諭吉佳作/men|初のCD作品で見せる“モノ”へのこだわり、“からだ”への願い

あの涙、気持ちよかったな

──歌詞についてもう少し掘り下げると、あくまで音の部分を重要視しつつも、前提として漠然としたイメージを持っている場合はありませんか?

曲によっては「これについて書こう」という制約を設けて作ったものもありますね。でも、それも「何かを伝えたい」と思って書いたというよりは、その制約を達成できるかできないかというゲーム性みたいなものが自分の中で重要なんです。だから私の歌詞から何かを受け取ろうとしてくれてもいいし、「早口言葉みたいで面白いな」と思って聴き流してくれてもいいなと思っています。

──例えば「からだポータブル」の中で制約を設けた曲というのは、具体的にどの曲ですか?

諭吉佳作/men

「はなしかたのなか」は朗読劇(「坂元裕二 朗読劇2021『忘れえぬ 忘れえぬ』、『初恋』と『不倫』」)の主題歌なのでそうですし、1曲目の「ムーヴ」もそうですね。言っちゃうと面白くないのかもしれないですけど、「ムーヴ」は「音ゲーと踊り」みたいなことを考えて作った曲なんですよ。「チュウニズム」っていうアーケードゲーム、知っていますか?

──いや、知らないです。

目の前の画面からノーツが落ちてくるんですけど、手元にタッチパネルみたいなものがあって、ノーツが落ちてきたところに対応しているタッチパネルを押すっていうゲームなんです。従来の音ゲーって手元のパネルを押すだけですけど、その「チュウニズム」は側面にもセンサーが付いていて、腕を振り上げたりする動作にも反応するんですよね。音ゲーっていかに速く反応するかを競うことが多いと思うんですけど、友達がゆっくりとそのゲームをやっているのを見たことがあって。そのときに、「踊りみたいで綺麗だな」と思って泣いちゃったんです(笑)。「ムーヴ」は、「あの涙、気持ちよかったな」っていう感覚を記念に曲にしようとした感じですね。別にそれを伝えたいわけじゃないし、伝わらないと思うんだけど。

──そのゲームのお話すごく面白いです。体の動きにも反応するんですね。

そうなんです。美しいなと思って。

「からだ」へのポジティブな願い

──今のお話はすごく象徴的だと思うのですが、諭吉さんは「からだ」というものについてとても敏感ですよね。「からだポータブル」というタイトルがそれを象徴していると思うのですが。

そうですね、「からだ」に対して思うことはいろいろあって。「からだポータブル」というタイトルに関して言うと、今回のCDとはまったく関係なく、趣味でiPhoneのメモにずっと書いていた物語があったんですけど、その物語の主人公が自主制作で作ったCDの名前に「からだポータブル」と付けていたんです。別に、その物語の中のCDと今回私が出すCDにはなんの思想の関わりもないんですけど、自分のCDにタイトルを付けようとなったときに、「あのとき付けた『からだポータブル』ってタイトル、かわいかったな」と思って、決めました。何か深い考えがあって付けたタイトルではないんですけど、でも「からだポータブル」……要は「からだはあるけど携帯できる」というようなタイトルは、自分のポジティブな願いとして受け取ることもできるのかなって今になって思います。完全に後付けなんですけど。

諭吉佳作/men

──ポジティブな願いというのは、どんな部分で?

「ポータブル」は「携帯用」という意味ですけど、そのくらい自分のからだもフッ軽になったらいいのになっていう気持ちがあるんです。私にはずっと変身願望のようなものがあるし、「何にでもなりたい」という気持ちがある。でも、そう考えれば考えるほど、実際は体って不便なんですよね。自分の望んでいない部分もあったりするのに、それを見て何かを感じたり、感じ取られたりするのって、すごく厄介なことだなと思っていて。でも、その反面、体を動かすことに気持ちよさを感じるときもあって……ちょっと話は逸れるんですけどいいですか?

