ナタリー PowerPush - DE DE MOUSE
ようやく自分に辿り着いた4thアルバム
2006年のデビューシングル「baby's star jam」から6年。DE DE MOUSEこと遠藤大介は、エレクトロニックミュージックやフュージョン、久石譲をはじめとする映画音楽などを吸収しながら、エキゾチックなボイスサンプルに個性を打ち出し、夜空の星のように瞬くインストゥルメンタルトラックとして昇華してきた。そしてメジャーレーベルから独立し自身のレーベルnot recordsを設立した彼が、2年半ぶりとなる4thアルバム「sky was dark」を完成させた。
今回のインタビューでは2006年から現在に至る活動を振り返りつつ、最新アルバムについて語ってもらった。
取材・文 / 小野田雄 撮影 / 雨宮透貴
みんなが求めているのはメロディアスな側面
──2006年にリリースしたシングル「baby's star jam」での衝撃的なデビューから早いもので6年も経ったんですね。
ははは(笑)。ちょっと中堅アーティストみたいな感じになってきました? 恐らくは、気付いたら10年もあっという間なんでしょうね。自分の中ではいつまでも新参者の気分が抜けなくて、どこ行っても「すいません」って言ってたりするんですけど(笑)。でも、ここで改めて振り返ってみると、そもそも「baby's star jam」というのは、CDをプレスするお金もなく、プリンターも持ってない状況下で人に配ったり、物販で売ったりするためだけに作ったCD-Rだったんですね。それを手に入れたやけのはらくんが静岡の(レコードショップ)PERCEPTO MUSIC LABの森川(篤史 / younGSounds)さんに教えて。で、森川さんから「CDを取り扱いたいです」って連絡が来たんです。そうしたら今度は京都のTSUTAYA西院店からも連絡が来た。「TSUTAYAって、あのTSUTAYAですよね? 手焼きのCD-Rなんですけど、大丈夫ですか?」って答えたりとか(笑)。そうやって何がなんだかよくわからないまま、じわじわ盛り上がっていったのがDE DE MOUSEの始まりだったんです。
──ちなみに「baby's star jam」以前のDE DE MOUSEはどんな音楽を指向していたんでしょうか?
元々は踊れる音楽は全く頭になかったし、そこまでメロディアスでもなかったんです。でもたまたま作ったメロディアスな曲の反応がライブでは良かったんですよ。それで「みんなが求めているのは自分のメロディアスな側面なのかもしれないな」と思うようになって。「それじゃあメロディアスなものにさらにリズムを足せばノリやすくなるんじゃないかな」くらいの気持ちで、後に「tide of stars」っていうアルバムに収録されることになる曲たちを作るようになっていったんです。だから当時、自分としては確信があって作っていたわけじゃなかったし、その音楽が受け入れられていくことが他人事みたいな感じでしたね。
──「baby's star jam」がリリースされた年の10月に伝説の音楽フェスティバル「RAW LIFE」に出演したことで、注目度は一気に高まりましたよね。
あのときはテンションがおかしなことになったお客さんがなぜか多くて、ライブが始まった途端にダイブとかモッシュが起きたんですね。その様子を観たExT Recordings主宰の永田一直さんが僕のアルバムを出そうと決めたみたいで。その翌年に1stアルバムの「tide of stars」がリリースされたんです。
──「tide of stars」には、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を発展させて、“ジョバンニがカムパネルラを連れ戻しに行く世界に生きる少年の物語”っていうユニークな設定が設けられていましたよね。
そうですね。あるとき子供の頃に観たアニメ映画「銀河鉄道の夜」のマンガを古本屋で買って読んでみたら、宮沢賢治の原作に忠実な内容で。元々アルバムのベースはアニメ「銀河鉄道999」からとったんですけど、「銀河鉄道の夜」はそのときの自分の気持ちにぴったりとハマったんです。それがきっかけになって、アルバムのイメージソースも「銀河鉄道999」から「銀河鉄道の夜」に変化していったんです。アルバムに収録されている「555 is in your heart」って曲名も、「銀河鉄道999」の名残だったり。
メジャーで活動する意味がなくなってレーベルを立ち上げた
──そしてDE DE MOUSEといえば、チベット音楽のボーカルサンプルをずたずたにエディットして、エキゾチックなメロディの断片として用いる手法がよく知られています。その手法は1stアルバムから現在まで一貫して用いられていますが、あれはどのように生まれたものなんですか?
