相方には相談せずに決めちゃう
──そうして若手時代を過ごすうち、山崎さんがある日、現在のような“ザキヤマ”のキャラクターに変貌したと言われています。それはどういうきっかけがあったのでしょうか?
山崎 どちらかといえば、もともと今のほうが無理をしていないんです。その前のほうが「松本人志さんになる」みたいな、いわゆる“ダウンタウン病”で、すごく斜に構えてました。ただ、それでやってもにっちもさっちもいかない。仕事が増えない。普段はくりぃむしちゅー有田さんとか先輩と一緒にいることが多かったので、「ちょっとちょっと、有田さーん!」とか「(X-GUNの)さがねさーん!」という感じでやってたんです。袖でおぎやはぎのネタを邪魔したりしながらキャッキャしていた。それでいざ舞台に出たら(低めのテンションで)「よろしくお願いしまーす……」みたいな感じというのに、どんどん歪みが出てきました。
──白シャツに白ネクタイという衣装も今に至るまでトレードマークになっています。
山崎 衣装に関しては、あまりにもお金がなさすぎて同じものを着たかった、というのが大きいです。ずっと同じ衣装を着ているとダメとも言われかねない。それを有田さんに相談していたら「フォーマルならいい。Tシャツにジーパンなら何か言われるけど、スーツだったら同じものを着ていても絶対に言われない」と。ただ、スーツ着てもなあと。それで「白シャツで結婚式帰りみたいな感じがいいんじゃない?」という話になって、相方には相談せずに決めちゃった(笑)。
柴田 まあ、相談はなかったですね。結果、着替えて「これです」みたいな感じでした。
山崎 そういう意味では「全力!脱力タイムズ」(フジテレビ系)でも、その癖は抜けていなかったです(※編集部注:2019年11月29日のオンエア回で山崎が柴田へのサプライズで出演し、10年ぶりのコンビ復活を果たした)。有田さんと相談して、柴田さんの前にいきなり出ていくという。それである日、舞台に出ていったらお客さんもビックリしちゃって。よく来るお客さんたちなので「山崎どうした?」とザワついて(笑)。
──キャラクターや衣装は変更してよかったでしょうか?
山崎 よかったです。衣装については経済的にもよかった。毎日それを着ていればいいので。
──この変貌について柴田さんはどう思われましたか?
柴田 もともと「斜に構えてました」みたいなことは本人や周りは言うけど、漫才用のキャラクターとして本人もやりやすいんだなと思っていたから、別に違和感があったわけではないです。白シャツと白ネクタイに関しては、いつかやめるだろうなと思っていました。でも、お客さんは翌月のライブでは「しっくり来ている」みたいな顔で見ていたから、自分だけが取り残されてるような感じがしました(笑)。
──先ほどからダウンタウンや有田さんなど先輩芸人さんの名前が上がっています。憧れの芸人や具体的な番組名などをより詳しく教えていただけますか?
柴田 僕が憧れていたのは高田純次さんです。「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)に出演されていましたが、高田さんのあとは僕が継ごうと思っていました。高田さんになるべく静岡から東京に出てきたんです。そうしたら、もうちょっと自分より高田さんみたいな人に出会っちゃって、コンビ組んだんですけど(笑)。
──なるほど、同じように“テキトー男”とも呼ばれる山崎さんと出会ったわけですね。
柴田 本当は僕が全部そこをやりたかったんです。高田さんは無敵でしたよ。本当に面白かったです。僕も17歳くらいのときに(「元気が出るテレビ」内の)「お笑い甲子園」に出るために当時の相方と練習していましたからね。そいつは東京には行かないって言っていたので、僕は東京で1人でやっていくか、漫才やコントをやるんだったら相方を見つけるかして芸能界に飛び出そう、という軽い構想はあったんです。
山崎 僕は「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ系)をよく観ていました。「101回目のプロポーズ」(フジテレビ系)も観ていて、武田鉄矢さんみたいな俳優になろうとも思っていましたね。
華やかな舞台に人力舎メンバーといると不思議な感じ
──芸人を目指す読者のためにも、芸人になって「これはめちゃくちゃうれしかったな」という思い出を教えていただけますか?