──もちろん。

私は踊ったりするのが好きなんですけど、すごく運動不足な人間だし、筋肉も全然ないから、できない動きがたくさんあるんですよね。でも、自分の好きなアイドルの人が踊る以外の場面でも体を大きく動かして感情を表現している姿を見たときに、体を使えること、体をたくさん動かせることによって、何かを面白く伝えられるんだなと思うことがあって。それって、語彙がたくさんあることで、いろんな気持ちを伝えたり、自分の考えを言葉で整理できるのと同じようなことだと思うんです。

──「からだ」というものが持つ饒舌さがある。

そう考えると、体を不便で嫌だなと思うこともあるけど、やっぱり、体ありきで物事を考えている部分もあるのかもしれないなと思ったりもするんですよね。

素なんて知らねえし

──諭吉さんにとって音楽を作ることは、「からだを作る」ということと結び付いていると言えますか?

そうですね。「からだ」という言い方をするかどうかはそのときの気分によりますけど、私にとって音楽を作ることは、「自分」を新しく作ることだなと思います。自分の体にいろんな部分を付け足したり体を増やしたりしていくことで、いろんな状態になりたいと思っている。「からだポータブル」というEPも、この作品を作ったことによって新しい体ができたような感覚なんです。私の大好きな緑色のCDができて、「緑のからだ、最高!」みたいな(笑)。

──例えば、「放るアソート」収録の「巣食いのて」でコラボしている長谷川白紙さんは、彼の「草木萌動」や「エアにに」といった作品について、実際の楽器ではなくてソフトウェア音源を使って作られたことに対して「本質主義への批判」ということを言っているんですけど、諭吉さんの「からだ」の話はそこにも通じているような気がします。

そうですね。「素なんて知らねえし」って、私もよく言っています。これは感情的な話にもなってくるんですけど、例えば、自撮りをインターネット上にアップしたとしますよね。

──はい。

そのときに「等身大な感じでいいですね」とか、「素の感じでいいですね」と言われることがたまにあるんですけど、そう見えているんだなって思って。好ましいと思って褒めてくださっているのだとしたらありがたいですけど、自分はそういう気持ちで自撮りを載せているわけではないから、そこで生まれる認識の乖離を感じる。例えば、私はアイドルが好きなんですけど。

──「放るアソート」には、根本凪(虹のコンキスタドール、でんぱ組.inc)さんとのユニット・ミドルエステートの曲も収録されていますけど、ご自身もアイドルがお好きだったんですね。

諭吉佳作/men

私は、例えばアイドルや、アイドルに限らず人前に出る仕事をしている人がキャラを作っていたとしても、「それって面白くて最高じゃん」と思うんですよね。「それが嘘かどうかなんてどうでもいいじゃん」って思う。もちろん「素」を発信してくださるのであればそれをありがたく受け取りますけど、「素じゃなきゃダメ」とか、「嘘はよくないから、嘘でも素のように発信する」みたいなことって、好きじゃないというか。ホント、「素なんて知らねえよ」って思うんですよ。「ありのまま」だと思って「ありのまま」でいられるなら、それはそれでいいのかもしれないけど、「ありのままじゃなきゃいけない」とか「ありのままのほうが、嘘がなくていいよね」なんていうことには、私は頷けないというか。

──なるほど。

私は、嘘がすごく好きなんですよね(笑)。しょうもない嘘をつくのも好きだし。すぐに「嘘ぴょん」って言いますけど(笑)。「そのくらいのスタンスの方が面白くない?」と思うんです。他人からつかれる嘘だって、もちろんつかれて嫌な嘘もありますけど、好ましい嘘だってたくさんあるし。自分の作品がそういうことを伝えようとしているとは思わないけど、でも、私自身はそう思っていますね。さっき言っていただいたように、楽器を実際に弾くのではなく打ち込みでやっているということは、そういうことでもあると思います。例えばDTM音源のギターの音って、本物のギターの音と比べたら違うところもあると思うんですけど、それを本物のギターの音を再現するために使うのではなくて、まったく別の楽器として使うこともできる。そういう感覚は、今言ったような感情とリンクしている部分はあると思いますね。