大阪出身のシンガーソングライター・植城微香が1stミニアルバム「SO」をリリースした。
幼い頃からダンスに没頭する中、心に秘めていた「歌手になりたい」という思いを実現するため2018年に音楽活動をスタートさせた植城。当初からライブハウスや路上で弾き語りライブを精力的に行ってきた彼女は、耳の早い音楽ファンから注目を浴び、その圧倒的な歌の魅力が評価されたことでテレビ朝日系「ミュージックステーション」や日本テレビ系「歌唱王」などのテレビ番組にも出演した。昨年スタートさせた音源の配信リリースの流れを受け、初のフィジカル作品として届けられたのが本作となる。
音楽ナタリー初登場となる本稿では、5月31日の大阪・Music Club JANUS、6月4日の東京・下北沢MOSAiCでのワンマンライブを前に、路上ライブ三昧の日々を過ごす植城にインタビュー。バイオグラフィを紐解きつつ、「SO」の魅力に迫っていく。
取材・文 / もりひでゆき撮影 / 笹原清明
ギターの表現力は無限大
──植城さんはもともとダンスをされていたそうですね。
幼稚園の年長さんでヒップホップダンスを習い始めて。そこから小6までやって、中学時代だけはバスケ部に入ってたんですけど、高校の3年間でもまたダンスをやってました。当時の私はKAT-TUNが大好きだったので、ちょっとワイルドなカッコいい系のダンスがやりたかったんですよ。それでヒップホップダンスを選んだ感じでしたね。
──ダンスをやってると当然、いろんな音楽にも触れることになるわけですよね。
そうですね。いろいろな曲でダンスをしていましたし、お母さんの好きなドリカム(DREAMS COME TRUE)やaikoがずっと車の中で流れてたり、ベースをやっていたお父さんが流しているファンキーな洋楽ロックを意味もわからず聴いたりもしていましたね。あと、ダンスと並行してピアノもやっていました。当時は嫌々でしたけど、ピアノの経験は今の活動にも役立ってるなとは思います。
──長年ダンスを続けてきた中で、シンガーソングライターを目指すようになったのはいつ頃だったんですか?
実は小さい頃からずっと歌手になりたい気持ちはあったんですけど、その夢を誰かに言うことが恥ずかしかったし、きっと「そんなんできひんよ」って言われると思って、心の中にしまっていたんです。だけど高校卒業するくらいの時期に、当時好きだった韓国のアイドルとかOne Direction、エド・シーランやテイラー・スウィフトの楽曲をギター弾き語りしたらカッコいいんじゃないかなって思うようになって。
──習っていたピアノではなく、ギターに注目したのはどうしてですか?
ピアノの弾き語りでやることも考えたんですけど、ピアノだと持ち運びが難しいじゃないですか。その時点で、自分で歌うのであれば路上ライブをやりたいと思っていたので、だったらギターのほうがいいよなっていう判断でしたね。で、ギターを買いに行ったところ、その楽器屋さんの方から「来週、一般の人が参加できるイベントがあるけど出ない?」って誘われて。すぐさま「出ます!」って返事して(笑)。
──ギターを買った瞬間にイベント出演決定。けっこうムチャですよね(笑)。
ですよね(笑)。でも出ると言ったからには人前で見せても恥ずかしくない形にはしないといけないと思ったので、自分にプレッシャーをかけながら、とにかく毎日ギターの練習をし続けて。最初は「F? なんやこれ?」みたいな感じでしたし、全然うまく音が鳴らない感じでしたけど、とにかくがんばって。で、イベントにも出ました。
──そこでは何を歌ったんですか?
ミスチル(Mr.Children)の「HANABI」とONE OK ROCKの「We are」の2曲を。基本に忠実に、脚を肩幅に開いてまっすぐ立って、ギターをジャカジャカ弾きながらめっちゃ笑顔で歌いました(笑)。イベント出演に向けて練習する中で、ギターという楽器の魅力を強く実感したところもありましたね。アンプにつながなくても、その場でキレイな音が出せて、しかもボディを叩いて音を出すこともできる。強く弾いたり、優しく弾いたり、演奏の仕方によって表現力は無限大。「楽しい! 私はこれだ!」ってすごく思いました。
──そこから路上に出ることになるわけですか。
その前に、当時通ってたボイストレーニングの先生に紹介してもらって、楽器屋さんのイベントの翌月にはライブハウスで歌うようになったんですよ。同時に、その先生からアドバイスを受けながらオリジナル曲も作り始めたりもしていて。
──ギターを手にしてからの動きが目まぐるしいですね。
とにかく音楽をすることが楽しかったし、同時にちょっと焦りもあったんですよ。
──その時点で18歳くらいですよね?
