昨年7月から展開してきた、お笑いナタリーでのよしもと漫才劇場特集は今回で最終回。ラストは、マンゲキを卒業し、この春から東京を拠点に全国区へ活動の場を広げていくたくろうのインタビューを届ける。「M-1グランプリ2025」優勝に繋がったマンゲキで腕を磨いた日々、苦しい時期を共に乗り越えた仲間の存在、そして今描いている将来像を聞いた。
取材・文 / 狩野有理撮影 / 浜村晴奈
「紅白」で見つけたマユリカはかぼちゃの煮付けくらい安心した
──「M-1グランプリ2025」優勝からお忙しい毎日かと思いますが、どうお過ごしですか?
赤木裕 もう新幹線、新幹線。1日の半分は新幹線で過ごしている気はしますね。
きむらバンド 体感はほんまにそんな感じ。常にどこかへ向かっているという毎日です。いろんなお仕事をさせてもらって、未知の経験ばかりですね。今までは衣装もこの漫才衣装でずっとやっていましたけど、いろんな服を着させていただくのでそれを楽しんでいます。
赤木 いろんな仕事ができて、いろんな人にも会えます。野球選手にも会えました。大阪で会える野球選手は似関本(阪神タイガースでプレーしていた元プロ野球選手・関本賢太郎のモノマネ芸人・似関本賢太郎)くらいだったので、すごいことです。似関本で満足していたところがあったので。
きむら 似関本は野球選手ではないよ(笑)。
赤木 憧れの人にたくさん会えているのがうれしいです。
──漫才の中に名称を登場させた大企業とのコラボも多数実現しましたね。こんなふうになると思っていましたか?
きむら もちろん思ってないです! 思ってたとしたらいやらしすぎますって。逆に、「怒られないかな?」と思っていたくらい。寛大な企業さんの懐の深さに感謝です。
赤木 ネタの中で言わせてもらった企業名は試しながらいろいろ変えていたんですよ。あの企業も言っておけばよかったかな……と。
きむら やめとけよ!(笑) 欲まみれやん。
──特に印象的だったお仕事は?
赤木 「NHK紅白歌合戦」に出させていただいたとき、いろんなアーティストさんを見たくて楽屋に入らずにずっと袖みたいなところに立っていたんですよ。そしたら、MISIAさんがこっちに向かってペコってしてくれて。
きむら おお。すごいことやん。
赤木 で、ペコって挨拶を返したら、うしろの人に、でした。「ああ……」ってなりました。
きむら こんなにもあるあるなエピソードにMISIAさんが出てくるっていうのがすごいですよね。「紅白」で言うと、今までの人生やったら絶対に会えないような方にしか会わない状況やったので、ど緊張していたんですよ。そんな中で(ORANGE RANGEのステージにゲスト出演していた)マユリカさんを見つけたときに、かぼちゃの煮付けくらい安心しました。マユリカさんがいて本当によかったです。後半はずっと4人でいました。僕らが「紅白」で一緒になれるなんて、一昔前やったら考えられないです。マユリカさんは大阪時代、“宇宙一気持ち悪いコンビ”とされていましたから。
赤木 確かに。中谷さんが劇場の周りを歩いてるだけで「中谷が劇場の周り歩いてるんだけど、何? キモすぎ」ってネットに書き込まれていたこともあった。
きむら っていう時代があったんですよ(笑)。大逆転ですよ。
──慣れない東京でも、よしもと漫才劇場時代の仲間たちがいると心強いですね。
きむら 見取り図さんと一緒になる番組はマジで楽しいです。ほぼマンゲキみたいなメンバーで収録があって、もちろんテレビは緊張するけど、うれしさ、楽しさがむっちゃありましたね。
赤木 (アインシュタイン河井)ゆずるさんも現場にいると安心感があります。僕らにもうまいこと振ってくれますし。マンゲキで絡んできた経験があるから、めちゃくちゃアシストしてくれて。
きむら 扱い方もわかってくれてるからな。でも、ゆずるさん、変わっちゃいましたよ。この前フジテレビの楽屋に挨拶しにいったら、和室で、普通は畳に座るじゃないですか。ゆずるさんだけちょっと小高いところに腰掛けて、スナフキンみたいに「よっ」って言ってました。
赤木 小高いところ?(笑)
きむら 僕の中でですけど、焚き火も見えました。もともと大阪でもスマートな人でしたけど、そこまでではなかったので。フジテレビの小高いところに座る人になってました。
──お二人も4月から東京を拠点にして、変わっていくかもしれないですね。
きむら 洗練されていくかもしれないですね。
赤木 小高いところにおるかもしれないです。
楽屋が楽しいと思わせてくれたのは見取り図・盛山さん
──ここからはよしもと漫才劇場での日々のことを聞いていきたいと思います。2人は2016年3月にコンビを組んですぐに劇場に所属できたんですよね。「このコンビで行ける」という手応えは結成当初からあったんですか?
