音楽ナタリー PowerPush - WANIMA

気鋭メロディックパンクバンドが名門レーベルで新たなシーンを築く

熊本出身のスリーピースバンド、WANIMAが1stミニアルバム「Can Not Behaved!!」をPIZZA OF DEATH RECORDSからリリースした。バンドにとって初の全国流通盤となる今作には、メロディックパンクを軸にしつつもスカやレゲエなどの要素を取り入れた、ライブ感の強い楽曲が満載。ストレートな言葉でつづられた歌詞、一度聴いたら耳から離れないキャッチーなメロディには、ロックファンのみならず幅広い層にアピールするだけの魅力が備わっている。

ナタリー初登場となる今回は、メンバー3人に音楽的ルーツやWANIMA結成、音楽で伝えたいことなどをたっぷり聞いた。

取材・文 / 西廣智一 撮影 / 上山陽介

最初は「テンポが速いなあ!」

──皆さん出身は熊本県なんですね。

WANIMA

3人 そうです。

藤原弘樹(Dr, Cho) もともとこの2人(松本、西田)が前身バンドを一緒にやっていて、自分は東京で知り合ってあとから入ったんです。

松本健太(Vo, B) 藤くんは熊本市内の人で、俺と光真は天草っていうすごい田舎出身。保育園から一緒で23年の付き合いなんですよ。

──あ、そうなんですね。ちなみに皆さんが音楽に興味を持つきっかけとなったアーティストは?

藤原 小学2年生の頃、兄貴の影響でXから入って。ドラムがすげえカッコよくて、当時からドラムやりたいと思ってたんですよね。そこからハイスタをはじめとするメロディックパンクに興味を持って、今に至るという。

松本 光真はハイスタを聴いとったよね。

西田光真(G, Cho) そうですね。でもギターを始めるきっかけは、音楽をまったく聴いとらん状態からいきなり観た先輩のバンドで。

──じゃあそれまでは音楽に興味がなかった?

西田 全然聴いてなかったです。

──では松本さんは?

松本 ヒップホップとかレゲエとかが好きで、パンクは全然聴いてなかったんです。だから光真がハイスタに興味を持って、それを自分も聴きよった感じですかね。そのあとに青春パンクが流行り始めて、それこそモンパチとか175Rとかゴイステとか聴き始めたんですけど。最初は「テンポが速いなあ!」と思って(笑)。

藤原 あっはははは(笑)。

──ヒップホップやレゲエと比べたら、そりゃ速いですよね。バンドにはもともと興味はあった?

松本 最初はあんまりなかったけど、先輩たちが文化祭に出てるのを観て、カッコよかと思って。で、自分らも文化祭とか夏祭りとかに出てハイスタやモンパチをコピーして。今思うとモテたかったんですかね?

西田 (笑)。

松本 すごい田舎の小さな町やったんで、ちょっと何かやるだけで目立ったもんね。

──オリジナル曲をやるようになったのはいつ頃?

西田 高校に入ったくらい?

松本 そうだったかな。あの頃はオリジナルをやれば勝ちみたいな感じもあったから。

西田 でもやってたことはメロディックパンクで、今とあんまり変わらんかったですね。

東京で藤くんと出会ったのは運命かも

──そこからバンドで食っていこうと考えるようになったのは?

松本 いつやったかなあ……高校に入ってから、熊本市内でやってたバンドコンテストで熊本地区予選とか九州予選とかで優勝したんですよ。それで「いけるんじゃない?」と思ったのかな(笑)。で、高校卒業したら音楽の道に行きたかったんですけど、ほかのメンバーは音楽以外の道に進んで。光真も自衛隊に入らないかんとかで、「もういい!」とか言って俺1人で東京に出てきたんです。で、2年経ってから光真も熊本から追いかけてきてくれて。

──えっ、西田さんは自衛隊にいたんですか。

西田 はい(笑)。それも卒業ギリギリぐらいに決めたんです。

──でもなぜその2年後に辞めて、東京に出ていっちゃったんですか?

西田 それは、やっぱり音楽をしたいと思ってですね。高校までずっと音楽に夢中でバンドをやっとって、やっぱあの感じに戻りたいなと思って。結局一番楽しかったのはあのときやなと思ったんです。

松本 もう敬礼はイヤだと?

西田 敬礼もよかけど。

──すごいですね。藤原さんは?

藤原 18歳で東京に出てきました。美容師になりたいとかいろいろ夢はあったんですけど、やっぱり音楽の道を捨てきれず。実は俺、小学校6年生の卒業文集で、将来の夢を「ドラマーになりたい」って書いてたんですよ。

松本健太(Vo, B)

松本 ウソやろ?

藤原 ホントホント! たぶんYOSHIKIが好きだったんでしょうね。

松本 YOSHIKIと体格、全然違うやん。どっちかって言うと、くまモン寄りやけど(笑)。

藤原 (笑)。それでいろんなバンドをやって、最終的に2人に出会ったという感じです。

──藤原さんが加入する前は、WANIMAは松本さんと西田さんの2人で活動していたんですよね?

松本 最初はドラマーがいたんですけど、なかなかいい人が見つからなくて苦労しました。やっぱり俺と光真は保育園から一緒なんで、それに入っていくとなると藤くんぐらい包容力がある人じゃないとね(笑)。

──確かにその関係の中に割って入っていくのは大変ですよね。

藤原 大変ですよ!(笑)

松本 だって俺が話してることを、この人(西田)は基本無視しますからね。

──その空気は今日の取材で、ちょっと話しただけでもなんとなく伝わりました(笑)。

西田 (笑)。

松本 でも東京で熊本出身の藤くんと出会ったのは、運命かもしれん。実際に藤くんが入ってから、いろんな物事がパパパパパって進んでいったもんね。

藤原の「WA」、西田の「NI」、松本の「MA」

──ちなみにWANIMAというバンド名の由来は?

藤原弘樹(Dr, Cho)

藤原 3人の名字の頭文字から取っていて。藤原の「WA」、西田の「NI」、松本の「MA」です。

──えっ、藤原さんは「FU」じゃないですか?

松本 実は結成当初のドラマーの頭文字が「WA」だったんです。だから藤くんが入ったときに頭文字が「FU」だから「FUNIMA」に変えようかという話も上がって。

藤原 でもそれはないだろうってことで、藤原の「WA」から無理やり取って「WANIMA」のままで行くことにしました。

松本 ライブの打ち上げではよく、「WANIMAっていうのは、ギリシア語で『○○』って意味なんだよ」って言うとみんな「へーっ、そうなんだ!」って信じるんですけど。

──あははは(笑)。でも3人の名前の一部から取ってるってことは、バンド名にしっかり3人の絆が込められているわけですよね。となると、もしメンバーチェンジすることになったら……。

松本 おおごとですよね。改名するか、名字の頭文字が「WA」の奴を見つけるかですよ(笑)。

WANIMA(ワニマ)

WANIMA

熊本出身の松本健太(Vo, B)、西田光真(G, Cho)を中心に2010年初夏に結成されたメロディックパンクバンド。2012年12月に同じく熊本出身の藤原弘樹(Dr, Cho)が加入し、現在の編成となる。Ken YokoyamaやHOTSQUALL、FOUR GET ME A NOTSなどさまざまなバンドのツアーに参加し、各地で知名度を高める。これまでに制作したデモ作品3枚は、現在までに手売りで4000枚を突破。2014年にPIZZA OF DEATHが、レーベルとして初めてマネジメント契約をしたことを発表。同年10月、同レーベルより1stミニアルバム「Can Not Behaved!!」をリリースした。