「バカヤローな三枝を許してください」六代桂文枝襲名会見

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本日7月16日、ザ・ペニンシュラ東京にて、桂三枝が「六代 桂文枝」襲名発表会見を行った。

桂三枝の「六代 桂文枝」襲名発表会見。弟弟子の桂きん枝、桂文珍が出席。

桂三枝の「六代 桂文枝」襲名発表会見。弟弟子の桂きん枝、桂文珍が出席。

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三枝は1966年、関西大学在学中に桂小文枝(故・五代目桂文枝)に入門。1981年には創作落語を定期的に発表する落語現在派を旗揚げし、これまでに220作以上の作品を発表した。その功績が認められ、2度の文化庁芸術祭大賞、文化庁芸術選奨文部科学大臣賞など数々の賞を受賞。現在、公益社団法人上方落語協会会長を務めるかたわら18人もの落語家や、タレント・俳優の育成にも尽力しており、最近では世界のナベアツ(現在は桂三度)が弟子入りしたことが話題となった。

桂文枝は上方落語界の歴史ある大名跡で、明治初頭に活躍した初代が十八番の「三十石」を質入れしたという話は落語界であまりに有名。三枝の師匠である五代目は、三代目桂米朝、六代目笑福亭松鶴、三代目桂春団治とともに「上方落語四天王」と呼ばれ人気を博した。

会見には、吉本興業吉野伊佐男代表取締役会長、吉本興業大崎洋代表取締役社長、そして弟弟子の桂きん枝桂文珍が出席した。吉野会長は「来年は創業100周年を迎えます。その節目に大名跡が復活することは、大きな喜びと責任を感じております。三枝は噺家として時代に合った笑える落語をやっていくしかないという思いをつむいで傑作を残してくれました。これまで40年テレビや舞台の主役をはって一代で築いた桂三枝から、師匠の名を高める難行です。この厳しい決断を全力で応援してまいります」と挨拶。大崎社長は「私ども吉本興業は桂三枝とともに、上方落語を守り育てる覚悟を新たにいたしました。皆様方におかれましてもより一層のご指導ご鞭撻を頂戴いたしたいと思っております」と三枝を後押しした。

三枝は挨拶で襲名に関して、文枝の名前に対する責任と、三枝の名前に対する愛着の間で大いに悩んだことを告白。師匠や家族にも相談せずに、1人で文枝の名前と向き合ってきたと明かした。その三枝が唯一この件を相談したのが立川談志。現在療養中の談志に病院で襲名の話をしたところ「止めとけ」と言われ納得した三枝だが、後日やはり襲名を心に決め、体調の悪い談志に毒蝮三太夫を通じて伝えたところFAXで返事が到着、本人の許しを得て会見で発表した。「人生成り行き。三枝より文枝のほうがよくなったのか。じゃあ仕方がない。勝手にしろ。三枝のばかやろうめ」。三枝はこの言葉に対し「師匠を裏切るようなことになってしまいまして申し訳ない。1日も早く良くなってください。お願いします」と声を詰まらせながら語った。

今は「何の迷いもなく、一点の曇りもなく」襲名を心に決めているという三枝。最後に「新しい平成の文枝を作ろうと思います。45年間三枝を応援してくださった皆さん、バカヤローな三枝を許してください」と頭を下げた。

きん枝は「我々一門としてもこれほど嬉しいことはございません。弟子20名が手を合わせて今日のよき日を迎えることができました」と挨拶。「私も去年あんなバカなことをしまして(笑)、その時にも兄弟子には演説などしていただき、精一杯応援していただきました。今度は私が精一杯お返しをする時であると。私にできることあったら何でも言うてもうたらさしていただきます。我が一門総力をあげて、そして上方落語協会総力をあげまして、今回の襲名未曾有の襲名にしたいと思っております」と力いっぱい語った。

文珍は「今のきん枝兄弟子の挨拶はなんか選挙演説のような変な力が入っていて、緩急ができてないなぁと。まだまだ教えないといけないことがあるなと思いながら聞いてたんですが」と会場の緊張を緩和。「三枝という師匠にいただきはった名前を大きう大きうしはって、それと別れるというのは大変なことです。そして文枝という名前を大きくしないといけませんから。これからは一門の者が心を一つにいたしまして、全体で上方落語、日本の落語好きの方、落語の楽しさをより広めてまいります。文枝一門といたしまして、兄弟弟子皆が分母になりまして、この新しい文枝を支えたいと思っております」とまとめた。

会見では、厳粛な空気も和らぎ、三枝、きん枝、文珍の楽しいやりとりも。一門が手を取り合って文枝襲名に向けて一丸となっている様子が伺えた。

三枝は来年2012年の今日7月16日になんばグランド花月で襲名披露公演を行う予定。それを皮切りに全国で披露公演を行う。今後の詳細は桂三枝のオフィシャルサイトやブログ、吉本興業オフィシャルサイトにて発表される。

