔はない

──今回アルバムタイトルが「Last Song」ということで、心配しているファンも少なくないと思うんですが、これはどういう意図で?

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ちょっと意味深かもしれないけど(笑)、今はどんどんアルバム作ればいいっていう時代でもないし、1個1個を大事にしたいっていうのは素直に思うから。僕なんて、アレンジからプロデュースから全部やるじゃない。言われたとおりに歌って、言われたことだけやって「歌手です」っていうんじゃないですからね。そうするとやっぱり非常に疲れるわけです(笑)。だからもう今回の「Last Song」ができたときには、俺もうレコーディングしたくないなっていうのは思いましたよ。

──やりきった感があった。

ちょうど武道館のファイナルの日も毎年同じようなこと思ってるけどね。終わるたびにもうステージには立ちたくないって思ってます。でも2~3カ月経ったらまたウズウズしてる自分がいるんです。だからアルバムもね、多分、間違いなくまた作るよ(笑)。

──あはは(笑)。それは良かったです。

間違いなくまた作ると思うけど、じゃあタイトルを「Last Song」ってなんで付けたの?って思うでしょ。それは「Last Song」って言い切っても後悔しないくらいのアルバムだっていうことなんですよ。だから今回のこのタイトルはある意味余裕で付けてますよね。それでこのアルバム、多分……ファンは相当喜ぶんじゃないですか。

──そう思います。古くから矢沢さんを追いかけてきたファンだけじゃなく、若いロックファンもこれを聴いたら驚くと思いますし。

この間「これは今の若いロックバンドには作れないだろうな」って言われたんです。教えますよ、作り方(笑)。

──(笑)。でもこのアルバムからにじみ出る余裕は、やっぱり矢沢さんが年齢を重ねたからというのもあるんでしょうか?

それは絶対あると思います。まあ余裕と言ったらおこがましいけど、歳をとって「もういいんじゃない? 別に」っていう気持ちは出てきたかもしれない。だって62歳ですよ、僕。それで現役でロックやれてて、6万5千人が切符買ってくれる。これがサンキューじゃなくて何がサンキューなの?って(笑)。若いときはわからなかったですよ。若いときっていうのは人はみんな馬鹿だから(笑)。馬鹿で生意気だから。6万5千って言ったら「少ねえよ。20万は欲しいな」とか、言ってたもんですよ。「なんだよ、明けても暮れてもライブライブって馬鹿のひとつ覚えみたいに」って思う頃もあったしね。だけど、今はひとつひとつライブやるたびに、やれて良かったなあって思いますね。昔とは違う。やっぱりね、こうやって追いかけるものが今でもまだあるってことは最高だなって。それはやっぱり思いますね。

女に食わせてもらうようなロックは駄目だ

──先程「若い頃は生意気だった」とおっしゃいましたが、当時の矢沢さんはやはりハングリー精神の塊だったわけですよね。

今思うと、やっぱり、怒りが背中合わせにいつもあったような記憶がありますね。なんで怒ってるのかはわからない。性格が怒りっぽいから怒ってるのか、まだ確立されてない自分の立場に対して叫んでるのか。もっと上に行きたいのに思いどおりにいかなくて叫んでるのか。ただ当時から僕が言ってたのは、やっぱり女に食わせてもらうようなロックは駄目だと。メルセデスくらい転がさなきゃ駄目だと。

──まさに「成りあがり」の世界ですね。

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もちろん現実はそんな甘くないですよ。音楽で当てていいクルマ乗り回せるのはほんの一部であって。今もライブハウスがどんどんできて、どんどんバンドが出てきて。夏フェスにも出てるのに10万か15万しか給料もらってなくて。食えないからみんなバイトしながらがんばってるのが現状でしょ? もう9割がそうなんじゃないの? 音楽で「今ベンツ転がしてます」っていうのは1%もいないんじゃない? それは昔からそうだったし、だから「その1%の中に俺は入るぞ!」ってことで叫んでたんだと思う。だからえらい生意気だったし、えらい怒ってた。いつもぷりぷりぷりぷり怒ってた。で、その怒りをエネルギーに変えてた部分もありますよね。

──でも矢沢さんは食えない下積み時代というのはほとんどなかったんじゃないですか?

最初キャロルが2年半で終わって、それから1~2年後には「あ、俺結構食えるようになってるわ」って思ってた。だから僕はすぐに成功したほうだよね。デビューして4年くらいでもう長者番付に出始めたもんね。

──それなのにどうしてそんなに怒ってたんでしょう?

知らない。

──あははは(笑)。

わからないんですよ。ただやたら頭に来てたね。いつも怒ってた。それでいつだったか……怒らなくなった自分にハッと気付いたときに「あ、これはまずいんじゃないか」と思ったことはありましたよ。

──自分の中にハングリー精神がなくなったんじゃないかと?

