ナタリー PowerPush - 鬼束ちひろ
タトゥーから暴力事件まで── 本人が語る知られざるエピソード
特別寄稿「papyrus」編集長が綴る“鬼束ちひろ”
「鬼束ちひろって大丈夫なの?」
そういう声がさまざまな場所から聞こえてきた。
昨年9月、彼女が暴行事件の被害者となったというニュースがスポーツ紙やワイドショーを賑わせた。ここ数年、テレビや雑誌への露出がなかったことと、デビュー当時からのミステリアスなパブリックイメージを思えば、そう言われることも仕方ないのかもしれない。
昨年の春から、彼女のこれまでの30年間を振り返るような本を作ろうと定期的にミーティングを重ねていた私は、「大丈夫なの?」という問いが自分に向けられたときにはこう言ってきた。
「大丈夫ですよ。元気にしています」
もちろん生きているからには、完璧ではないこともある。しかしながら、鬼束ちひろは大丈夫なのだ。1冊の本へ向かう途中経過を収録した雑誌「papyrus」の特集を読んでもらえれば、それがよくわかると思う。
「床一面が血の海になっていた。これってやっぱり、私の血なんだよね?」冷たい床に顔面を叩き付けられながら彼女はそう思う。しかし彼女にとってこの事件を通してもっとも悔しいことは、コレクションしていた人形を「無惨にも便器にぶち込まれていた」ことだった。そしてもうこの事件そのものは「ちょっとしたギャグみたい」な記憶になっているのだ。
「ツアーのステージで幕が開いた瞬間、お客さんの顔がすべて悪魔に見えてしまう」というパニック障害。それとほぼ同時に不眠症になった彼女は、以来10年近くも眠れない夜と闘っている。あまりに眠れない日が続き、路上で気を失って救急車で病院に運ばれたこともあったが、最近では「眠れない夜の過ごし方にもだんだん慣れてきた」。「不眠症になって間もない頃は、とてもじゃないけど曲を書く心境になんてなれなかったけど、今は書けるかどうかは別として、とにかく書いてみようとする。書けそうなときは、超ラッキー!」
鬼束ちひろは、肝が据わっていて、サービス精神に富んだ、愉快な人なのだ。
私が彼女に会う度に驚くのは、奇抜といっても過言ではないくらい派手なファッションだ。ラメ入りのニットに、ヘビ柄のスパッツ。真っ青なライダースジャケットにシャネルのバッグ。買い物とファッションが大好きな彼女は、最近では撮影時のスタイリングやヘアメイクも自ら行っている。デビュー当時は「ベールに包まれた存在」として売り出された彼女だが、30歳になった今、自分の趣味や人間性をまっすぐに表現していくことになんの躊躇もない。
「ファッションが普通ではなくなっていくにつれて、私の中から生まれる音楽のバリエーションも増えてきた。音楽もファッションもようやく自分らしさっていうのが出せるようになってきたんじゃないかな」
彼女は現在、4月に発売されるアルバムのレコーディング中だ。どんな楽曲が収められるのかはまだまったくわからないが、本人は相当の手応えとともに作業を進めていると聞いている。レコード会社から届いたプレス資料には「まさに原点回帰」という文字が躍っていた。
さまざまな出来事を経ての「原点回帰」に期待せざるを得ない。
日野淳(「papyrus」編集長)
[巻頭特集] 鬼束ちひろ 私のすべては私のもの
暴力事件の被害者となった顛末から、左腕に入れたタトゥー、10年以上苦しめられている不眠症のことなど、すべてをありのままに語ったロングインタビューを独占掲載。その存在すべてで歌に向かっている鬼束ちひろの実像がここに。セルフプロデュースによる撮り下ろしグラビアも収録した大特集。全25P。
[初回プレス分]鬼束ちひろ本人からのメッセージカード特典付き
愛する家族、全存在をかけた歌、不眠症との闘い、そして通り過ぎた恋……。「鬼束ちひろ」として重ねてきた30年の記憶を今、1冊に閉じ込める。
鬼束ちひろ(おにつかちひろ)
1980年生まれ、宮崎県出身の女性シンガーソングライター。2000年2月にシングル「シャイン」でデビューし、続く2ndシングル「月光」がテレビドラマ「TRICK」の主題歌に起用され大ヒットを記録。翌2001年リリースの1stアルバム「インソムニア」がミリオンセラーとなり、一躍トップアーティストの仲間入りを果たす。以後順調にリリースを重ね、2004年にレーベルを移籍。同年10月にシングル「育つ雑草」をリリースするも、体調不良を理由にその後の活動がすべて白紙に。約2年半にわたる活動休止期間を経て、2007年に小林武史プロデュースのシングル「everyhome」とアルバム「LAS VEGAS」で復活。その後は不定期に活動を続け、2011年4月に6枚目のアルバム「剣と楓」をリリース。