諭吉佳作/men|初のCD作品で見せる“モノ”へのこだわり、“からだ”への願い

諭吉佳作/menが5月26日に初のCD作品「からだポータブル」「放るアソート」を同時リリースした。

iPhoneのみで制作された独自の楽曲で話題を集め、崎山蒼志とのコラボレーションやでんぱ組.incへの楽曲「形而上学的、魔法」の提供で一躍脚光を浴びた諭吉佳作/men。このたびリリースされる2枚のCDはそんな諭吉佳作/men待望のデビュー音源だ。「からだポータブル」はすべて新曲で構成されており、脚本家・坂元裕二の朗読劇「坂元裕二 朗読劇2021」の主題歌「はなしかたのなか」を含む8曲を収録。一方の「放るアソート」収録曲はすべてコラボ作品となっており、崎山のほか、長谷川白紙、AFRO PARKER、Kabanagu、abelest、根本凪(でんぱ組.inc、虹のコンキスタドール)といった面々が参加している。

この作品の発売を受けて、音楽ナタリーは諭吉佳作/menにインタビューを実施。「CDを作る」ということをとにかく意識したという、本作の制作背景に迫る。さらにインタビューの後半では、本人曰く「自己中心的」だという楽曲制作のモチベーションや、自身が抱える“存在不安”など、胸の内が赤裸々に語られた。

取材・文 / 天野史彬 撮影 / 斎藤大嗣

私のCDだ!

──このたび、オリジナル楽曲をまとめた「からだポータブル」と、コラボレーション楽曲をまとめた「放るアソート」という2枚のEPを同時にリリースされますが、待望のデビュー作として受け取る人も多いのではないかと思います。

言われてみれば、「デビュー」という言葉をあまり使ったことがなかったなと思いました。今回はとにかく「CDを作ろう」と考えていて、「デビューするぞ!」みたいな感覚は自分としては全然なくて。なので、今「デビュー作」と言われて驚きました(笑)。

諭吉佳作/men

──2作の楽曲をまとめてフルアルバムを作るより、オリジナル盤とコラボ盤に分けて出すほうが諭吉さんとしてはしっくりきたのでしょうか?

今回のCDを作るうえでずっとあった考え方なんですけど、自分にとって1枚目のCDは、「これは自分のCDだ」「これは自分だけのフィールドだ」とちゃんと言い切れるものになってほしくて。もちろん、これまでいろいろな人とコラボレートさせていただいてきて大好きな曲はたくさんあるんですけど、「それはそれ」というか(笑)。「からだポータブル」に関しては、「これは自分だけのものだ」と言える作品として、1つ存在させたかったんです。だから2枚に分けて出そうと思ったんですよね。偏っている考え方だと思うし、わがままではあるんですけど、こういう気持ちはずっと私の中で強くて。パッケージの部分にも、その気持ちは影響していると思います。

──今回、CDのジャケットイラストも諭吉さんが手がけられているそうですね。「からだポータブル」は緑のクリアケースに諭吉さんのイラストが直接プリントされているうえに、クリアケース越しに中のCDが外からでも見えるという、珍しい形ですね。

「私のCDだ!」という気持ちで作ったし、だからこそ、外からパッと見てもCDが見えるものにしたいと思ったんです。大体のCDのブックレットって、本人以外の人が撮った写真や描いた絵がバンッと表に出ているじゃないですか。それはそれで1つの方法ではあると思うんですけど、ふと考えたらすごく不思議だったんですよね。CDを売っているのに、CD屋さんに並んでいて最初に目に付くのが他人の絵や写真なのって、なんでなんだろう?って。自分も次とか、次の次のCDではそうするかもしれないけど、最初のCDでは違うことをやってみようと思ったんです。

──なるほど。

しかも今回は、「CDを作る」ということをとにかく考えて作った作品で、何か1つのテーマやストーリーに基づいて曲を集めたものではなくて。「自分が作った曲をまとめてCDを出そう」っていう、言い方は悪いですけど、本当にそれだけの集め方をしたものなんです。曲を作った時期もそれぞれ違いますし、一貫したものがある作品ではない。そういうことを考えたときに、誰かほかの人に、どうやって絵を描いてもらうんだろう?という気持ちもありました。

かわいいじゃん、面白いじゃん、楽しいじゃん

──近年は音楽作品がリリースされるとき、多くの場合は配信も前提になっているので、取材で「CD」という言葉がここまで出てくるのは珍しくて。CDというフィジカルな「モノ」を作ることに対する思い入れは、諭吉さんの中にはどのような形であったのですか?

CDに限らずなんですけど、私はモノが好きですね。私の部屋には、私が死んだらゴミになって遺族が捨てるんだろうなって思うようなモノもたくさんあるんですけど(笑)、それでもコレクションしたい欲が私にはあって。マンガも電子書籍じゃなくて紙で欲しいし、もちろん音楽をたくさん聴こうと思えば配信サービスなどの形に残らないものも使いますけど、それでもやっぱり好きな人のCDは欲しいなと思う。モノとして出せるって、すごいことじゃないですか?

──そう思います。

買ってもらうということは一旦置いておいても、私は自分がやりたくて音楽を作っていて、それをまとめて、形にして、見た目を作る過程にも関われて、こうして手に持てる……その感動ってすごいなと思う。ただ、私の場合は「この先もCDが残ってほしい」みたいな未来への考えはそんなにあるわけではなくて。もっと軽い気持ちで、CDは単純に見た目もかわいいし、「あったら最高じゃん」って思います。モノとしてあるって、かわいいじゃん、面白いじゃん、楽しいじゃんって(笑)。

諭吉佳作/men

──自分以外の誰かの部屋に、諭吉さんのCDがある風景を想像されたりはしますか?