桂三枝挨拶全文

本日はお忙しい中おいでいただきましてありがとうございました。このたび、六代文枝を襲名させていただくことになりました桂三枝でございます。よろしくお願いいたします。

六代文枝襲名につきましては、文枝という名前があまりにも大きいということと、桂三枝という名前への愛着がありまして、非常に悩みに悩みました。継ごうか継ぐまいか行ったり来たり何度もいたしまして、ここに今日並んでくれました桂きん枝さん、桂文珍さんに大変迷惑をかけました。1人でずっと悩んでいたというのも、2年半ほど前に、まったく具体的な襲名を考えていなかったのに「桂三枝、文枝襲名か」という報道が一部マスコミで流れまして、大変混乱を招いてしまいました。でもその時から、文枝襲名について考え出しまして、それからは非常に慎重に1人でそのことについて、文枝襲名と向き合ってきた感じがいたします。

ですから、上方のほうの先輩師匠方にも相談することなく、仲間や友人知人にもその話はしませんでした。私の弟子にも襲名のことについては話はいたしませんでした。そして本来いろいろ相談すべき家内にも私はその話をせずに、勝手に話を進めてまいりました。特に家内には、私は芸のことしか考えずにやってきたもんですから、家のことをすべて任せ、それから私の母のこと、それから慶事のことや着物のこと、寝る間も惜しんでやってくれてましたので、何の相談もなくここまで至りましたことを申し訳なく思っております。

私は今申し上げましたように、誰にも相談もなくこうして襲名を進めて参りましたが、1人だけ相談をした師匠がいました。それは立川談志師匠です。談志師匠は私がこの世界に入りましたときから非常にかわいがってくれて、いろんなときにいろんなことを相談しました。師匠が入院されたときに、病院で襲名のことを相談しましたら師匠が「やめとめ。せっかく三枝という名前を大きくしたんだから、その名前でずっと噺家を続けるべきだ」というふうに言っていただいて、私もそうだなと、「師匠そういたします」と言って帰ったんですが、それからいろいろと私も考えまして、桂派の源流でもあるこの文枝の名前を五代目まで直系の弟子が時間をかけてつないでまいりましたので、ここでもしほかの御一門さんに継がれることになりましたら、私は亡くなりました五代目文枝に申し訳ないし、代々の文枝に申し訳ないと考えて、襲名を決心いたしました。

所属の吉本興業にお話をさせていただきましたら「来年は100周年だから、その記念イベントの1つとして大いに盛り上げよう、協力を惜しまない」と大崎社長に言っていただきました。私はこれが一番心強かったです。そして襲名の件がマスコミにリリースされる1日前に、まず談志師匠に連絡をと思いましたが、師匠がちょっと今声が出ないということでございましたので、共通の知り合いでございます毒蝮三太夫さんに襲名のいきさつ、そして私が襲名をするというのを伝えてもらいました。すると私のもとへFAXが届きました。そのFAXを師匠に了解をとりまして、紹介させていただきます。「人生成り行き。三枝より文枝のほうがよくなったのか。じゃあ仕方がない。勝手にしろ。三枝のバカヤローへ。立川談志」。師匠を裏切るようなことになりまして、ほんとに申し訳ないと思います。師匠、一日も早く良くなってください、お願いします。

そのあと私は東西の師匠方に連絡をいたしました。連絡のつかない師匠もいらっしゃいましたが、その中で前落語協会の会長(鈴々舎)馬風に電話をいたしましたら、馬風師匠が「そうか良かったな。師匠の名前を継げることは落語家として一番幸せなことなんだ。感謝しないといけないぞ」と言われまして、私もほんとその通りだと思いました。今は堂々と胸を張って何の迷いもなく、一点の曇りもなく、六代文枝を来年の7月16日、襲名したいと思っております。来年からの襲名公演で全国をまわり、大いに盛り上げて長くお世話になった吉本興業に恩返しをしたいと、また上方落語にも恩返しをしたいと思っております。最後に襲名を後押ししてくださいました五代目文枝師匠の奥様、ご家族、一門の皆様に心より感謝を申し上げます。そしてこれまで45年間三枝を応援してくださった皆様、バカヤローな三枝を許してください。これからは六代文枝をこれまで以上にごひいき賜りますことを伏してお願い申し上げます。よろしくお願い申し上げます。

桂三枝一問一答

――45年間、三枝という名前でやってきて相当愛着があると思うのですが、最終的に決断した経緯は。

桂三枝:いつまでも文枝という名前を放っておけないなというのと、今日で68歳になりまして、襲名するのが69歳。もうこれがギリギリかな、今決断しなければいけないと。また来年吉本100周年ということで、今しかないなと決断いたしました。

――先ほど文珍さんが三枝を継ぐと言ってましたが、実際三枝の名前が空くわけですが、どうするのですか?