柴田 いっぱいありすぎますね。たとえば高田純次さんに初めてお会いできたときは感動しました。この人になろうと思っていた人が目の前にいる。高田さんや関根勤さんと番組で共演したときだと思うんですけど。あのときの感動は忘れないです。
山崎 最近でうれしいなと思ったのは、人力舎メンバーで「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(TBS系)に出たんです。「すごいな! このメンバーでよくゴールデンに出ているな」って。人力舎メンバーと集まると、その気持ちがいつも芽生えてきちゃう。仕事がない時代に一緒にいた人と華やかな舞台にいると、不思議な感じです。新宿Fu-の楽屋にいたみんなが中居さんと共演している。中居さんと塚っちゃん(ドランクドラゴン塚地)がしゃべったり、(明石家)さんまさんとうちの相方がしゃべったりしても、すごいなーと思っちゃう。独特な感覚になります。
──お笑いファンとしてはあくまでタレント同士としての仕事ぶりを拝見しているのですが、当人だと思いはまた違うんですね。
山崎 当時は食えていけるなんて思っていないですから。いつか食えたらいいなーなんて思っていて。みんな変だったんですよ。お笑いをやっていこうというモチベーションがある人は、ある意味では変わっている。そういうのを見ていると、華やかな舞台に出られて、よかったなと。吉住も「THE W」で優勝して、ほかの芸人がうれしがっている。後々、同世代で共演したときに不思議な気持ちになると思いますよ。
──吉住さんの優勝には人力舎全体で歓喜に湧いているんでしょうね。
山崎 2020年の最後に、人力舎に明るいニュースが来ました。吉住自体はあんまり明るい子ではないけれども(笑)。あれで報われましたよ。早めのクリスマスプレゼントでした。
柴田 僕も吉住の優勝は応援しながら観ていました。決勝の1回戦のときから自分の空気にしていましたね。人力舎のメンバーだと、漫才で自分たちが「M-1」を獲らせてもらって、「キングオブコント」も2組が獲って「人力舎、やっぱ強いなあ」って言われていた時代もあったんですけど、そのあとちょっと止まっていた。そこで吉住が獲ってくれたのは、次の若い世代にも弾みになるし、吉住の先輩でチャンスがあるヤツにも火がついたと思いますよ。みんなが改めて「人力舎にいるのに獲らなきゃダメだろう」くらいに思ってくれれば、生徒さんもいっぱい入ってくるでしょう。
山崎 吉住は「R-1グランプリ」でも楽しみです。
──吉住さん以外に注目の後輩芸人は?
柴田 そうですね、若手だと、ゆってぃ?(笑)
山崎 それと、田上よしえ?(笑) でも漫才だと真空ジェシカは、ボケの子(川北)が人力舎にはあまりいないタイプなので「M-1」もがんばってほしいです。
柴田 ザ・マミィとか頭角を現してきてるヤツはほかにもいるので、これからが楽しみです。
山崎 あとは、やっぱりコネオ・インターナショナルね。
柴田 コネオちゃんは大会ではタイトル獲らないと思うよ? 売れる可能性はあるけど。
山崎 “大会タイトル獲らない組”でがんばってもらいたい(笑)。
迷ったら人力舎
──お二人は2020年9月のライブ「ハイスクール人力舎」で漫才を披露されましたね。テレビの収録を除くと、お客さんの前では久しぶりの漫才だったのでは?
柴田 久しぶりですけど、久しぶりという感じじゃなかったです。それなりに練習も山崎としましたし。
山崎 いきなり出ていってすぐネタではなく、オープニングにみんなで出て、お客さんへの挨拶が終わってネタをやる感じでした。
──先日「THE MANZAI」(フジテレビ系)出演のときは、JCA内の稽古場を使われたとか。
山崎 そうですね。「お笑い二刀流」(テレビ朝日系)のときにも使いました。逆に「ハイスクール人力舎」はお祭り気分もあったので、早めに楽屋に入って当日合わせたくらいです。
柴田 「久しぶりのツーショット、オッケー!」みたいな感じでお客さんにも許してもらえたかなと(笑)。
──このインタビューは将来的に人力舎での活躍を希望される方にお読みいただければいいなと思っています。さまざまなお笑いスクールがある中で、JCAに入りたいと考えている方の背中をひと押しするような言葉を最後にいただけますか?
柴田 「JCAや人力舎に入ってこうしたい」というより「俺が人力舎をこうしてやろう」という気持ちで入ってきてほしいです。それくらいの強い気持ちがあってもいい。ダメならダメでもいいですし。たまにはそういう刺激を僕たちもほしいので、事務所ごと背負ってやるぞ、くらいの人にあらわれてほしいです。
山崎 「迷ったら人力舎」ですね。迷っている人が集まってますから、迷っているもの同士で道を切り開く。間違いない。僕も迷って人力舎の門を叩いて、そんなに強い気持ちもなく入った人間だったけど、これだけごはんを食べられるようにしていただいている。まあ「強い気持ちがあってもいい」という柴田さんの意見とは真逆ですけど(笑)。もちろん強い意思がある方もいいです。あとは、上下関係に関してもそこまでうるさくはないので、縦社会にあまり向いてないという人にはぜひ来てほしいです。人力舎はトップを追い抜くのに一番早いかもしれないです。
──そう簡単なことではないと思いますが……。
山崎 アンタッチャブル、おぎやはぎ、オアシズを追い抜けば、すぐにトップですから、がんばってください(笑)。