ヨルシカ|だからn-bunaとsuisはこのアルバムを作った

ヨルシカにとって3枚目の作品にして初のフルアルバムとなる「だから僕は音楽を辞めた」が、4月10日にリリースされた。一瞬、ドキッとさせられるようなタイトルを冠した今作だが、これは先行してミュージックビデオが公開されている「藍二乗」「パレード」といった楽曲からも断片的に伺えるように、アルバム全体をもって、音楽を辞めることを決意した青年が“エルマ”という女性に宛てた手紙と詩という形でその葛藤を描き出す作品となっている。

今回のインタビューではコンポーザーのn-bunaとシンガー・suisの両名に、今作が生まれた背景から制作風景、彼らを語るには欠かせないコンセプト部分、さらには今後の展開までを聞いた。

取材・文 / 風間大洋 ヘッダ写真撮影 / n-buna

世の中にひねくれた人間が増えてきたのかなあと

──お二人そろってお話を伺うのは約2年前、「夏草が邪魔をする」のリリース時以来なんですが、当時と比べると制作面や周囲からの評価、リアクションなども含め、あらゆる面で変化もあったと思うんです。

n-buna まず、実際に聴かれる機会や人に届く量もそうですし、単純に規模感は大きくなったなと思います。あとはレコーディングのメンバーにピアニストの方が入ったり、レコーディングの方法も変わりました。根本の制作のあり方についてはいろいろとテーマはありますけど、まったく新しいことがしたくならなくて、少しずつ少しずつ変わっていっている感じがします。

suis これは内側にいるから感じることだと思うんですけど、収録のやり方やチームの雰囲気は今作からガラッと変わった部分があって。個人個人のヨルシカの作品に対する熱量も、2枚目以上にガッと上がったんだろうなというのは感じます。

n-buna レコーディングメンバーのみんなとのやり方も、お互いに距離感がつかめてきて、やりたいこともわかってくれるようになって。僕のディレクションがうまくなってきたというのもちょっとはあるのか、やりたいことをスムーズに音楽に換えられるようになってきたと思いますね。

──ミュージックビデオの再生数もそうですし、届く範囲は飛躍的に広がりましたよね。もともとリスナーの中心にいた、ボカロ文化が好きな層以外までどんどんリーチしているようにも映りますが、そういう状況は想像していましたか。

n-buna うーん。自分の作品を客観的に見て、傲慢な言い方ではありますけど「刺さる人にはある程度刺さるんじゃないか?」とは思ってたんです。作品がちょっとだけ変な方向にとがっているから、自分に重ね合わせた聴き方をする一部の人たちには刺さるのかなと、昔は思っていたんですけど……でもそうですね。思っていた以上に広がるスピードが速くてビックリしたのと同時に、世の中にひねくれた人間が増えてきたのかなあと感じてます(笑)。歌詞や作品の感じは多分、陽の光のもとにいた人間たちに完全に刺さるわけではないと思うんですよ。ちょっと陰のある人たちが好むものなのかなと個人的には分析しているので、そういう人たちにうまく届いてくれてうれしいなと思います。

──ぱっと見では陽のもとにいそうな人でも、実は陰を持っているというケースも多々ありますし。

n-buna そこなんでしょうね。人間、生きてればつらいこともたくさんありますからね(笑)。でもありがたいことです。

「藍二乗」のミュージックビデオのワンシーン。

もし歌の部分にもn-bunaくんが入ってたら、入りすぎちゃってたのかなと思う

──そういう方向性は今作「だから僕は音楽を辞めた」にも言えることだと思いますが、まずタイトルには一瞬ドキッとしました。

suis 「n-bunaさん、辞めるのかな?」って(笑)。

──そうそう。聴き進めていけば、作品のコンセプトがあって、主人公の男性にまつわるタイトルだということはわかるんですが、そこにはご自身を投影する要素も少なからずあったのでは?とも読み取れます。

n-buna 歌詞に関しては自分の現実の体験でもあります。それこそ「八月、某、月明かり」の、東伏見の高架橋の下を自転車で漕いで行くシーンだったり、「詩書きとコーヒー」に出てくる家賃5万6千円みたいな小さな部屋での暮らしだったり。そういう僕の現実的な体験を投影することで、この物語の人物が本当に存在してそこにいるような見方で作品に没入してもらえるんじゃないかなっていうのはありました。あとは純粋に僕が今作りたい作品のモードとして、色濃く現実の匂いがするようなレベルまで自分を投影して、どこまでもとがった作品を作ろうと考えていたので。

──物語があってそこに登場人物がいるという構造はこれまでの作品と同様ですけど、リアリティは段違いですね。登場人物とお二人との距離感が近くなったというか。

n-buna そうですね。suisさんの歌にも、感情のこもった迫力があるなと思っています。

suis n-bunaくん本人の事象だと思っちゃうと、さすがにちょっと歌いづらいので(笑)、n-bunaくんの作ったキャラクターの青年に感情移入していったんですけど、10曲もあると歌っているうちに勝手に気持ちが入って、その人になっていく感覚はありました。最後のほうにレコーディングした曲は完全に「私が青年です」「本人が歌ってます」みたいな気持ちだったかもしれないです。

n-buna 4、5曲目以降に関しては、レコーディングの方法も今までとは完全に変わっていまして、今までは僕がボーカルディレクションに入っていたんですけど、制作の後半からはsuisさんとディレクターの方とエンジニアさんに全部任せて、僕は後から完成した音源を聴くようにしたんです。そしてそれは正解、最適解だったなと思います。伸び伸び歌っているんですよ。

suis n-bunaくんが作った作品の歌の部分にもn-bunaくんの意図が入ってたら、入りすぎちゃってたのかなと思うんです。今回の場合、歌だけはn-bunaくん成分をちょっとだけ抜いて、ちょうどよくn-bunaとsuisのバランスを取ったから、作品自体のバランスもよくなったのかも。

n-buna あと、僕がディレクションすると、ある程度は僕の想像の範囲で収まるじゃないですか。そこに新しい風が入ってきたから、僕が聴いていても楽しかったなと。