声を細切れにしてリズミックに使う手法はヒップホップが起源で、PREFUSE 73の登場で流行りましたよね。でも「自分でやるのなら、声じゃなく歌メロを解体して使おう」って思ったとき、手元にたまたまあったのがチベットの民族音楽のCDだったんです。最初に作ったのは2000年くらいなのかな。そのときに作った曲がシングル「east end girl ep」収録の「rats walks my forehead slowly」なんですよ。ただ作った当時は良い曲だと思えなかったので、ボツにするはずだったんです。
──そうなんだ。
でも、ライブでやったら「あれ、いい曲だね」って言われることが多くて。そこで、あの曲を発展させてみようと思って作ったのが「baby's star jam」のひな形になる曲なんです。ただ、そのやり方にしても当時の自分としては「これでいいのかな?」っていう葛藤がずっとありました。
──ということは、当時のDE DE MOUSEは自分の意図しないところで評価されたり、音楽が広がっていった、と。
昔はマニアックな音楽を突き詰めていけば、音楽で食べていけるようになると信じていたんです。でも、当然それには挫折して音楽制作をリタイアしようと思ってて。ただ、やめる前に自分では半信半疑でも、人に聴いてもらって、反応が良かった部分をブラッシュアップして音楽を作ってみようと思ったことが結果として今につながっていったんです。やっぱり、ずっと外に出ないで自分の考え方に閉じこもっていたら、何も変わらないし、今となっては良かったと思っているんですけどね。
──外に出ていったDE DE MOUSEは2007年に2ndアルバム「sunset girls」でメジャーデビューを果たしました。
実は作家として活動するために、僕はメジャーへ行ったんですよ。でも、そう考えたのは自分の怠慢が原因だったんですね。というのも、一音一音を選びながらのボイスサンプルを用いた制作はものすごい労力や時間がかかるので、肉体的にも精神的にも相当にヘビーな作業なんです。だから、そういう制作の大変さから逃れたかった。今考えるとその発想は子供じみた稚拙なものだったなと思うんですけど(笑)、当時「sunset girls」にしても、自分にとってボイスサンプルを用いる最後の作品のつもりで作ったんです。今後、他のことをやりたかったし。ただその後、思ったほど制作に予算をかけられなかったり、自分の思いどおりにいかない現実もあって、ライブ活動を精力的にやるようになっていったんです。
──イギリスやフランス公演、あるいは夏フェスだったり、ジャンル問わず、ライブの場は広がっていきましたよね。
バンド編成でのライブは以前から考えていたアイデアだったので、それができるようになったのはメジャーレーベルという環境のおかげですよね。そしていろんな場でライブをやることでDE DE MOUSEの見られ方も変わっていった。それ以前はアンダーグラウンドな現場でマイクを使ってクラブのお客さんをアジテートしていたのに、メジャーに行ったことで、前だったら盛り上がったことが、逆に引かれてしまう要因になってしまったんです。つまり、ポップミュージックに対するカウンターを提示する側から提示される側になったんですね。でも僕はそのことになかなか気付かなくて、そこで百戦錬磨の経験を持ったレコード会社のディレクターの助言でライブを立て直していったんです。
──その後、ロックの縦ノリをうまく吸収したことで、DE DE MOUSEとして盛り上がるライブの形ができましたもんね。そして、その流れを受けたのが、2010年にリリースした3rdアルバム「A journey to freedom」です。
結局、今までやってきたことを突き詰めてやっていくしかないと思ったんですよ。そして、使うのをやめようと思っていたボイスサンプルも、ある人から「あのボイスサンプルはスゴいよね。だって聴いたら、すぐにDE DE MOUSEってわかるじゃん」って言われたことで、「わざわざ自分の武器を捨てることないんだな」って思えるようになって。それで楽をしようとする気持ちも捨てたんです。
──その気持ちが逆に「A journey to freedom」のアップリフティングなムードにつながっていったと。
そうですね。今聴くと、あのアルバムは躁状態の作品だなって思うし、そこには当時の時代の空気感も反映されていたように思うんですね。どういうことかというと、初音ミクとか同人音楽みたいなものも、今ほど細分化してなくて、ファッションブランドのGalaxxxyやネットレーベルのMaltine Records、音楽イベント「DENPA!!!」を含めて、当時のシーンはいろんなものが混在していたと思うんですね。そういう時代の熱やムードがあの作品には何らかの形で含まれているような気がするし、躁状態のアルバムを作れたことが自分の自信にもつながって。音楽制作にしてもライブにしても、自分でもっと考えてやっていきたいって気持ちが強くなっていったんです。
──そういう思いがメジャーから独立して、自主レーベルnot recordsを設立しようという思いにつながっていった。
そう。自分で考えてたことをやっていこうと思ったとき、メジャーで活動していく意味がなくなっていったんですね。そこでまずは「not」ってイベントを立ち上げたんです。メジャー時代に打ち出したロック的な要素をフラットに戻して、「自分はそれだけじゃない。こんなこともあんなこともできるんだよ」ってことをやろうと思って。そういう思いがのちにレーベル名にもなる「not」には込められているんです。
- ニューアルバム「sky was dark」 / 2012年10月17日発売 / 2100円 / not records / NOT-0001
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CD収録曲
- floats & falls
- bubble marble girl
- flicks tonight
- fading tonight
- sky as dark
- sky was dark
- laugh, sing, clap
- star appears
- my alone again
- dusk of love
- frosty window
DE DE MOUSE(ででまうす)
遠藤大介によるソロユニット。緻密に重ね合わせたオリエンタルなメロディとドリーミーで聴きやすいサウンドで、幅広い層からの人気を獲得している。自主制作で発売したCD-R「baby's star jam」が各方面で話題になり、2007年1月にExt Recordingから1stアルバム「tide of stars」を発表。異例の好セールスを記録し、同年7月には早くもリイシュー盤「tide of stars SPECIAL EDITION」がリリースされた。2008年3月にavex traxへのメジャー移籍を発表、5月7日にメジャー第1弾となるアルバム「sunset girls」を発売。その後自主レーベル「not records」を設立。レーベル第1弾となる4thアルバム「sky was dark」を2012年10月に発売した。