はい。別にまだ全然若いとは思うんですけど(笑)、でもちっちゃい頃から音楽をやってらっしゃる方もいるわけじゃないですか。だから一刻も早く形にしたかったんです。そのためにとにかくなんでもやってみるしかないっていう気持ちで。路上もそんな思いから始めた感じでした。
路上ライブにしかない泥臭さ
──最初はどこで路上ライブをしたんですか?
大阪の難波ですね。その日はライブハウスでライブもしたんですけど、「まだ歌い足りひん!」と思って(笑)。スピーカーも何もなしに、「歌いまーす。聴いてください」みたいな。正直、そのときのことは緊張しすぎてあんまり覚えてないんですけど、お客さんが撮ってくれた写真が1枚あって。それを見ると、とにかくもうガムシャラ(笑)。大きな口開けて、1人でも多くの人に届くように前のめりで歌っていて。「こんなヤツおったら、オモロくて見てまうわ」って自分でも思います(笑)。それくらい思いがあふれてたってことなんでしょうね。
──そこから路上ライブを約5年間にわたり続けてきたわけですが、その魅力、醍醐味はどこにあると思いますか?
路上ライブにしかない泥臭さみたいなものが私は好きなんですよね。今はSNSで発信する人も多いし、画面越しに感動していただけることがあるのは私も知っています。でも、たまたま歩いていたサラリーマンの方が私の歌で立ち止まり、涙を流してくれているのを見たりすると、やっぱり路上って最高やなあって思うんですよね。日本語がわからない外国の方がものすごく楽しそうに聴いてくださることもあるし。スマホの画面をスワイプした先に存在するのではなく、皆さんの日常の中、帰り道の先に自分が存在できるのが路上の魅力だし、一番素敵なところですね。
──路上ライブではご自身のオリジナル曲に加え、洋邦問わずさまざまなカバーも披露されていますよね。
私は聴いてくださる方のターゲットを絞りたくないんです。というより、もう全員をターゲットにしたい(笑)。だから、邦楽しか聴かない人、洋楽しか聴かない人、K-POPが大好きな人、いろんな人の入り口になれるようにいろんな曲を歌っているんです。そのうえで植城微香というジャンルの音楽を好きになってもらえたらいいなって。
──植城さんの音楽性は洋楽ポップスからの影響を強く感じますし、音源には顕著に表れていますが、かなりダンサブルでグルーヴィですよね。
軸としてはダンスミュージックをギターでやりたい気持ちが強いんですよ。打ち込みとアコギをうまく融合させたいというか。だからよく言われるんです。「微香ちゃんの曲は洋楽っぽいんだから、路上でも洋楽のカバーだけをやるようにすれば、オリジナルを聴いてもらいやすくなるんじゃない?」って。
──でも、そうはしないわけですよね。すべての人をターゲットにしたいから。
はい(笑)。すべての人に植城微香を知ってほしいし、植城微香の曲を好きになってもらいたいから邦楽も洋楽もK-POPも分け隔てなく歌っています。路上やライブハウスなどの現場で裾野をしっかりと広げたうえで、音源に流れてきてもらえたら最高ですからね。
──植城さんがダンスミュージックを軸にしているのは、幼い頃からダンスをやっていたことと無関係ではなさそうですよね。
そうですね。私の場合、めっちゃ悲しいとか、逆に超うれしいとか、心がグワッと動いたときに曲を作ることが多いんですけど、基本はギターを使わないんですよ。だいたいが踊りながらとか、誰かを演じるように体を動かしながらメロディを生み出していくスタイルで。だから踊れるスペースがないと曲が作れないかもしれない(笑)。
──なるほど。踊っていれば、それに合ったテンポ感やビートも浮かびやすいでしょうし。
そうそう。こういうビートだったらこう踊れるな、みたいな発想ですよね。「24 hours」という曲なんかは、バイトしてたカラオケ屋さんの屋上でバレリーナみたいに踊りながら作ったんですよ。カラダを動かしていると風がバーッと吹いてくるし、それによって髪の毛が顔にかかったりすれば、よりスピード感を感じられて、それにマッチしたメロディやビートが自分の中から自然と出てくるっていう。一方では、お風呂に浸かりながらミュージカルの主人公になりきって脚を上げたりしながら作った曲もありますね(笑)。あと、私は地下鉄もすごく好きなんですよ。
──え、地下鉄?
シルバーでツヤッとしてる地下鉄がシュンってホームに入ってくるのがカッコよくて(笑)。で、そのときに風が吹いて、髪の毛がフワーッてなびいたりするじゃないですか。そのときにMVのような映像とともにメロディがパッと思い浮かぶんです。メロディは日常の中のいろんな瞬間に出てきますね。ただ、私は歌詞がなかなか出てこないタイプなので、そこはいつも苦戦してます。メロディとは真逆で、歌詞は部屋の中で黙々と書いていく感じです(笑)。
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ニュアンスを大事に歌った「SO」