きむら ありましたね。当時、劇場に入るのは本当に難しいと言われていたところに風穴を開けられたのでめちゃくちゃうれしかったし、自信にもなりました。僕の同期だと、当時所属できていたのはダブルヒガシだけだったので。
赤木 以前は入れ替え戦とかチャレンジバトルがなくて、直で「Kakeru翔GP」に挑戦できたんですよ。霜降り明星さん、ミキさん、ゆりやんレトリィバァさんがバリバリ活躍していらっしゃるときに、トップ5に入らないと所属できなかったのかな? 厳しいハードルを一発で超えられたので、かなり自信にはなりました。
──所属してからはどんなマンゲキライフを送っていたんですか?
きむら 僕は最初、むっちゃ緊張していて。あんまり劇場に行きたくなかったんです。先輩しかいないし、緊張して全然楽屋でしゃべれなくて。だからいつも入り時間より早めに着いておいて、たばことエナジードリンクで気合いを入れてから楽屋に行ってましたね。しゃべりたいけどしゃべれない、みたいな時期を1年くらい過ごしました。今考えたらみんな全然怖くないんですよ。けど、勝手に一番下やからビビっちゃってて。
──その緊張が解けたきっかけは?
きむら 楽屋はなんとなく若手と先輩でスペースが分かれているんですが、先輩たちがいるところに思い切って飛び込んだんですよ。「このまんまじゃ状況変わらんよな」と思っていたし、そのスペースにダブルヒガシの東がちょこちょこ出入りしてたのを見て、「同期がそれやってるんやったら俺もがんばらな」と思って。「今日から楽屋使わせてもらいます!」と挨拶をしたら、ミキの昴生さんが「楽屋ってみんなのものやから、挨拶なんかいらんで。好きに使えよ」と優しく言ってくれたんです。そのあとダブルアートの真べぇさんが「楽屋デビューかあ」と言って写真を撮ってSNSに上げてくれて、それでなんとなくみんなにも知ってもらえるようになり、そこから楽しくなっていきましたね。僕らが入った当時は見取り図・盛山さんがいて。盛山さんがとにかく面白くて、楽しいんですよ。最初の頃は盛山さんがみんなとわーってやっているのを見て、憧れてました。芸歴を重ねていくと、徐々に直近の先輩、後輩とノリみたいなものが自然発生的に生まれていきました。僕は特に、華山のにこらすさん。ONC(おしゃべりにこらすチルドレン)グループというのがあって、にこらすさんとは20~30個のノリがあるんですけど、舞台で使えるのは、2個ですね。絶対使われへんノリを楽屋でやってます。
──そのほかのノリは舞台で試してウケなかった?