っ!(驚いた表情をして)……今質問されて初めて気付きましたけど、私、自分の部屋にこのCDがある状態は想像したんですよ。やっぱり自分の作品として、自分のモノを出せる感動は大きいから。でも、他の人の部屋に置いてあるところは想像していなかった。もう本当に「俺のだ!」という気持ちが強すぎて、だからこそ自分以外の誰かが自分のものを大切な部屋に置いてくれるってことを考えてなかったんですよね。「俺のものが俺の部屋に置いてある!」というところしか想像がつかない(笑)。やっぱり、私の音楽は「自分のために」っていう気持ちがすごく大きいんだと思います。えーって思われるかもしれないですけど(笑)。

──「自分のため」といえども、諭吉さんの曲は広く受け入れられるであろうポップさも持っていると思うんですよね。曲の構成はサビで盛り上がったりするようなわかりやすいものではないですけど、諭吉さんの曲は「ポップス」としての佇まいを十分持っていると思うんです。ポップスとしての自分の音楽の在りようって、意識されますか?

意識してはいないですね。ただ、普段聴いている音楽にポップスが多いから自分の作る音楽もそうなっているのかもしれないし、悪い言い方をすれば、それ以外は作れないのかもしれない。楽器の音があって、そのうえに楽しいボーカルがあって曲になるという前提が、自分の中になんとなくあるのかも。本当はそれだけが音楽の在り方ではないなんてことはわかっているんだけど。

──あくまでも自然に作っていたら、今のような形になっていると。

そうですね。やりたいようにやっちゃっているだけというか。聴きやすさもそんなに考えて作っていないし、反対に「異種のものを組み合わせて異質なものを作ってやろう」みたいな思惑もないですし。自分としては、本当に自然にやっているだけなんですよね。

歌詞で何かを伝えようとは思っていない

──「からだポータブル」を聴いていると、諭吉さんの曲は歌とトラックが螺旋構造のようになっているような印象を受けます。そのくらい歌とトラックが不思議な合致の仕方をしていると思うんですけど、今、諭吉さんが曲を作っていて、一番気持ちいいのはどういうときですか?

どうだろう……ピアノの和音を考えているときが一番気持ちいいかなあ。ピアノとドラムが好きなのかわからないですけど、ピアノやドラムを打ち込んでいるときは楽しいかもしれない。でも、それも本当に感覚的にやっているから、何か説明がつくようなものでもないんですよね。理論やコードがわかっているわけでもないし、私、曲を作っているときのことって本当に覚えていないんですよ。1曲作り終わって次の曲を作り出すと、前の曲を作っていたときのことはもう忘れているくらい。

──曲作りの中で、歌はどういったタイミングで入ってきますか?

場合によって違うんですけど、最近はわりとトラックから作り始めて、特に指針もないままなんとなく打ち込んでいって。それでなんとなくAメロっぽいところにたどり着いたら、そこにメロディを付けてみることが多いような気がしているんですけど……どうだろう、覚えてない(笑)。

──ははは(笑)。

本当に覚えていないんですよね(笑)。SoundCloudに曲を上げていたときは歌詞が先にあることが多かったんですけど、最近は歌詞があとに来ることが多くなってきて、リズムの調子や音の上下だけで言葉を決めちゃう感じになっていると思います。でも、それは作り方の変化というより、曲を作っていく中で、その曲の構成やメロディがどのくらい細かく存在しているかっていう話だなと思うんですけど。あくまでも例えばですけど、最近の私の歌詞の書き方は「『あ』の次に『い』と言ったら気持ちいいな」くらいの感覚なんです。自分の中に蓄積されてきた気持ちのいい言葉とリズムの感覚があって、「こういうリズムのときはこの音だよな」という言葉のはめ方をしていると思います。

──なるほど。

なので、言い切るのもどうかと思うけど、歌詞で何かを伝えようとは思っていないんです。ストーリーも特にないし、文章になっているのかと言われたら、なっていないのかもしれないし。そこから何かを受け取ることはできるのかもしれないけど、それすらもできないかもしれないくらいの言葉の並びが、音になっていたら気持ちいいなって。「そういうものもあっていいよね?」と思いながら、音楽を作っているんです(笑)。今の自分のこの気持ちも、今後変わっていくのかもしれないですけど、今はこういう感じで作っているし、「からだポータブル」は特にそういうことを考えながら作った曲が多いかもしれないです。

諭吉佳作/men

──「からだポータブル」の歌詞を字面で見ると、歌詞の中に括弧がよく出てきますよね。これは、視点や声の多さを表しているような気もするんです。諭吉さんの中にあるいろんな視線や声が混ざり合って1曲の中で表現されるからこそ、こういう形になるのかなって。そういうことって、意識されたりはしませんか?

正直、あまり意識していないような気がします。歌詞の中にある括弧とかに関しては、わりと見た目の面白さで選んでいる部分があって。そもそも曲と一緒で、歌詞を書いたときに何を考えていたか明確には覚えていないんですけど、「見た目に調子が付いてなんだか面白いな」という感覚が大きいような気がします。

──なるほど。

メインとコーラスのような関係性ではないところで音が重なることに関しては、合唱曲から影響を受けているのかもしれないなと思います。私、合唱曲が好きなんです。合唱曲を聴いていると、「これ、何重の音なんだ」と思わされるようなときがあって、ああいう気持ちよさを自分の曲にも取り入れようとしている部分はあると思う。そう考えると、結局私は好きなものをなんでも取り入れようとしちゃうんですよね。音楽のジャンルや理論的なことをわかっていないからこそ、好きなものを見つけたら「入れちゃおう」となっちゃう。私は、安易な考えを安易に取り入れることを、すごくポジティブに実行しているような気がします。