東京・びーちぶにて「村田渚13回忌LIVE」が昨日11月11日に開催され、
桶田敬太郎とのコンビ・フォークダンスDE成子坂のツッコミとして活躍し、1999年のコンビ解散後は松丘と鼻エンジンを組んだ村田。そんな村田と特に親交の深い芸人たちが、昨日のライブでは村田の素顔や「わからんわあ」などの口癖、ネタの作り方、数々の芸人や番組との逸話、「ウーロンハイをよく飲んでいた」という酒の飲み方といった生前のエピソードを途切れることなく披露していく。ときおり村田の口調を真似ながら、大いに笑いを交えて繰り出す彼らのトークが村田の芸人人生を多面的に浮かび上がらせた。
鼻エンジンの相方となった村田について、松丘は「仲はよかったけど、厳しかった。『ネタ中は明るさを全部消せ。宇宙を旅してるように何も考えるな』と言われた」とストイックなまでのネタの指導を振り返る。「M-1グランプリ2005」で準決勝に進出した鼻エンジンだが、村田が急逝したのはその翌年の2006年に「M-1」予選を勝ち進む最中だった。松丘は「もったいなかった。死ぬとしても優勝してから死んでほしかった。お笑いとして1つの賞を上げたかった」と悔やむ。村田とトークライブを展開するなど公私共に付き合いのあったコトブキは、村田との濃密な記憶の数々を呼び起こし、「自分は一度も怒られたことがない」「渚さんは総じて真面目」と評する。松丘曰く、村田によくイジられていたという小峠は、自身の若手の頃を「時空が歪むくらいスベッていた」と回想しつつ、バイきんぐのコントを見た村田に「お前はワードセンスはある」と褒められたと話した。
村田にかわいがってもらっていたというHEY!たくちゃんは、持ちネタのあごモノマネで「好きなお菓子を語る村田渚」を再現。先輩の村田について「よく説教されたが、説教がツッコミになっていて面白かった」と怒られた思い出も笑い話に変える。13回忌ライブの会場となったびーちぶは「村田の遺志を継いでいこう」というコンセプトで作られたライブハウスで、これについて小峠は「びーちぶで渚さんのイベントができて感慨深い。最初は“びーちく”みたいだなとライブで話していたけど、あとで名前の由来を聞いて取り返しのつかない発言をしてしまったと思った」と痛恨の表情を見せて客席の笑いを誘った。
公演の中盤にフォークダンスDE成子坂のコントや鼻エンジンの漫才のVTRが上映されると、コトブキが「色褪せない」と賛辞を送るネタが客席を笑いの渦に。村田と同時代を生きた
終盤には、それまでライブを客席で見ていた村田の実姉がステージへ。会場に来られなかった村田の実母からのメッセージや、村田が12歳のときに書いていた未来の自分への手紙を読み上げ、12歳の村田が32歳の村田へ贈った「決して警察にはお世話にならないように」といったフレーズが幼い頃から才能を発揮していたことを伺わせる。客席にも村田の生前を知るファンや関係者が多数集まり、村田への思いが充満した13回忌公演は笑いに包まれる中で無事に終了。村田にまつわる事柄を極力正確に伝えることに心を砕いていた様子のコトブキは「肩の荷が下りた」と心境を述べた。
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