きむら まず試す前から「あかんよな」というのが9割です。舞台では同じやつをずっとやってます。
──その2個は絶対ウケる、と。
きむら あ、いやウケもしません。好きでやっているだけです(笑)。
──これまでのインタビューでも、マンゲキでは5upよしもと時代より先輩、後輩が幅広く所属して、みんな和気あいあいとしているとお聞きしました。
きむら そうですね。特に、29期さんがその空気を作ってくれたイメージがあります。見取り図さん、吉田たちさん、ヘンダーソンさんの期。やっぱり盛山さんの存在はデカいです。あんな楽しい人はいないので。だから今、東京でお会いできたとき、死ぬほど楽しいです。「この人らと番組に出るの夢やったなあ!」と思いながら仕事してます。楽屋が楽しいと思わせてくれたのも盛山さんですね。
──赤木さんはいつも楽屋のどの位置にいるんですか?
赤木 僕はずっと楽屋の奥にいます。今もです。劇場に入りたてのときからずっと同じ場所にいます。
きむら 定位置ですね。
赤木 トイレの前ですね。けっこう邪魔になってると思います(笑)。なんとなく若手が奥のほうにいるんですけど、そこが居心地いいし、ずっとそこにいます。おもしろジャンケン(NSC大阪校47期。赤木は37期)と一緒のとこにいます。
──楽屋での赤木さんはどんな存在?
きむら 伝説のポケモンみたいな感じです。基本いないので。
赤木 舞台の合間は自転車とかでどっか行くんです。西成まで行って、三角公園に着いたらただUターンして帰ってくる。サイクリングをしているので基本的には楽屋にいないです。
きむら 「赤木がいた」という情報が入って見に行っても、もういなくなってます。
赤木 でもノリで言うと、ビスケットブラザーズの原田さんが「あれ? 今日こっち(大阪)なんや」と会うたびに声をかけてくるんですよ。「今日の朝、新幹線で来たん?」って。僕を東京所属だと思っている、というノリを5年くらいしてますね。
きむら え、あれノリなん? 俺、赤木は東京の人やって思ってた。原田さんも東京だから、東京で一緒に飲んだりして仲良くなってるのかと。
赤木 いやええねん(笑)。きむらさんもそっち側でノッてくるけど。で、この4月に僕らが東京に移籍することになりまして。
きむら 俺が東京行って、赤木が大阪戻って来るねんな?
赤木 ……っていう形には変わってましたね(笑)。「どこ住むん? 俺大阪もけっこう長いこと住んでたから詳しいで」みたいな。そのノリもちゃんと変わるんやな、とは思いました。あと、こじまラテさんが「おう、マッチョ」って言ってくるというノリもあります。
きむら それは言わんでええ!(笑)
いつでも行けるし、いつでもダブルアート・タグさんがいる
──マンゲキ所属でよかった、と思うことは?
きむら 寄席があることが一番の強みやと思いますね。僕らが「M-1」獲れたのはマジでそれのおかげだと思ってます。土日に3回公演、老若男女、他府県の方も含めたお客さんで満席で、こんなにもネタを磨く場所として素晴らしいところはないです。僕らのことを知らないお客さんも多いので、自分たちの実力がないとまず引き込めない。そういう場に毎週立たせてもらって、全部鍛えてもらいました。マンゲキが主戦場やったからこそ今の結果に繋がっているなと思います。
赤木 マンゲキは24時間(芸人・スタッフに向けて)開いているのでいつでも行けるし、いつでもダブルアート・タグさんが小道具を作ってます。どんな深夜に行ってもタグさんが何かを作っている。
きむら でっかいゾウとか、カジキとか。
赤木 だからがんばれたところはありますね。「こんな時間までやってはるんや、俺もやらな」と思えます。行けば必ず誰かいるので、刺激をもらいます。
きむら 真輝志、(ジョックロック)ユウショウさんとかね。
──みんな日々ネタと向き合っている。
赤木 「もうしんどいわ」ってなっていても、「がんばらな」って思います。常に誰かが劇場でがんばっているので。
きむら 切磋琢磨できるよね。
次のページ »
苦しい時期を一緒に過ごした同期、楽しかった万博

