昨日1月18日に下北沢・駅前劇場にてイベントライブ「Munasawa King Live #2『杉作J太郎presents観客満足度100%』」が行われた。
“杉作J太郎デビュー30周年記念”となる同ライブには、共演者として
杉作は、1982年に芸人コンビとして当時大人気だったバラエティ番組「笑ってる場合ですよ!」でデビューを飾ったところから、順を追って人生の大きな出来事を紹介。同年にマンガ家デビューし「ガロ」で活躍、その後マンガの描き過ぎによって入院を余儀なくされるが、退院後は雑誌「平凡パンチ」で働くことになった。そこからさらに仕事の幅が広がるのかと思いきや、「痛風」「ベンツ(にぶつける)」「大型トレーラー(にぶつける)」「骨折」と残念な出来事にたびたび遭遇。しかしその間にもテレビ番組の仕事などをこなしつつ、1997年には「トゥナイト2」に出演、1998年にはプロレス団体FMWの解説をはじめた。この頃から徐々に仕事の風向きが変わっていったという。
東京出身で芸能情報に詳しい玉袋は、供述があいまいな杉作に代わって当時の時代背景をその都度説明。東京に憧れて上京したという大谷は彼らの話に楽しそうに聞き入った。
どの話題にも面白エピソードがついているため、ライブ時間が残り10分となったところでやっと20年分が終了。綾波レイやモーニング娘。と運命の出会いを果たした杉作は、21世紀に入って“L.L. COOL J太郎”としてラッパーデビュー、さらに劇団東京乾電池所属など、少し毛色の変わった仕事も体験することになった。2006年には念願だった初監督映画作品が公開され、昨年末2010年12月には書籍「応答せよ巨大ロボット、ジェノバ 」も発売された。
玉袋は杉作の30年を振り返り、「“賢人”とか出てくる番組に出てないところがいい」と賞賛。宍戸からは「1年半前に初めてきちんと話をしたときに同じ匂いがした。俳優をやったり、絵を描いたり、文章を書いたり、私も“杉作J太郎”という職業」という嬉しい言葉も飛び出した。杉作は最後に「生きてたらいいことある」と満面の笑みで語り、観客の拍手に“満足度100%”を実感した様子だった。
なお、同ライブシリーズでは本日1月19日にキングコング西野と吉田豪のトークライブ「Munasawa King Talk」を開催。その後も浅草キッド・水道橋博士出演の「博士・大吉・大介のお笑いメディア道場」、「『芸人紅白歌合戦』produced by 寺坂直毅」、チョップリン、囲碁将棋ら出演の「エチュードイベント2 『14-3=11』」などが行われるので詳しくはオフィシャルサイトでチェックしてみよう。
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