三枝:今まで三枝作ということで、作品をたくさん作ってまいりまして、その作品を東西の落語家のみなさんにやっていただいてますが、それはこの先文枝作というわけにはいかないと思います。三枝作という形で名前を残していきたいなと。ですから誰かに三枝を継がすというのは考えておりません。これからも落語を作るときは三枝作を文枝が演じるという風にやっていきたいと思っております。また、バラエティの感覚で文枝になってから椅子からちょっとコケにくいなと思っております(笑)。なので吉本興業と相談しながらうまく三枝を残せたらなと。ですから桂文珍さんが三枝をするということは200%ないです。

――入門時の思い出は?

三枝:いろいろありますが、私は母一人子一人だったので、師匠のところへ行きましたときに「親は~賛成してんのか」と……。

桂きん枝:モノマネですか? それ。

三枝:ちょっとモノマネを(笑)。師匠が懐かしくて。「母親を連れてきなさい」と言われて、旧なんばグランド花月の喫茶店「ロマンス」というところに、当時母が反対してましたので、「就職の決まったある人事課長に会ってくれ」と無理やり母を連れて行きまして。そこに高座の延びた師匠が着物姿で現れたので、そこで母は「ひょっとして」と思ったらしいです。また、友人との会話を注意されたことがあり、「いくら友だちでもあんな言葉遣いはあかんで。お前はもうプロになったんや。みんなお客さんや。丁寧に接しんとあかんで」といわれまして。「あぁプロは厳しいな」と思いましたし、人に対する優しさ、丁寧に接するということを教えていただきました。ほかにもたくさんありますが、きん枝さんはたくさん師匠に殴られたとか、それはここで喋ったら2時間くらいかかりますので、失礼させていただきます。

――奥様に最終的に伝えたのはいつごろで、そのときどのような言葉を言われたのでしょうか?

三枝:これが、大変でございました。いやもうあの、「私は三枝と結婚したんだから」と反対されたものですから、きん枝君といろいろ相談いたしまして「奥さんには言わんほうがよろしいで」と言われてまして、人生の経験者であるきん枝さんの言うことを聞いといたほうがええんちゃうかなと。今もまだ納得してもらってないところもありますが……よろしくお願いします。

――襲名披露公演が1年後に始まるということで、どのくらいの規模でどのくらいの期間やっていく予定ですか?

大崎社長:三枝本人も何年もかけて全国各地隅々まで、あるいは外国にもと言っておりますので、丁寧にスケジュールを組み立ててやっていきたいと思っております。

きん枝:とりあえず来年の今日、なんばグランド花月において襲名披露公演をさせていただく。それを皮切りに、最低5大都市、1000人から2000人規模のホールでやります。

――きん枝さん、文珍さんから、同じ落語家として見た三枝さんの芸風と人となりを教えてください。

きん枝:僕が入ったときにはすでに桂三枝として売れている方でして、すごいなというのがまず第一印象でした。まったく素人が私だけでしたので、うちの師匠を怒らせ、嘆かせ、したのが私やと思います。師匠が亡くなってからは、先頭きって一門をまとめ、引っ張るチームリーダーでした。人間的には、若いときはほんまにトゲトゲなさってたんですけど、丸くなられまして(笑)。前はね、近寄ったら怒られそうな気がしまして。ところが今は何でも相談しやすいですし。

三枝:それは君が成長したんや。

きん枝:そういうことでございます。

文珍:一番最初は、アマチュアの時代から存じ上げておりまして、その時の芸名が浪漫亭チックとおっしゃってたんですが、「うまい人がいてはるな」と。それがあっという間に入門なさいまして。上方の落語の消えなんとした時代があったんですが、そのともし火をこの方は平成の創作落語ということでLEDに変えられる人やと思います。ツアーで全国まわられますけれども、スケジュールが非常に厳しいと思いますので、そこは私が飛行機を操縦してお乗せしますので。

きん枝:それと私今ぽっと思い出したんですけど。

文珍:なんか、いつも思い出しますね。落語のときもよく抜けますけど。

きん枝:そう、あとで足しますから大丈夫です。上方と東京で落語家として初めて米朝師匠と小さん師匠が人間国宝になられたわけですが、この方が文枝を継いだ。これが人間国宝の第1歩になるんじゃないか、そんな気がします。

文珍:そんなんわからへんやん。

きん枝:なんねん。

文珍:そんなんなれへんよ。吉右衛門さんでもやっとなれたのに。

きん枝:なってもらわんことには困る人ですから。

文珍:そうやね。そりゃみんなでなったらええがな。

きん枝:え!?

※記事初出時、本文に誤りがありました。訂正してお詫びいたします。

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