でもすぐに答えは出た。怒り方の形が変わったんだよね。やっぱり、自分の気持ちだけを叩きつけて怒ってたのが、相手も大変なんだろうなってことがわかるようになってきた。大人になったんですよ。

マイク蹴飛ばして子供3人大学に行かせた

──確かに今の矢沢さんを理想の大人だと感じているファンは多いと思います。

歌を歌ってマイク蹴飛ばして、子供3人とも大学行かせたわけだから(笑)。なんかね、いつのまにか「ちゃんと仕事になったな」って思うわけですよ。昔だったらバンドマンは適当に女に食わしてもらえばいいって思われてたけど、そんなのは違うんですよ。

──バンドマンだからといって甘えてはいられない。

そうなんですよ。僕も最初はTHE BEATLESが好きで、ロックが好きで、女にキャーキャー言われたくてこの道に入ったかもしれない。でもプロになったら楽しいことばかりじゃなくて結構渋いところも直面して。それで気付いたら、ほかの職業にも就けるわけじゃないし、でも子供くらいはちゃんと学校行かせたいって僕は思ったんです。あまりにも僕の先輩たち、だらしなかったから。

──矢沢さんが道を切り開いてきたわけですよね。

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僕が道切り開いたかどうかはわからないけど、広島からロックやるって言って夜汽車に乗って東京出てきて、最初はザ・芸能界みたいなとこに放り込まれて「なんだよこれ! THE BEATLESの本に書いてあるのとえらい違うじゃないか。これじゃお前、ただの水商売じゃないかよ。こんなんじゃないんだよ!」ってことを言ってきたわけ。

──現実は厳しかったと。

そんな中「俺はロックで億を稼ぐんだ」って言ったら銭の亡者だ守銭奴だとか言われてさ、ふざけんなっつうんだよ。男が夜汽車に乗って一生を賭けるわけだから、やっぱりでかい夢を見たいわけですよ。そういう意味じゃ今のレコード業界、ミュージックビジネスは寂しくなりましたね。もちろんゼロじゃないけど。何か寂しくなったね。

──景気のいい話はあまり聞かないですよね。

良くないですねえ。何かいい話ない?(笑)

ニューアルバム「Last Song」/ 2012年8月1日発売 / GARURU RECORDS

CD収録曲
  1. IT'S UP TO YOU! [作詞:馬渕大成 / 作曲:矢沢永吉]
  2. 翼を広げて [作詞:馬渕大成 / 作曲:矢沢永吉]
  3. 夢がひとつ [作詞:Ginger / 作曲:矢沢永吉]
  4. BUDDY [作詞:馬渕大成 / 作曲:矢沢永吉]
  5. パニック [作詞:加藤ひさし / 作曲:矢沢永吉]
  6. 「あ.な.た...。」 [作詞:Ginger / 作曲:矢沢永吉]
  7. JAMMIN' ALL NIGHT [作詞:小鹿涼 / 作曲:矢沢永吉]
  8. Mr.ビビルラッシー [作詞:加藤ひさし / 作曲:矢沢永吉]
  9. 吠えろこの街に [作詞:馬渕大成 / 作曲:矢沢永吉]
  10. サンキュー My Lady [作詞:馬渕大成 / 作曲:矢沢永吉]
  11. LAST SONG [作詞:山川啓介 / 作曲:矢沢永吉]
EIKICHI YAZAWA 40th
ANNIVERSARY LIVE「BLUE SKY」

2012年9月1日(土)
神奈川県 日産スタジアム
OPEN 14:00 / START 15:30

<出演者>
マキシマム ザ ホルモン / The Birthday / ギターウルフ / 怒髪天 / ザ・クロマニヨンズ / 矢沢永吉

矢沢永吉(やざわえいきち)

プロフィール画像

1949年広島県出身。中学時代にTHE BEATLESを聴いてロックに目覚め、高校卒業後に単身で上京。1972年に伝説のバンド、キャロルを結成する。1975年にソロに転向し日本人アーティストとして初の日本武道館公演を成功させるなど、ロックシンガーとして不動の地位を確立する。自伝「成りあがり」はバイブル的な人気を誇り、日本を代表するロックアーティストとして崇拝するファンは多数。近年はロックフェスティバルなどにも積極的に出演し、若い世代のファンからも熱い視線を集めている。2008年には初めて長期間にわたりライブ活動を休止し世間を驚かせたが、2009年8月に原点回帰とも言えるアルバム「ROCK'N'ROLL」をリリース。さらに同年9月に東京ドームライブを大成功に収め、健在ぶりを証明した。2012年8月にデビュー40周年記念アルバム「Last Song」を発表。


2012年8月3日更新